葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

論を整理して新しい時代に備えようー終

2011年09月01日 04時40分05秒 | 私の「時事評論」
洪水のあとの川の流れは


 日本列島は山から海まで距離はそんなに長くないがたくさんの川が流れている。距離は短いが流れはきつい暴れ川が多く、放置すると大雨の時に、流域に大きな反乱の被害を巻き起こすことも度々ある。
 また雨の日が少ないと流域の田畑が、干ばつのために干上がってしまう。そのため、保水量を蓄積調整する山の植林から流域の田畑への灌漑の工事、堤防の増強など、治山治水の工事は、わが国の昔から集団でおこなう最も大切な行事の一つとされ、農業国日本に集団での共同作業が根付いた基であったなどとの説までがある。

 ところでこんな我が国で、雨のため、河川が氾濫したあとを見に行くと、洪水のあと、川の流れはいままでとは違ったコースをたどって流れていることに気づく例が多い。
 水の流れの流体力学やその他の科学も進んだ現在、川の流れる場所は水害も起こらぬよう、最も合理的に計算して定められているはずなのだが、いったん水害を経験すると、そのたびにそのコースは、予定された水路から外れてしまう。

 しかも聞いてみると、その移動した流れの場所は、現代の科学で計算して定められたコースを外れて、昔の川の流れに戻る例が大半なのだという。

 筑後川の流れる熊本県を訪れた時、加藤清正の治水の話を聞いた。
清正は治水計画の名人で、熊本の治水工事を行うときに、水の流れを充分に知ってそのコースを設定し、堤防を設けて管理した。
 それは曲がりくねったものであり、現代になってこのコースを、物理の計算に合わないと直線的に変更すると、洪水のたびにその変更箇所から氾濫がおこり、大きな被害が出るという。そして川は清正の設計した位置に戻ろうとするのだそうだ。

 我々の近代科学では読み取れない条件がまだたくさん残っているようだ。   


無理な流れの変更は元に戻る

 何でこんな政治とはあまり関係なさそうに見えることを冒頭に書いたのか。それが政治のコースとよく似ていると思うからである。

 政治のたどるコースは、その民族が過ごしてきた歴史的気風によって、この川の流れがもとに戻るように、その国特有の形に戻ろうとする傾向がある。
 日本の歴史にも、この川の流れのように、独自のコース、進めば円滑に流れる道があるように私には思えるからである。

 いまはもう、その仕事を人に譲ったが、私はかつて週刊新聞で時評のコラムを担当していた。それで様々な国のこれからを論ずる機会があったのだが、それを見るのには、現状だけを見るのではなく、その国のたどってきた歴史を見て、その固有の特徴によって、独特の動きをすることを考えながら判断するのが常だった。
これはよく、政治学では言われることだが、政治の目的はその国、その民族集団にある国家意思=国民意思=一般意思ともいうが、その国にとって最も理想的な政治方式を求めるところにあるという。
そう漠然と言葉でいうのは簡単だが、それをどうやって求めていくのかは難しい。

 日本では理想の制度であるようにいう民主主義自体が、西欧で、一般意思をどうして突き止めるかに苦労したが難しく、どこに求め方があるのかがわからないので、妥協の政治的選択として「少なくとも国民の多数が求めているものは、少数が求めているものよりも幣害が少なく、一般意思に近いものではないかと」いう政治的な結論の結果であるとされている。

 日本は古代より天皇制度を基本に様々な状況を乗り越えてきた歴史があり、日本の地理的な条件、たどった歴史などにより、独特のコース、川の流れに例えるならば、伝統的な固有のコースをたどって歴史を刻んでおり、これからも、同じコースをたどる可能性が高いと思う。私はそれが、日本という国の、固有の一般意思だと思っている。


日本での一般意思は天皇のもとの政治

 日本は、いまから3万年とか4万年とか前の時代に、日本民族の先祖たちが定住して、日本らしい自然風土の環境下に文明を築き始めたと考古学者は推察している。そうしてこの地に住みついた日本民族は、やがてこの国土に最も合った収穫量の高い稲作農業を開始して、それに集落挙げての共同作業で営みながら、自然を畏怖して大切にする神道という独自の信仰を作り出し、その神道を中心にした生活とまつりの集団をまとめた天皇が生まれて即位した。

 人々は天皇を祀り主として神々に敬虔な祈りをささげ、共同で髪を招いて祭りを行い、祖先たちを大切にし、彼ら祖先が努力と経験の中から新技術を生み出した果実を積み重ね、また異文化の技術をも摂取して、日本らしい社会基準を作って発展してきた。
 そんな天皇が、祭祀王として祭り主をつとめる日本の文化は、やがて天皇が、ある時期にはその内部から現れた力あるものに、実務の行政の部分を代将軍としておまかせになられたり、任せた政治が日本という国の流れからはずれれば、再び天皇のもとに大権を返上させたりしながら、従来からの一貫した軌道を維持して現在まで歴史を重ねてきた。

 いまはそんな流れの中で昭和20年、日本が戦争に負け、占領してきた米軍の力で国の基本を定めた憲法までが変更されて、試行錯誤の体験譲渡中の時期に当たるというべきだろう。
 だが、そんな日本ではあるが、よりはるかに民族に精神的な潜在力をもち、日本人の生活の歴史に重みをもっているのは、やはり日本の歩んできた歴史の流れの産物であろう。
 近年、戦後の体制では日本国の進むべき進路も見えず、為政者の無責任さに混迷を極めるようになってくるのに応じて、国民の中にいまの体制への大きな不満が高まり、私は源流復帰のコースが求められ始めたのだと感じている。


日本における政治、二つの捉え方

 いまの社会の状況を見ると、日本には二つの政治の中心があるような印象を受ける。
その一つはもちろん日本政府の刻んでいる憲法に基づく政治である。憲法はじめその他の法によって日本列島を代表する国の行政機関と定められていて、国民や企業から税金をとり、それを基にして国民の生命財産を守り、生活する社会の規律を維持し、国の経済活動を支援し、経済政策や国際通貨の安定などの仕事を行っている。

 だがその背後に、日本人の一般意思(不変の道)が理想の政治を求める動きも常に働いている。強まったり弱まったり、表面だけを見ると不安定だが、これは消えることのない日本の、民族の作り上げた一般意思、ルソーの掲げたボロンテ・ゼネラールである。

 日本に二つの政治があるように見える現在の政局、それはいまの政治が、日本民族の常に求めてきた居心地の良い政治と現在の政治が食い違い、国民の不満が無意識のうちに高まっていること、新憲法下の体制に天皇がお任せになった政治の行使が、決して国民のため、国のためになっていないことを示している。

 繰り返すようだが、日本の歴史を見ると、日本の既成の秩序が乱れ、社会が混乱し、国民が不安と絶望の中に毎日を過ごすようになると、国民の中に、政権を再び、天照皇大神から委託された天孫の継承者である天皇にお返しすべきだとの力が高まってくる。それは日本の天皇が強い力をお持ちの独裁者で、潜在した力を自ら出されて動かれるという形ではなく、天皇が古代から現代まで、一貫して全国民のためを思って己を捨てて神々に祈り続ける祭祀王であり、いつも民の守護者であると国民が信じているから出てくる自然の動きであると考える。

 日本は戦後、よき社会、住みやすい国づくり、己を抑えてもお互いに協力する社会、一致して国の発展に努力する国柄、先祖や先輩を大切にして生きることを忘れて、親も子もないみんなが個人、己の欲望を満たすことが何より大切との我儘に行動することこそが一番というような暮らしを求めて突っ走ってきた。
 その結果、社会道徳は年々崩れて、いままでは、住民はみな善良な人ばかりであるから、窓を開け放って寝ていても安全であるなどと言われた国だったのに、寝るどころではない、いつどこで襲われるかさえ分からない不安の満ちた国になり、親殺し子殺しはじめ殺人や犯罪、弱い者いじめや社会的弱者の無視などはどんどん増えて、シルバーシートには若者が寝そべって携帯電話に没頭し、高齢者や病人は注意すると暴れて危険だからと、それを眺めて目を合わせないようにする、子供は周囲の人に誘拐されないように、口を利かずに逃げて帰るのが当たり前の社会になってしまった。先の地震の際の行動は、それでもまだ、社会秩序がしっかりしていると外国プレスなどに報道されたが、それは古い時代の名残がまだ、庶民の間に何年弱まりながら残っているだけで、これからどう進みかは明らかだ。

 政治の状況は書いてきた通り、国民の安心確保などはそっちのけで、あからさまな利権争いと、国民生活に対しての思いやり不足のみが目に付く始末だ。
 そんな不満が大きく育つようになっている。


私の願っていること

 私は先にもあげたように伝統尊重の保守主義の男、日本がもう一度、穏やかな相互のいたわりや礼儀に満ちた「天下太平、万民和楽」を理想とする社会に戻ってほしい。
 そのためには大御心をもっと生かすべしと願っている一人である。国民の声を反映する選挙制度は生かしながらも、国は秩序と礼儀、神聖なものへの敬意を尊重する姿勢を率先垂範しなければウソだ。
日本の環境を変えなければならない。徐々に、和やかに睦みあいながら生きていく気風を強めなければいけないと思っている。

 昔に戻りたいといったからとて、もちろん窮屈すぎる生活を我々に強要する反動社会を望んでいるのではない。いたずらに国民の自由を圧殺する戦時中のような日本に戻って、自縄自縛のような国を作るのは反対だ。

 精神的にも肉体的にも、のびのびと国民が毎日を暮らせる社会、礼儀と思いやりが満ちていて、天皇陛下のお人柄のように、お互いが相手を大切に自由を認め合い、神々に対しても恥じない暮らしができる社会にしたい。

 そんな社会を理想に進むためには、私は神道という伝統の社会信仰ともいうべき道を、もっと社会が活用するようになることを望んでいる。神道は天皇陛下の信仰に通ずる共同体の信仰だ。日本人が先祖の時代から、工夫を重ねて作り上げてきた共同社会を営む上の、日本人が礼儀正しく睦まじく生きていくための常識である。個人救済を求める個人個人の信仰を大切にしながら皆で求めていくべき日本意識の原点である。
 御存じのように日本の神道の象徴的な精神的な拠点は、全国に10万社と言われる神社である。神社は日本だけにあって世界にはない不思議な純国産の信仰施設である。
 神道の信仰的柱は何であるか、神道にも難しくその信仰を説く人もあり、何やら一般の人に理解できない解釈を試みる人もいる。だが、そんな理論は専門家にひとまず任せて、神道のもつ基本的な考え方、価値観などを皆に分かってもらいたいと思う。

 神道の信仰はこの世の中にあるすべてのものは、それぞれに存在する価値があり、それらにはそれぞれ霊力があり、大切にしなければならないという信仰がある。海も山も水も空も星も生き物たちも人間も、みな神さまに見守られて存在する。それらに感謝し、人間もその一部だということを理解して、人間である我々も、その調和を大切にしながら生きることがまず基礎にある。これは近代化された現代社会が、原子力や新技術などをどう活用するか検討し、自然を生かしながら発展するためのモラルでもある。

 神道に関しては説明が足りない。こんな書き込みを見るだけで天皇や神道に関して尊崇の念をもつ人はいないだろう。これらの説明には最低でも、この数倍の説明を必要とするが、それはまた、次の機会に譲るし、全国の神社をお守りしている神主さんに、分かりやすく説明してくれるように求めてもよい。それを一般の人に伝えるのが、お宮に奉仕する神主さんのお務めだから。

 この文で私は、日本という国には、おのずから定まった法則があり、我々国民が大切にこの国のことを思って暮らしていれば、世の中の進むべき道は定まっている。これから日本は、混迷の中から、あるべき国の姿へと戻っていくときなのだと説明をした。
 年齢も過ぎてきた私にとって、あまり長い文章を書くのは骨が折れる。今回はこの辺までにして、足りないところは次の機会に譲りたい。

追記

 国民が日本に古代から連綿と流れている日本固有の神道の何たるかを理解し、そろって日本の神を大事にし、皆で祭りを盛んにし、それに参加することを楽しみながら日本人であることの意味を理解していく。
 そのためには全国にある神社が門戸を広く広げて全国民の集まり、参拝し、心を休めることによってその空気になじみ、違和感なくなじめるところ、数千年の日本人の伝統を、ただそこに行くことだけででもしのべるところにしておかねばならない。
 そう考えると全国の神社は、個々の選択の余地ある甲論乙駁の政治の末梢には、日本の根本姿勢の維持に関係ある皇室や国の基本の本質的な問題をのぞいて遠慮して、誰もが公議公論を遠慮なしにする余裕を残した場にしておく必要があると思う。神社の中にセクトに属する政治主張をことさら持ち込む過激な主張を掲げたり、ある特定の宗教団体のみを支持する場所にして、一般常識をもつ人がよけて参拝を遠慮する主張を並べたりするのは、あまり望ましくないと愚考する。
 神社の関係者とて個人的に主張をし、活動することは自由だし、私はそれを止めようとは思わない。それは神道に反しない限り、自由に行ってよいものだ。だが、神社は私が述べたような天皇さまが行う公の祭りと「祈り」を共有する厳粛な場所である。そのことだけは忘れずに、広い窓口をもち、誰もが参拝して良い気持ちになれるところにしておいてほしい。
 

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