作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

HIROSIMA MON AMOUR――広島、私の愛しい人

2010年01月31日 | 芸術・文化

 

HIROSIMA  MON AMOUR――広島、私の恋人


もうすっかり古い映画になってしまっていたが、その名前だけは聴き知っている映画というものも、決して数少なくない。先日YOUTUBEを見ていた時に、たまたまそうした映画の一つで、「HIROSIMA  MON AMOUR」が投稿されているのを発見した。アラン・ルネ監督、マルグリット・デュラス脚本作品である。時間の合間に見た。これまでもこの映画の存在自体は知っていたが、DVD版でも購入して見るほどでもないだろうと思っていた。また、フランス語など、ラテン系の言語についてはまったく盲目の私にとっては、フランス語の映画にも縁が遠かった。YOUTUBEの投稿映画には英語の字幕がついていたので、何とか映画の内容も追いかけることが出来そうなので見た。

Hiroshima Mon Amour 1/9
http://www.youtube.com/watch?v=Hgh5zH0yZXo&feature=related

この作品は、ほとんど抽象化された名前も持たない二人の男女が主人公である。この映画の邦題が「二十四時間の情事」」となっているように、フランスから来た女優と日本の建築家の男性との間の、24時間のrendez-vousをめぐって物語は展開して行く。映画の冒頭は、クローズアップされた二人の肉体の絡み合いに象徴されるエロスのなかで交わされる対話から始まる。

広島で出会った男は、フランスから来た女に向かって、「あなたは広島に来て何も見なかった」と言う。それに対して、女は「原爆博物館を四回も見学し、広島の原爆について多くの説明も聞き、まだ、原爆被害者の多くの入院している病院を訪れ、悲惨なその被害も実際に見、多くのニュースフィルムも見て、広島の原爆と戦争の現実を十分に知っている」と言う。
 
この映画の冒頭に、広島の原爆被害の記録フィルムをドキュメントとして映画の中に挟み込むことによって、この映画はドキュメントとしての性格を、先の第二次世界大戦の歴史的な記録性をも留めている。そうした歴史的な事実の上に、一人の女と男が、しかもフランスと日本という互いに遠く離れた国籍を持つ男女を関わらせることによって、この映画に、さまざまな象徴的な意味をもたせようとしている。

男と女がベッドの上で交わす会話のなかで、それぞれの過去が明らかになってくる。二人はいずれも、先の第二次世界大戦という戦争の西と東で戦われた惨劇の傷を深く心に刻んだ個人であることがわかる。女は今は女優となり、その仕事から撮影する反戦映画に出演するために広島を訪れる。広島は人類史上戦争ではじめて原子爆弾が投下された土地として、人々の意識に深く刻み込まれている。だからこそ、この女優でもある女は、いまや反戦平和の象徴ともなっている広島を訪れ男と出会う。そして、それぞれ戦争の傷を深く抱え込んだ被害者同士の出会いが、合わせ鏡のように、それぞれの心の戦争の傷を互いにさらけ出すようになる。

女は今は女優として、反戦映画にかかわっている。しかし、先の世界大戦では敵国ドイツの兵士を愛したことで、故郷ヌベールの人々から屈辱を受け、両親の家からも追い出されるようにパリに出ることによって、彼女には戦争の記憶が深いトラウマになって残っている。だから彼女にとって故郷ヌベールの記憶は、ドイツ兵との初恋の記憶とも重なる。彼女がつらい記憶から忘れ去ろうとしていたドイツ兵は初恋の人でもあり、また、村を流れるローレ川の岸辺の美しい土地の記憶は、同時に一方で、故郷の人人から屈辱を受け、また地下室で狂乱の日々を暮らした精神的な深い傷を残した場所でもある。

だから彼女にとって、その記憶を失うことは、苦しみから救われることでもあるが、また、ドイツ兵との初恋の思い出を記憶として喪失してしまう恐怖にもなる。いずれにしても、彼女は故郷ヌベールの刻印とそれへの憎しみの呪縛とから解放されない。たとえ、その記憶の古傷の痛みのために、表面的にはその記憶は狂気によって無理矢理に喪失させられているとしても、いつでも、どこでも、きっかけさえあれば、その記憶の古傷は蘇ってきて、現在の彼女を苦しめる。

それゆえに、彼女は自分の古傷を思い出させる男、広島に対して怒りの叫びで抗議をする。戦争は深い傷跡を残す。第二次世界大戦で、人々に、人類に残したその精神的なトラウマのもっとも深刻で象徴的な事件の起きた場所が、広島でありアウシュビッツである。また、女がフランスの故郷ヌベールで体験したような悲劇は、小アウシュビッツ、小広島のような事件として、戦争の行われたところならいずこにも無数に存在した。

この作品が撮られたのは、1958年から1959年に架けてである。だから、まだ戦後14、5年しか経っていない。この映画にも、広島も原爆の惨劇から復興し始めている町並みが撮され記録されているとは言え、まだ多くの原爆被害者たちも病院の至るところで見られる。また左翼による反戦活動や、原水爆禁止運動などが激しく戦われていた時代の背景も記録されている。映画の中に、反戦映画の撮影現場自体を画面に登場させることによって、たとえ皮肉なかたちによるとしても、この映画もまた兵器としての原子爆弾の現実を告発している。この映画の作られた翌年の1960年にはフランスにおいても、アメリカ、ソ連、イギリスに次いで世界で第4番目に核爆発実験を成功させている。

映画の冒頭で女が原爆博物館に訪れる画面で映し出される、広島が深く刻み込んでいる戦争の記憶は、女に昔のトラウマをふたたび呼び起こす。戦争が深い精神的な傷を刻み込んでいるということでは、男にとっての広島も、女にとってのヌベールも変わりがない。

彼女がふたたび不可能な愛を見出してしまった広島の男もまた、家族を失って戦争の深い傷を抱えた男であり、男は広島の象徴として存在し、この男との出会いは、彼女につらい記憶の傷の痛みから忘れ去ろうとしていた初恋のドイツ兵のことを思い出させる。

故郷ヌベールの記憶は、ローレの美しい川に象徴される甘くなつかしい記憶とともに、敵国ドイツ兵との恋愛ゆえに、彼女が故郷の人々から受けた屈辱や、地下室で過ごした狂気のつらい記憶も留めている。彼女はその心に受けた傷によって、過去の記憶をすべて忘却の淵に流し去っていたのだ。しかし日本の広島で彼女は男を愛することによって、そして広島のつらい戦争の記憶を自分のものとすることによって、フランスで忘れ去ろうとしていた故郷ヌベールのつらい自分の記憶とともに、異国の土地日本の広島の男との不可能な恋の記憶とともに生きようとしている自分に気づく。

戦争をどのように理解するか。その象徴としてのヒロシマやアウシュビッツをどこまで理解しうるか。この映画が問題提起するそのレベルも人によってさまざまだろう。また、人間にとって記憶がどのような意味をもつのか、またその記憶が、心に刻み込まれる精神の傷として残されたとき、人はその傷とどのように関わりながら未来の日々を生きてゆくべきか?この映画はたしかに、愛がそのための勇気を与え、癒し、救う可能性を秘めたものとして描いてはいる。

映画を構成する一つの要素である音楽の効果も優れている。すだく虫の音が、多くの画面でBGMのように使われている。カメラワークが映し出す復興しはじめた当時の広島の街と人々の暮らしの様子。この映画には戦後まだ十四年しか経っていない広島の街や夜の歓楽街と人々の暮らしが、美しく記録されている。女を演じているまだ若いエマニュエル・リヴァも、彼女がフランス人の女優であったからこそ、まだ復興し始めたばかりの広島の古くさい街並や駅の構舎の光景にも、それほど違和感も感じさせずに溶け込んでいるのかもしれない。アメリカ人女優やアメリカ映画に、果たしてこの映画のような共感と情感はかもしだせただろうか。

 

 

 

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