葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

「和魂洋才」はどこへ行った ②

2011年06月25日 22時34分52秒 | 私の「時事評論」
私の歩んできた道

私は全国の神社をまとめる組織の広報部門で長く仕事をしてきた。日本独特の信仰である神道(西欧の宗教との概念がひどく違うので、あえて宗教とは言わない)には特徴があり教義や神学もある。だが私はそんな神道の深みを語る部門ではなく、対外的に現代の我が国が、天皇の存在を中心に、国民の繁栄や安定を祈り続ける文化(それこそ神道文化であるが)全体を、西欧文化に劣る時代遅れの遺物として、充分に検証もせずに捨て去ろうとする一般的風潮の中で、先祖たちの積み重ねてきた民族伝統のもつ大切さを主張し、それを否定せず、むしろもう少し冷静に考えて大事なところだけでも復活させよと主張するのが仕事の中心であった。そのため、神道そのものを論ずるのには、知識において、まったく不足する自分を痛感している。

だが、そんな私でも、心の中は燃える神道への情熱が満ちている。しかも、日本がこれから進む基礎となる精神姿勢は、従来の無思想・唯物的西欧的ばかりに偏ったものではなく、西欧の知識は十分活用しながらも、我々の先祖以来、育み伝えてきた神道の文明認識を基礎にして道を求めていく以外にはありえないと確信している。


行き詰まりを招いた乱開発の文明

世界全体の流れを大きな視野で眺めると、人類文明は各地で花開き、それぞれ独特の文化を開いてきたのだが、やがてそれらがお互いに接触し衝突し、強い力を手に入れた側が相手を征服して、だんだん支配する国、される民族が定まってくる。それが15世紀ごろの新大陸の発見や大航海の時代になると、一部の西欧諸国が大きな力を発揮、やがて西欧に起った産業革命で得た膨大な技術的成果や力を強めるや、独占的、支配的地位を固めることになった。それ以来、世界は西欧諸国がリードする形で進んできた。

 日本などはその中で、立地条件的に海に隔てられていてた民族や国家に侵略されにくい立地にあり、比較的に侵略の的にされずに独立を維持して穏やかな文明を続けてきたが、ついには西欧の圧力に抗しきれなくなり、19世紀の明治維新で、自らも文化と制度を西欧化して、対等に独立を維持することを目指して「和魂洋才」などと言いながらも、和魂を忘れてなりふり構わぬ欧化政策をとってきた。

しかし時代が21世紀の現代になると、文明そのものが資源の浪費で行き詰まりの傾向を見せ始め、またその支配下に搾取されていた途上国が、だんだん西欧を追いかけて力を蓄えてきて、西欧の常勝体制が危うくなってきた。

 そんな流れと見ることができよう。そしていま、世界は大きな曲がり角に来ている。日本も、本来ならば傷つかずに進む道もあったのかも知らぬが、なりふり構わず英米仏をドイツをと追いかけた結果、西欧文明と同じ悩みに見舞われることになった、と私は見ている。


人間と自然の位置づけの修正が人類生き残りのカギ

これからは、世界的な人口増大と中国やインドなどの途上国の躍進によって、自然環境のバランスは急速に崩れ、埋蔵資源は掘り尽くされ、空気は汚染する。人類発生以前からの自然環境が大きく変わるので、生活環境も変わり、いまのままでの人類文化発展の維持は不可能な状態になってくる。

これは自然とは未開拓のもの、神にその支配を許された人間はこれに挑み、征服することによって発展するのだという旧約聖書辺りのものの考え方を中心とする西欧型の思想に基づく乱開発の時代から、人間自体も世界の調和の中に、その構成員として生きている。他のものとのバランスを考え、地球を大切に扱って生きるべきだとの生きかたに方針を変えなければ、人類が、そろって自滅を招く時代へと足を踏み入れたことを意味している。

いやな前例を上げるが、恐竜が絶滅し、マンモスがいなくなった時のような地球の主役が代わりかねない現象が目の前に来ているのだ。我々人類の文明に、この危機を乗り越える知恵がなければ、人類は地球の主役を奪われかねない時代に来たというべきだろう。


我々の育んできた神道の思想

私はその難題解決のカギをもっているのは、自然とのサイクルを重んじてきた神道にあると思っている。それは地球上の万物は調和して共生していくべきだとの思想の上に立っているからだ。万物に霊性を認め、それを神として受け止め、自然に敬意を表して共生を目指してきた日本神話を基にする我々の思考法なら、人間の生きる環境も破壊してしまう現代人類の傍若無人の暴走を食い止めて、将来も人類が自然の循環の中で穏やかに発展していける道があるのではないかと思っているのだ。

そんな気もするので、一つの参考に、私の思う私の神道的ものの見方を、お示しすることにした。まわりくどいが、隠居すべき年齢に達している私が、急に政治や経済を論ずる西欧論理の主役を占める場所に、神さまを柱として生きてきた日本民族の伝統などを述べようとするのが、そう唐突で非常識だと思うべきではないとの理屈を並べた。私はここで、できるだけわかりやすい言葉で、これからの文化の継続のためにも、神道思想の回復が大事であると主張を少し続けたいと思う。


神道はカビの生えた古道具ではない

この文で私は神道をあえて宗教であるとは書かないと言った。それは私が神道には、宗教教義の枠を超えて、共通に取り入れてほしい内容があると思っているからだ。また帝国憲法時代の神道非宗教とみなした政策に、ずいぶん無理なところも中には感ぜられるが、説明の仕方では合理的な視点もあったと思う点があることも付け加えておこう。私のように神道の信者の立場から見ると、神道は、一般に宗教では最も大切な要素とされる個人の人生観などよりも、集団として生きる人々を集合的にとらえ、自然とのかかわり、人々同士のかかわり、家族のかかわりなどを個人とは少し異なった異質の面からみる視点を重点とする傾向がある。神道はその大部分が国民道徳のようなものだという人もあるそれもこの論に近い面がある。あるいは日本という国が、神道を民族の基本的な信仰として持つその特殊性のために、重層信仰ともいえる、子供が生まれたらお宮にお参りし、七五三でもお宮に行くが、仏教で葬儀や法事をし、キリスト教で結婚式もする。また、神社の氏子で祭りに加わると同時に他教の信者でもあり、他の信仰に対しても寛容であるのは、ここから来るという人もある。いま、憲法が神道を宗教の縛りの中に入れたものであるので、世間では、理屈は庶民の感情には合わないが、そう書かれているのなら、迷惑な法律だが我慢しようという気分になって、誰のためにもならない法律のために生活の方を歪めて不自由に甘んじているのもある意味で神道的といえるのだろう。

だが、だからといって、私のように神道を人生観の柱にして、ここに生きる人生の生きがいを求めようとしている者もいる。神道にも様々な広がりがあり、それがどんな範囲で括られるかには厄介な問題が山積している。今回は問題が違うのでそれらには触れないでいくが・・。


神道から見る日本の文化といまの政治との不連続

私の立場を少し交えて説明をした。私は神道(多くの神々が見守られる我国の文化)と、いま日本に広く普及している西欧を手本とする政治の概念との関係を、単純な思い込みと見過ごしを外して冷静に眺め、そこから眺めることが必要だと痛感している。

立派な建物を建てるのには、その基礎にしっかりした地盤が固まっていなければならない。「砂上の楼閣」という言葉は言い古されているように見過ごしがちだが、今回の地震を例に挙げるまでもなく、最も気をつけるべきことである。文化構造が液状化現象のような土台の上に、まともな建物など立つはずがない。


私は日本の社会構造を社会基盤の不安定な液状化と見ている。

 現代のものの認識は、西欧思想と日本伝統思想の対立の中にあって、明治維新で日本が西欧帝国主義文明にのみこまれないように急きょ対応せざるを得なかったために、存分にその両立の在り方を検討することなしに急いでしまった仮建築の歪みを、文明の基礎に残したまま、その上に物を積み重ねた構造になっていて、それが砂上にたっていることに気づかぬために、多くの珍妙な歴史解釈や文明論が人々の生活を混乱させていることを痛感するからだ。日本の社会は不安定な液状化しやすい土壌の上に立っている。


 舶来のものに憧れる日本人意識

私は日本という国が、交流する外来の文化を良いものだと思えば進んで取り入れ、それを迷わず導入してきた従来の姿勢を一定の評価をしている。日本の文化には数千年の昔から、「まろうど=客人信仰」というのだろうか、よそから来る人々を大切な客人として、家庭で、集落で、大切にもてなす風習があった。また海を渡って入ってくるものを「舶来品」といって、素晴らしいものだと扱う海の外の文化に対するあこがれの情も深い一面もあった。

無防備にも見える外に対する憧れ、これは日本が地形上大陸とは隔てられた島国で、船で運べる侵略軍の人数などに制約があり、大量に大陸から異民族が日本を占領するために攻めてくる大きな障害になっていたことから生じた国民性にも影響しよう。おかげで穏やかに、文化も断絶させられず、独立を維持して生きてくることが可能であった。しかしその海は、少人数のものならば、珍しいものや文化、技術などをもって、我が国と往復することができた。まことに恵まれた防波堤でもあり交通路でもあった。

そんな環境の中にあって、日本では新しい文化交流の窓口は常に皇室であった。様々な文化は、ここで日本文化に合うものに工夫され、日本仕様に調整されて一般に流布するという、特別のルートも出来上がっていた。皇室の果たした日本の新技術導入の役割は、想像以上に大きいものであった。

ただ、我々はそんな日本人の気質が、日本の文化の向上には貢献したが、反面、危ないものも含んでいたことにも気がつかなければならない。慎重な日本仕様への変更がなかったならば、外来文化には毒物だって混ざっているのだ。日本の育んできた先祖伝来の文化を尊重し継承していく気風を継承し、その後の文化、外来の西欧思想を基礎にした文化を築いていく前提で新しいものは取り入れるべきだと思うのだ。

 日本には日本の文化の基礎が必要だ。それを無視して日本土着の文化という木に、異質の竹を接ぐような、やがて枯死するずさんな方法でその場限りの移入策を近年積み重ねたから、日本人自身が変質し、日本の美点が抹消されて、二流三流の西欧のサルまねばかりが横行する国になってしまったのだと思っている。いまの政治構造などはそのよい例である。

新しい文化を取り入れる努力は素晴らしい。だがそれを日本に根付かすためには、接ぎ木をする基礎にある日本の土壌と、新しく接続しようとする文化の違いを十分に知り、慎重な「和魂洋才」を心がけなければいけないと思う。

その一例として政治を見よう
日本においては国民生活における政治(もちろんこれには経済政策や時事問題への対応なども含まれるが)の範囲は、文化全体から見るとその一部分にすぎない。

 政治はすべてをまとめる文化そのものの部分にすぎないという認識が日本には伝統的に存在する。これが諸外国と日本との大きく異なる側面だと私は認識している。それというのも、日本の政治は行政のその部分だけ、天皇から征夷代将軍が委任され、天皇に代わって実施しているという意識が文化にしみ込んでいる。詳しくは私の父・父葦津珍彦の遺作である「日本の君主制」http://ashizujimusyo.com/sub1.htmlなどを参考にされたい。

 日本では政治とは世俗の法律を定めて、我々の生活のごく限られた部分のみを拘束するものであり、それよりもむしろ、いまの一般の認識をひっくり返して、政治の概念を狭め、しっかりした枠の中でのみ見ることに力を注がねば全体が見えなくなると思っている。

次回はこのことを解説する。(つづく)


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