作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

今日から十月

2009年10月01日 | 日記・紀行
十月一日(晴)

今日から十月

今日から十月が始まる。山畑に行く。もっと早く行くつもりであったけれども、四時頃の出発になってしまった。先に手に入れた新しい鎌を持参して、雑草やクマザサを試しに刈ってみた。なるほど利器とはすばらしい働きをするものであるとあらためて実感する。ニンジンやダイコンがフサフサとした青い芽に育っていた。ダイコンの芽の一部が虫食いにやられているので、虫取りをしてやる。農薬は使わない。

民主党に政権が移って、どこまで成功するかはとにかく一応は改革らしい施策は講じられている。官僚の天下りなども、渡辺善美前行革担当大臣を追い出した自民党には公務員改革を実行する意志も能力もなかったことに比べれば少しはましかもしれない。

鳩山由紀夫新首相は対米外交で日本の自主性を高めようとしているのはよいとしても、東アジア共同体の構想など、あまりにもちがいすぎる中国と日本の「国家哲学」を無視して、どこまで本当に「共同体」の実現が可能だと思っているのだろうか。ただ、鳩山由紀夫氏の政治構想については不勉強で良く知らない。だから本格的な論評は氏の政治思想をもう少し知ってから行いたいと思う。

しかし、その一方で、かならずしも国民的な支持の得られていない政策が、社民党と国民新党と民主党との連立のどさくさにまぎれて、国民の目を欺くようにしてこっそりと施行されようとしている。その一つに夫婦別姓の問題や、外国人の地方参政権の問題がある。

社民党の福島瑞穂党首などが実行している夫婦別姓などには非常に問題が多いと思う。そもそも文化や伝統に関する事柄は、よほど慎重にあらゆる角度から検証や論証を尽くした上で判断する必要がある。それなのに先の女系天皇が問題になった時のように、一世代か多寡が二三世代の連中の、単なる時代的な流行や風潮、気ままな個人の選好を歴史や伝統より上に見て、過去の歴史や文化の蓄積と継承を軽々に変更しようと企てる。

国民多数が賛成もしていないそうした夫婦別姓法案を、それを持論とする民主党の千葉景子法務大臣や社民党の福島瑞穂党首たちは、先に河野太郎氏などが中心になって、国籍法改正法案が国民に十分に知らされない間に議会を通過したように、狡猾に押し進めようとしている。

夫婦別姓については私は基本的には反対である。戦後民主主義の風潮のなかで出てきた「子供を産まない楽しさ」を主張する社民党の福島瑞穂党首たちのような家族観、夫婦観の生き方の行き着くところは、家族や社会のきずなの破壊だと思う。そうした選択は国民を幸福にしないと思う。

戦後の民法の改正が、日本人の家族の崩壊にどれほど与ったか、その否定的な側面などがきちんと検証されているとも思わない。戦後民主主義文化の被害者は日本人自身とその社会である。もちろんその多くに被害者の自覚はない。夫婦別姓の問題や先の国籍法改正法案の問題点などを、あらためて近いうちにももう少し深く論じてみたいと思っている。

時間が無くて書けなかった、美しい秋の日の思い出となった一日を、ブログ日記に後追いで作成する。曼珠沙華のとりわけ美しい秋であったことを記憶に留めておきたい。クリス・レアのYOUTUBE上の音楽動画を聴きながら、あるかぎりダウンロードしていると、うかつにも途中で眠気がさしてうたた寝をしてしまう。蝶か現かわからない荘子の見た夢のようだったけれど、眼を覚ました瞬間に永遠の彼方に忘れてしまった。



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