<パソコン教室と料理教室の類似点>
ただひとつの型にこだわらなくてよい、そこが似ています。
学習指導要領のような、かた苦しいものがありません。
何でもそろうことがよいと学校で教えると、つまらないことにも、みんながそうだからと言い逃れをつくります。
みんなとは誰と誰かと詰め寄る賢母もなかにはいますが、そうかよしよしと、自分がいい顔をしたいおばあちゃんが帳消し役に回ります。
みんながそうだからと言いたいとき、そうでない人を見つけられる教室は、ただひとつのことをまねさせるだけでない、なにかをつかめる場になっているでしょう。
活きていて良かったと実感する 教えた方もご満悦。
氾濫どころではないゴミ情報に、足を踏み入れてみると、人は、自分がわかりたいようにしかわからないことが、よくわかります。