作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

レンブラントの自画像

2005年11月14日 | 芸術・文化


レンブラントは肖像画家としても有名である。それも、自画像を生涯にわたって描き残した画家として。上に掲げたレンブラントのもっとも若き日の肖像も、特に印象に残っている作品の一つである。

若い日に自分の肖像を眺めるということ、青年時代には誰しも鏡に深く見入ったりするものである。自意識に目覚め異性への関心が芽生えると同時に、自己自身への強い関心からナルシシズムに浸る時期だともいえる。そんなときに、特にレンブラントのこの絵もよく見た。彼の肖像画を見ることによって、自分を見つめようとしたのかもしれない。


レンブラントは生涯に多くの肖像画を描いた画家でもあるが、青年時代から晩年にいたるまで自画像に執着するほどに、自分に関心を持ち、自己を見つめようとした画家である。オランダ市民社会の中での画家としての成功の絶頂と、その後の破産による没落、ユダヤ人たちとの交流など、すでにレンブラントは、市民社会の、資本主義社会の浮き沈みを先駆的に体験していたといえる。成功した市民名士たちからの注文によって描いた「夜警」とか「解剖学講義」などオランダの豊かな市民生活の一場面を切り取った作品もある。

 

そうした波乱万丈に富んだ生涯の中でも、サスキアやヘンドリッキェなどの妻をモデルにして官能的な女性像も多く残している。レンブラントは酒と女で人生を享楽する自分の姿を描く一方で、特に「水浴の女」などでは女性の心と肉体のやわらかさと優しさを、池の静謐さのなかに美しく見事に調和して描いている。レンブラントは器量の大きな画家である。

 

また、聖書の中の物語に取材したエッチングの作品も多い。一本一本の躍動したその線の動きは、レンブラントの才能と修行をよく現している。十字架を背負った死の道行のキリスト、十字架を立てられるキリスト、十字架から降ろされるキリストなど。その絵の中に自分を描き込むことによって、キリストに対するレンブラントの立場も明らかにしている。レンブラントの時代となると、キリストもきわめて人間的色彩が濃くなって、文字通り人間イエスが描かれる。イエスの肖像すら描いている。

 

彼の絵画の特徴は、光の取り扱いにある。鑑賞者の視線の焦点に光を当て、そこだけを闇の中から浮かび上がらせることによって、見るものに人物の精神的な内面を映し出そうとする。特に、「ホメロスの胸像を眺めるアリステレス」では、光が当たって金色に輝いている白い豊かな絹の袖をまとったアリストテレスが、盲目の詩人ホメロスの胸像に、静かにその手を置いて、凝視している。印象深い作品である。その個性的なポーズは一度見ると忘れられない。

 

また、「箒を持った少女」という作品では、その絵を鑑賞する者を、あたかも向こう側から、少女が箒をかかえながら凝視しているように描かれている。ただ、眼だけはレンブラントの眼をして見つめている。それにしても、これらの作品にはなんとも言えない甘美さも漂っている。それは画面の全体としての暗色の中に、レンブラントが目立たず散りばめた色彩の輝きから来るのかもしれない。

 

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