葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

年末の総選挙始まる (四回連続掲載予定)その一 総論

2012年12月09日 11時47分20秒 | 私の「時事評論」


 年末の味が薄れた巷の風景

 平成二十四年の歳末である。昔は恒例であった商店街の大売り出しや、けたたましいジングルベルの騒音も、最近は偶に聞かれるが、どことなく物悲しく響く。町の商店街がコンビニやスーパーの均一化された無機質な店舗の前に圧迫されてさびれ、夕方になると毎日、近隣の買い物夫人が集まった街角の井戸端社交場も減った。商店も日本人の気質が変わったと商売をあきらめて店をたたんでいく。人々は個性を失い、生活は携帯やテレビなどのメディアに蝕まれ、買い物は全国均一化した大資本の店に集中する。これが文明の進歩というのなら、我々は進歩という名前の、自分らしさを見失った淋しい文化の時代へ進化し突き進んでいることになる。ここにはもう、往年の個性あるふるさとの面影はない。
暮れになると独特の雰囲気が伝わって来て、思わず乗せられてしまったあの浮足立った思いが、もう最近は感ぜられなくなってきた。街は無機質に変わったが、昔より明るくライトアップされ、派手な広告だけはいっぱいで、歩いている人はそれなりにいるのだが、皆同じような服装をしている。大量生産の「個性的」という没個性の行列である。おそらく心の中まで同じように個性なき「個性」によって均一化されてきているのだろう。
 売れないほどに物を作りすぎて、いまは不景気なのだそうだ。そう言われると私も、歳をとって半隠居になったのだが、昔の老人ほど良い表情はしていない。毎日ステッキをついて散歩をするが、消え失せる故郷の名残探しでもしている感じになる。それに最近は随分貧乏になってきた。途中でのんびりお茶も飲めなくなった。ポケットを確かめ、通帳の残高をちらちら見ながら、毎日の出費を調整しながら暮らしている。若かったころの、あの浮き浮きした年の瀬の盛り上がりはほとんど感じられないこの頃だ。

 地元の商店街の一角、少年時代は福引所で、ゴロゴロ回すと弾のでる抽選ろくろを回し、「大当たり!」を夢見て福引券を持って目を輝かせていた歳末風景が懐かしい。ネオンサインとサンタクロースの縫いぐるみ、それが消えると正月飾りの露天がいつの間にか加わって、正月を迎える気分が高まった。今年の暮も明るい色彩だけはあふれているが、吹き抜ける風が殊のほか冷たく感ぜられる。
 加えて、今年は年末に、ボリュームいっぱいの連呼で知られる総選挙までが戦われている真最中だというのに………。

 
 時ならぬ選挙
 
 昨年、日替わりランチ首相の三人目として総理大臣の座につき、歴代首相の積み重ねた無責任を追及されつつも、国会での野党の解散要求を懸命に躱(かわ)し、今年に入ってからは、与党内の一致さえ頼みにならないので、野党である自民・公明両党の協力を受けてまで、緊急に迫った政治案件や消費税の見直しなどの法案を通し、これでもまだ民主党政権かと批判されながらも政権にしがみついていた野田首相が、頑なな姿勢を急遽一転、突然衆議院を解散した。
 解散は首相の専権事項である。首相が突如方針を変えたので、膠着停滞していた政局はこれにより急転して、新しい事態に向かうことになるだろうが、なぜ野田氏がここにきて急転したのか。これは周辺の空気から「おそらくこの状況では、首相は不意打ち解散に踏み切るのではないか」と見ていた私には、矢張りそうかと納得のいくものではあったが、唐突の感はぬぐえなかった。

 だが首相の大決断は、今でこそ注目さるべき関心事にはなっても、長期的な我が国の流れから眺めれば、渦巻く政治の流れの中の小さな渦のようなものにすぎない。渦はやがて、何事もなかったように忘れられ、誰も見向きもしなくなるのではないだろうか。日本の政党の殆どは、政策を掲げる国民を基礎に置く組織ではない。揺れ動く政策を掲げたり降ろしたりする政治を家業とする連中の集合離散の寄り合い所帯であり、政策による結束力などは元々薄い。共産党や宗教的な拘束がある公明党などを別にすれば、私は現在の政党など所詮はそんの程度のもので、票を目当てに政治屋どもが右を向くか左を向くかで政策も揺れ動く程度のものだと見ることに決めている。ところが最近、政治屋どものあてにする地縁や人縁の組織力が風化してきたので、「みんなの党」などという、大衆に媚びて泳ぐことを堂堂と党名に掲げた党派もあるほどだ。そういえば今回の騒ぎの中で「国民の生活が第一」などという、解散騒ぎの半ばで合併し、党名は結局消えてしまったが、衆愚政治を党是と掲げた党までが出現した。

 
 
 政策に大差がない各政党

 政策はほとんどがいまから60年以上前に、日本が戦争に負け、当地のために占領してきた米国が、
「これからの日本はこんな基準で政治をやるべきだ」
と命令し、新聞や学界にまで圧力をかけ、憲法に書き込み、教科書に書かせて国民に教えたことが柱となっているので各党とも大差がないのが現状だ。

 情けないことではあるが、300万の同胞を戦争で失った我が国の我々の先輩方は、もはや明治維新の時のような気概を発揮する力を残していなかった。そんな見えない古きアメリカ統治時代のくさびから、まだ日本は解放されたとは言い切れない。だから政治の見識などを、いま急に望むすべもない日本の政局なのだ。

 今回の総選挙の背後には、明らかに戦後政治のもうこれ以上やっていけなくなった行き詰まりが結果であった。災害からの復旧、国を揺るがす経済不況、周辺諸国からの圧力、みな、国民が力を合わせて、協力して事に取り組むことが無ければ簡単に乗り越えることのできない問題である。ところが、そんな事態に対して、協力する義務、我慢して従う義務があることなどを意図的に外して作られているのが日本の憲法である。戦争に負けて、占領軍に憲法という政治を歩む靴までを投げ与えられ、「靴に足が合わなければ、足を削ってでもそれで歩け」といわれた日本は、負けたのだから仕方がないと、それを忠実に守って今まで来た。だがそれは、所詮は日本の足に合わないばかりか体にも合わないものであったと私は思う。それでも、騙しだまし、歩いてきたのがついには限界にきて、四方八方から問題が起こって、躓いた結果が今回の総選挙を迎えることになったのだ。

 だから日本の政治の混迷は、上面だけでは治らない。この選挙だけでスッキリ解消されるというわけにはいかないだろう。いろいろの事件に遭い、苦労しながら、日本に合い、日本文化に合うところまで、何度も改良を重ねていかなければならないだろう。

 その進展次第では我国の正常化が間に合わず、「日本沈没」という由々しい事態が来ないとも限らない。日本をめぐる経済環境、日本人の生活を蝕む社会環境、あるいは国際環境、日本人のここにきての意欲の低下、未来に対する慎重さの欠如、日本人の思考力の欠如など、日本が沈没しかねない要素はたくさん見えている。だがそれでも私は将来に期待する。日本の文化は3000年という歴史を重ねて、その間、何度も危機的な状況はあったのだが、ここまで一貫したものとして続いてきた。独立を維持し、自然と共生し、国土を美しいままに保全して、歩み続けてきたのである。

 不幸にして近年日本は西欧文明が世界を席巻する空気の中で、自ら国のかじ取りの選択をミスして、疑似西欧化を追い求める結果となって挫折した。だがそんな苦しみも60年、国の中にはそれを反省する機運も再び芽生えて来ている。日本の政治は国民に対して、どのように接していかなければならないのか。その問題意識が認識され出したのが今回の選挙を見ての私の観測である。

 私は日本の伝統愛好者だから、こんな日本をそれでも「日本は神国だから不滅である」との言葉で表現したい気がする。我々を取り巻く自然や営々とこの文化を積み重ねてきた祖先たち、それを神として大切に扱い、次の時代に引き継いでいく。その繰り返しが日本人の文明意識だ。それは絶やしてはならない日本人の道であると私は確信している。そしてそれは、我々の親たちが、先祖たちが、いままで共通して信じ、抱いてきた基本的な精神である。だがそのことばは60年以上の間、それを非常識だと洗脳され、もう、そんな教育や環境の下に育ったものが国民の殆どである時代になった。未来への継続を考えず、今さえよければ、自分さえよければとの価値観が、老人から子供まで徹底してしまったいまの日本で、ただ一言だけで素直に共感される言葉ではないだろう。

 だが、何で私がこんなことを言うのか、少なくとも日本に備わった児童復元装置の片鱗は、次の選挙で現れてくるものと信じている。



 そして第1回目の余談

 1:哀れな首相

 今回の選挙に関して、もう少し私の感想や観測を続けよう。私の文を古臭く苔むしていると思う人、いい加減で読み飽きた人、私の主張に不満な人はもうこれ以上読まないでよい。もっとも、読んでほしいと書いてもそんな人は読まないだろうが。

 今回の解散は首相の立場に立ってみれば、大きな決断だったろうとは思う。解散を決意した野田首相の心中には淋しいものがあっただろう。「末は博士か大臣か」、こんな言葉がかつては飛び交っていた日本である。そこで一国の政治を左右する総理大臣という最高の地位に昇りつめながら、自ら選択を決断した総選挙で、地元の千葉の選挙区への立候補だけでなく、比例代表区にも、誇りを捨てて名を連ねざるを得なかった境遇となった。
 「政治に切れ目を作ってはならぬ」と首相は語っている。外面では意地ででも首相の任務に取り組む責任姿勢を国民に見せ、自分個人の選挙活動には、それは私的なことだし、おのずから本気で取り組めないのが首相の座にあるものの責任であるとの首相の言い分は分かるが、地元で落選してでも議席の一端でも確保して日本のために働こうという決断は、「男らしさ」を殊のほか愛してきた彼にとっては不本意だったであろう。それもこれも、彼自身が、首相の座につくには就いたが、民主党という群の将としての器の大きさを持っているように見えない現状のままで、選挙に取り組まねばならなかったからだろう。個人としては、彼におおいに同情する。
 
 2:与党内の争いに敗れた首相

 
 解散を政治の停滞をこのままではいよいよ大きくすると渋ってきた野田首相は、野党よりもむしろ与党内の不穏な空気を見て、内閣の基盤であるはずの与党・民主党そのものの再編成を覚悟して、ここでは解散しようと決断した。事実、民主党の内部からは、野田首相引きずり降ろしの声が、強まっているとの情報が流れ出していた。国民のための政治などどうでもよい。一日でも長く与党である座に居続けたい。なりふり構わぬこんな思考は与党民主党の中の大きな声であったのだ。
 だが、そんな集団の中にあっては野田首相には、まだ政治家としての立場があり、己の抱く政治主張もあった。彼は自分が就任の時に語ったように「国民のためにドジョウのように最後まで奉仕する首相」をめざしていた。彼はもともと自民党などと非常に近い戦後の保守思想の男である。国民に対する使命感も強そうだ。だが民主党を振り回しているのは彼とは相容れない連中だ。彼は自分の判断で総選挙に取り組むとともに、まとまることを知らない民主党そのものの体質改善までを意図したものと思われる。
  

 3:すっかり変化した民主党の主張

 「彼はあくまで野党と対決するために解散に踏み切ったのだ。そんな暴論を述べるのはいくらなんでも失礼だ」という人もあるかもしれない。だがちょっと、彼がいかに解散を急いだのかを推察させるまだ忘れるには新しすぎる数日前のことを思い出してほしい。
 「選挙の前には消費税の増額によって国民の負担を求めるのだから、違憲状態を修正するだけではなく、議員数の削減などで国会も痛みを共有し、国民の納得を得なければならない」として、首相はつい数日前までは選挙法の改革に強くこだわってきた。選挙制度の再検討や議員定数の少なくとも50名程度の比例区の削減は、野田氏の掲げた現内閣の使命であったはずなのだ。それが通らないので国会は長々と空転までさせた。だがその実現まで内閣は保たないと判断し、解散を急に急いだ。

 野田首相がそこまで解散を急がなければならなかった背後には、さらに多くの政治上のマイナスが存在していたと判断するのが常識的だろう。

 そう思って振り返ると、選挙の直前まで、首相は今度の総選挙を「消費税の増額のほかに、TPPへの参加」を与党の方針にするのだと宣言し準備していた。だがこれらの選挙の柱は揃って表から消えている。消費税の増額は、野党の自民党や公明党も容認して成立したものであり、民主党の独自の公約にするのには無理があると気付いた。しかも消費税の増額は、今の日本の構造的な国家の財政危機を解消する程の大きな財源として期待するのには、あまりに小さく、しかも国民に訴える公約には、必ず反対をされて、効果の上がらぬものである。またTPPに関しては、ただでさえ国民に大きな不安を呼ぶものであるばかりではなく、背後には、急にこの問題に積極的に動き出した民主党に対して、米国側が民主党だけの選挙の公約に掲げるのには難色を示したという情報もある。そんな条件下で彼は解散を急がなければならなかった。

 公表された民主党の公約は例によって、国民に耳触りのよいばらまき予算の社会保障のほかは、親が国会議員であったものの公認を認めないなどという、政治政策とはほとんど関係ない、党内の反対派を潰すためのものなどになってしまった。これだって、慎重に見ていくと、野田政権による民主党内部での二世三世議員の暗躍をチェックして、野田グループの安定化を図る以上の効果は期待しにくい。
 

 4:早晩地盤を失う議員を選ぶ選挙


 
 まあくどくど前文を並べるのはよそう。こんな緊急の事情により、あれほど騒がれていたいまの選挙での全国の一票の重さのアンバランスも、「憲法の求める民主主義とは相容れぬもの」と最高裁よりすでに違憲判決まで出され、何よりも優先すべき選挙の準備作業なのだが無視されて、このうち比例代表区の大選挙区の定員の小手先細工だけは議決(実施はこの選挙の後に行われる)したものの、その後の人口動態により、現状は最高裁の判決のなされた時点より、いよいよ悪化している状態を放置したままの総選挙となってしまった選挙戦となった。制度自体が行き詰ったための選挙が、行き詰った選挙制度を残したままで戦われる。

 考えてみると皮肉なことになってしまった。私は日本の環境を考慮すれば、全国津々浦々の国民たちの様々な状況を知り、それらの声を聞きながら、日本的な単なる多数決だけを全てとしない国政が望ましいと思い、そのためには選挙区ももう少し大きくして、従来の中選挙区に復活するか、あるいは最高裁的な判断も採り入れて、二つの県を一つの選挙区にする程度に拡大してでも、大きめの複数候補が当選できる選挙区にした方が中央と全国の連携が強まると思っている。

 おそらく私のような声は、国民のかなりの層に達するだろう。そうすれば、今回の選挙制度により当選した議員たちは、自らが当選したその地盤そのものを否定する議案を通さねばならない使命を持った議員たちとなる。選挙の結果が注目される。



 5:違憲状態の選挙に乱立した立候補者


 この章の最後に、ちょっと選挙制度を振り返ってみたい。今回の総選挙は、「本来はわが国も二代政党による安定的な政権交代が行われるべき成熟した民主国家になった」などという国会議員たちの提案により、自民党内閣の時代に、自民党と民主党によって、それまでの中選挙区制を変更して採用された選挙制度である。

 私はこの判断は決定的に日本の実情に合わないものであると思うのだが、自民党も民主党も、この選挙法の改革さえしておけば、アメリカやイギリスのように、日本も自民党と民主党で政治が将来とも独占できると思ったのだろう。これらの西欧諸国においては、民主主義とは「51%のものが49%のものを支配する」制度だとの割り切った思想が政治を支配している。対立する二大政党は、どちらもほぼ拮抗した力を持ち、支持者を確り掴んで、いつでも政権が交代できるように準備を欠かさないで対決する。だが、日本は与党と野党の間に明確な政策上の対立がなく、しかもどちらの党も国民に定着していない。どちらの党にも属さないという国民が常に過半数になる国情を見ればよい。政治は様々な問題の解決を、どちらが勝つかの投票よりも、両者の話し合いの妥協で一致させることが理想とする国内心理も支配的だ。そんな中で小選挙区制の強行はどう考えても不自然になる。

 その制度変更により、議員定数は480名に増員され、しかも制度そのものが二代政党を求める小選挙区制の完全実施にはまだ無理があるとして、これとは全く反対の思考の下に比例区などが出来ている、一人定員の少数選挙区とは矛盾した、比例代表選挙の併用は、いよいよ選挙を奇妙なものに変更してしまった。お陰で比例区は、その内容がはっきりせず、選挙区制度で落選した議員の救済や、地域とはほとんど縁のない議員を大量に作り出す小選挙区制度の制度を否定する形のものになってしまった。

 これは地方区で敗れた議員に議席を与え、小泉内閣の時のいわゆる郵政選挙で大量の小泉チルドレンといわれる無名の議員を作り出し、前回の選挙では同じく民主党の小沢チルドレンを大量当選させた悪名高い制度だが、それがそのまま生き残る結果になる。
 
 この衆議院の総選挙に対して、選挙区立候補者は定員300名に対して1294名、比例区は180名に対して選挙区との重複立候補が認められているため、1117名もが立候補することになった。党派もこの選挙制度は米国などに見習って二大政党の対立と、相互の政権禅譲を予想したのに、二代政党どころか、約14もの名前も覚えきれない多くの政党の乱立する形になってしまった。当時の事情を知るものは均しく首をかしげる結果である。

 競争が4倍を超す衆議院選は、数からみれば、近来にない激戦である。しかも選挙区が細分され、定員も選挙区ごとに一名が中心で、選挙区割は国政選挙なのに地方自治体選より細分されたものになり、それに全国を十一に分けた中選挙区より大きい比例区が設けられている。しかも選挙区比例区の重複立候補が認められているため、国民には、選挙区選までが無意味に見える。

 加えて、国会で解散が現実化してきた前後から、僅かの間にまるで雨後のタケノコのように多くの政党が名乗りを上げ、その政党間で目まぐるしい集合離散が重ねられ、それは高次の日まで続いた。この制度、法の前の投票権の平等を原則とする憲法に違反すると指摘されている選挙なのであるからたまらない。総選挙の後には、早晩、選挙区割や選挙制度はもう少し増しなものに調整がなされるのは当然であり、制度が変われば議員たちの議員である根拠も崩れる。定員だって今の議員は多すぎるとの声が圧倒的だ。今回の議員たちの任期は短命に終わるだろうとの予想も有力である。

 いまや、政治において経済において社会生活において国際環境において、全ての点が明瞭に行き詰まりを迎え、大きな転換期に来ているのは明らかである。だいたい現状で満足な行政が実施できるのならば、解散自体がこんな状態のままで、行われるべきでなかったとも言えるだろう。

 だがこんな状況であっても選挙がどうしても必要だったのは、我が国の政治制度そのものが行き詰まり、曲がり角に来ていることを示している。政治環境は、機能マヒを明瞭に示す状況となっている。総選挙は議員の任期は短くとも、今後の政局ならびに日本国事態の進路に、変化が訪れるその第一歩にもなる。いや、そうならなければもう日本の現在の政治は、まともに運営ができない情勢に来てしまっていると言える。たとえ違憲だとされている選挙でも、この結果から、多くの未来に対する展望の足掛かりが生まれなければならない注目すべき選挙であると。

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