「12月20日(水)のTW:#尾高朝雄『法の窮極に在るもの』ノート(15)」 fb.me/7mEei3Rk1
— 赤尾 秀一 (@soratine) 2017年12月21日 - 18:38
我れも見つ人にも告げむ勝鹿の真間の手児名が奥つ城ところ 詠み人:山部赤人(万葉集)
— 歌人 (@utabito) 2017年12月21日 - 22:00
敵はダムや堤防を破壊する可能性がある。周辺地域は洪水に見舞われて瓦礫の山と化し、防災措置を講じなければ数十万人が死傷する。軍隊は泥濘と瓦礫の中で行動不能となり、飛行場も弾薬庫も使えなくなる。最も効果的な防護策は、水位をタイミングよく下げることである。(スイス政府『民間防衛』)
— スイス政府『民間防衛』 非公式bot (@minkan_bouei) 2017年12月21日 - 23:35
立法者にしろ革命家にしろ、平等と自由を同時に約束する者は、空想家か大嘘つきである。(ゲーテ) Gesetzgeber oder Revolutionärs, die Gleichsein und Freiheit zugleich… twishort.com/gVLc— ドイツ語メール例文集&格言集 (@dt_reibunshu) 2017年12月21日 - 19:04
※追記20190531
「自由」と「平等」は、フランス革命において掲げられた理念であるとされています。しかし、上記のゲーテの言説にも明らかに述べているように(その出典は不明ですが)自由と平等は二律背反の関係にあるようです。
しかし、いずれにせよ「自由」であれ「平等」であれ、それらが悟性的概念として、時、場所をわきまえず、その概念の抽象性を狂信的に振り回すとき、おぞましく恐ろしい現実を招いた歴史的な事実があります。フランス革命の末期、カンボジア、クメール・ルージュの独裁と粛清による大量虐殺や、毛沢東中国の文化大革命など。
ゲーテが次のようにも語ったのもおそらく彼がフランス革命の現実を、とくにその負の側面を見てのことだと思います。
Allgemeine Begriffe(普遍的概念)がもたらす恐ろしい不幸
ここでは、自由と平等の概念について、詳細に具体的に考察できませんが、この両者を価値的に対等なものとして扱うことはできません。人間の本質からいって、自由は、とりわけ、言論の自由は「至高の価値」ですから。「平等」のために「自由」を犠牲にすることはできません。「自由」は「平等」に優先すると思います。