ヒルのBNでの活動期間を大別すると、初リーダー作”BLACK FIRE”(1963年)~S・リバースを加えたクインテット(1966年、後年リリース)を前期、BNがリバティに吸収、傘下に入った68~70年代初めを後期と分けられ、プロデュースがライオンからウルフに移っている。
色々と語られる前期作に比べ、後期の作品について触れられるケースはそれほど多くない。ヒルの一般的人気はその個性からしてか、それほど高くなく、語弊が有るやもしれないが、寧ろ研究材料の対象として存在価値が高いかもしれない。
左から録音順で”GRASS ROOTS”(1968.8.5)、”DANCE WITH DEATH”(1968.10.11)、”LIFT EVERY VOICE”(1969.5.16)
約2年間のブランクを置いた”GRASS ROOTS”
意表を突きフロントの2管にモーガン(tp)、アービン(ts)を据える「奇策」に出た。「堅物」のイメージを払拭する狙いがカヴァと共に良く表われている。今までの眉間に皺を寄せて聴くヒルの姿はなく、これはこれで良いと思うけれど、サイドワインダー擬きのB-1の”Soul Special”は、今更、これは無いんじゃないかと思う。この曲のためにモーガンを呼んだのか、と勘繰りたくなります。全体を通し、アービンの小気味好いプレイが思いの外、効き、このセッションの役割を彼は充分に理解している。
僅か二ヶ月後に吹き込まれた”DANCE WITH DEATH”、今度はバリバリの新鋭、トリヴァー(tp)とファレル(ts、ss)をフロントに配した「新主流派」スタイル。録音のチャンスを生かそうとする二人の熱気に満ちた積極的なソロと以前よりスムーズに流れるヒルのプレイが心地よいテンションを生み出した好作。
でも、ちょいコンサバな”GRASS ROOTS”と180°異なる”DANCE WITH DEATH”をリアルタイムでリリースするのは悩む所ですね。結局、”DANCE WITH DEATH”は「お蔵入り」の憂き目に遭い、1980年に漸く日の目を見た。
前二作と同じフロント2管編成にコーラスを加えた異色作”LIFT EVERY VOICE”。
2管はW・ショー(tp)と若手で生きの良いC・ガーネット(ts)。コーラスの効果がどの程度、プラスに働いているかどうか?コーラス自体にはそれほど魅力を感じないけれど、ヒルのpはある意味で劇的に変わっている。あの不愛想な特異性が影を潜めるどころか、まるでボーカリストのように歌っている。また、トリヴァーと同じく、ハバードからの影響を強く受けているショーのサポートがイイ。若手のホープからワン・ランク上昇しようとしていた時期だけに鋭さだけでなく柔らかさが増し表現の幅が広がっている。ただ、RVGの録音が、この時代、ソロがサウンド全体に溶け込むと言うか、包まれるように変わっている所が残念です。
結構、好きな作品で、コーラスを無視して聴いている。
あくまで私見ですが、ヒルはBN時代、全てオリジナル曲で通したそうですが、少し、スタンダードや他人の曲もレパートリーに入れた方が作風が広がり、内容も深まったのではないでしょうか。確かに個性、頑なさも重要だが、他の大事なものに気が付かなかったような気がする。
いずれにしても、60年代のBNを代表するジャズ・マンだったのは違いありませんね。