葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

天皇陛下のご入院

2011年11月10日 16時11分03秒 | 私の「時事評論」
 皇太子殿下が国事行為臨時代行に

 はるかに日本より離れた西欧のギリシャやイタリアの通貨危機や、アラブのチュニジアやエジプト、リビアなどの政争問題が騒がしい。それらは日本にも大きな影響を生みかねないと気をとられている間に、天皇陛下が東大病院に入院されたとのニュースが発表された。先日来、何やら宮内庁の動きの中に、陛下の御身に異変が起こっているのではないかと推測されるものが散見されるとは気がつきながらも、迂闊にもその実情を調べてみようとせず、遠くばかりを眺めていた自分の日本人としての注意力の欠如が、しきりと後悔される次第である。
宮内庁の発表によると、最近御公務が重なり、お疲れの模様であった天皇陛下は、気管支を病まれ、発熱が続いたために、このまま放置したのではお身体に障ると、文化の日の諸行事を、お熱を押しておつとめされたあと、検査の諸機器も整っている東大病院に入院されたという。78歳のお誕生日を間近にお迎えになる最近の陛下のお姿には、テレビなどで拝見しても、御休養が必要なのは誰の目にも明らかであった。

この半年間の洩れたまわるニュースだけを見ても、御公務が重なり、その上、東日本大震災の被災地や被災者のことなどを大変心配されて、連続してのお見舞いなどにも力を入れられ、お身体ばかりではなく御心労も深く、さらに大きなおつとめが次々に加わって、連日若い健康な者でもまねができない環境の中で、忙しい御日程をこなされていた。
陛下のお側にいて接していれば、お疲れはいよいよ明らかだったのであろう。入院された陛下の御身を心配された皇后陛下は、日に数回も入院中の陛下をお見舞いになられていたと報ぜられたが、その御表情は沈痛で、日頃、国民の前にお見せになるお優しくにこやかな御表情とは全く違ったものであった。皇后ご自身もお身体の調子は陛下同様に決して健康な状態ではなく、我々も心配申し上げている状態だったのだが、その後の情報によると、陛下のお熱もようやく下がられ、入院されたときよりもご快方に進まれた模様である。憲法に定められた国事行為に対しては、先の平成15年の陛下が前立腺がんの手術を受けられた時と同様に、陛下の臨時代行が置かれ、皇太子殿下がその役につかれた。
ひとまずは陛下には、確りご治療に専念されて、充分な御休養を取られて、健康のご回復が望まれるところ。さらに今後は陛下の様々な条件を考えた対応方針の整備が求められることになるだろう。


考えねばならない陛下の最近の御公務の多さ

 天皇陛下がご壮健で、これからも元気に活動いただきたいことは国民の均しく望むところである。そのためには方法として、陛下の御公務の削減あるいは御公務の他の皇族方への御移譲などの声も当然いままでよりも強く上がってくるものと思われる。
だが、言葉で漠然と御公務削減をはかれというのは易しいが、具体的にどうすればそれが可能であり、しかも皇室の伝統や尊厳を維持しながら可能であるかを考えるのには、考慮すべき幾多の問題もあると思われる。
陛下のお仕事をはじめ一挙手一投足は日本の文化全体を大きく左右するものであり、軽々しくこれを決断実行するのは、日本国・日本人の文化自体を不用意に破壊することにつながりかねないからである。
天皇というお立場と、天皇が日本に果たされている影響を、形式的にではなく、深く思いめぐらせて考えた上で軽減をはからねばならないものだろう。歴代の天皇は、その最も大切なおつとめとして、国民のために伝統的な宮中での御まつりをお続けになっていらっしゃる。それはわが国に西欧法の概念が伝わってきた明治いらい「祭祀大権」などという言葉があてられているが、日本国民の「大祀り主」として、自らの個人の私欲を捨てて、ただ国民のため日本国のために神々へのまつりに専念されるお仕事である。大変重いおつとめであるが、日本国をしろしめす天皇の御存在にとって、それが無ければ我が国の天皇とは言えないほどの本質にかかわる重大な御役目である。
天皇の御存在はわが国にとって、二千年以上の歴史を生き抜いてきた不断の精神的な柱である。初代の神武天皇が即位されたのが我が国の皇紀によれば2672年前に当たる。わが国の最古の史書「古事記」や「日本書紀」を見ると、御即位になられる以前の皇室の歴史は神話の時代にまでつながっていて、そのどこからが現実の歴史に転換したのかの定説はないが、霊統を継ぐには我が国の精神史では男系相続で一貫してきた。しかもこの皇位の歴史には断絶が無い。学者の中には神武天皇いらいの歴史が数百年間分、長いか短いかなどとの不毛の論争に明け暮れる連中もいるが、とにかく現存する国家で、しかも一系の精神的継承者として国の中心であった歴史を持つ例は、世界には全く比較できる対象がない。我が日本の天皇は、代々神武天皇とお名前をつけてお呼びする最初の天皇いらいの変わらぬ姿勢とお心で、まず日本国の代表として神々に皇祖神にそして先祖たちに祭りをされ、国民のために祈られてきた実績がある。
三千年に近いとされるその継続して変わらぬ天皇が、ひたすら続けられてきた祈りの歴史が、国民に陛下こそが唯一の国民を代表して、神さまと相接しられるかけがえのない存在であるという独特の崇敬心を生み育て、それが日本の法や政治の分野ばかりではなく、すべてを包み込んだ日本文化全体の核となっているのは、西欧的な理屈しか認めようとしない左翼を含めてあらゆる立場の歴史学者が認めるところとなっている。
その民族の統一の心の核である天皇の祭りと、祈りを一貫して引き継いで代々変わらず継承されてきた国民を思うお気持ちを総称して、我々は「大御心」と称しているが、その大御心に忠実に従われ、宮中でのおまつりに対応される「祀り主」としてのおつとめだけでも、陛下の玉体には大きく響き、ましてやご高齢の陛下には重いご負担となっている。
だからと言って軽率に、国民同士の世俗な争いごとを調整するために設けられた政教分離の方針などを安易に拡大解釈して、私心の全くない天皇陛下の宮中祭祀にまで適用して、その本質となる宮中でのお祭りに対する伝統的な陛下のお立場を変えてしまったら、その影響は日本文化そのものの質の破壊にもつながることになる。現代の功利的な思想渦巻く社会に唯一生きている、これこそ生きた世界遺産といえる皇室の本質を続けていかれることに、軽薄な唯物思想で安易に手をつけることは、「角をためて牛を殺す」こと、日本文化を破壊し去ってしまうことにつながるだろう。なかなか軽率にはお役目が重いからと、我々が安易に手をつけられない問題である。
それに加えて現代の日本国を代表されるお立場として、そのほかにも天皇陛下には御公務が多い。特に日本が戦争に敗れて、日本が西欧の占領の下におかれた混乱期に、日本文化の本質を深く理解できなかった占領軍や、それにより力を身につけた欧米礼賛者によって日本の基本法典である憲法が変えられてしまった後、現在の我が国の法律制度の世界では、「象徴天皇制」という、国会の選挙で選ばれた政党内閣が国の支配権を得て、その政府の部局としての内閣・その一局である宮内庁が天皇・皇室のお世話をする現在の立場になって、御公務は急速に増加される要因が生まれた。
こんな制度に法制度が変更されると、どうしても俗権である政治の実権を持った勢力の天皇の権威を有利に利用したいという思惑が、天皇の御公務にも絡んでくるようになる。政治の世界(政府ばかりではなく官僚の世界も含む)には、自らの権威が歴史の重みと国民の尊崇に支えられた天皇と比べればはるかに軽く、欠けるところが多い面を、陛下の国民全体に均しく尊崇されている権威により補おうと利用する傾向が強まってくるのは自然の勢いのようだ。
歴代の天皇には、わざわざお出ましを願わなくても済んだ式典や行事、あるいは陛下とのご会見などにまで、政界や官界、それとつながる様々な団体などが直接陛下にお出ましを願うことになり、新憲法のために増加したこの種の行事が大変な量になってきた。そのために戦前よりも大きく陛下の宮中祭祀へのかかわりが少なくされてしまっているのに、陛下に求められる御公務は急増している現状である。

{註}私がかつて、週刊新聞の編集・発行に携わっていたときに採用し、私がもうそろそろ引退すべき年齢に達したので後輩に道を譲ろうと退職した時まで一緒に働いていた仲間に斎藤吉久君という男がいる。彼が宮内庁が、御公務の削減を宮中祭祀の圧縮に求めようとする傾向を取り上げて、細かいデータを上げながら、新憲法下の宮内庁が、皇室の果たしてきた長い歴史に基づく宮中祭祀のお仕事と、憲法、とくに新憲法下の、たかが60年そこそこの欠陥多き規定に基づく陛下の行事との具体的量の推移を基にして、価値の重さを見失っていると噛みついてネットを中心に訴え続けている。私もこの問題には強い関心がある。彼の主張には聞くべき面が多々あると思うが、これ以上限られたスペースで天皇の宮中でのお祭りばかりに触れるわけにはいかないので、ネットを探って詳細はそんなところを参考にしてほしい。私のブログの最初のページにも、彼のブログは友人のブログとして紹介している。


皇族方も御心配なのだが

 加えて現在の皇室には、皇太子妃の精神面が誘因になった御病気という(これはお病気であるということだから、いくら私を無視した公のお努めに生きるお立場になられるお方であるとはいっても個人的にはあまり深入りしたくない問題だが)条件までが重なり、事態をいよいよ深刻にしているようだ。皇族は本来、天皇に準じて私なき公的なものでなければならないとされている。だが、病気は皇族といえども生身の身体に生ずるものでなんとも動かすことはできないものだ。そんな御事情が東宮家にあるので、なかなか陛下に求められている御公務を、皇太子殿下ご夫妻に現段階で代行願うわけには簡単にはいかないのだろうと拝察される事情もある。しかしこの状況はもう10年を越え、皇室の大きな問題、ひいては国民にとっても、解決方法が見いだせぬ憂慮すべき問題になってしまっているのは、国民にとっても残念なことである。
健全な皇室の環境が整備された本来ならば、天皇さまの御年齢に伴う公務執行に支障が懸念される事態が起こった場合、天皇の特権である御公務のうち、宮中祭祀など、陛下御一人の心に属する権限にかかわる行事の大半は、何らかの努力は払いながらも、天皇陛下御自身の祭祀の大権行使者として、御自身の御指揮のもとに残し、その他の政治や外交、儀式や社交、年中行事など、さらに憲法上の国事行為や政府はじめ関係者の陛下にお願いして行われている行為の大半は、皇太子殿下・同妃殿下や、それを補うそのほかの皇族方に御分担いただき、そんな対応により陛下の御負担軽減の柱としなければならないところである。
その例外条件として挙げたもの、陛下のお仕事の中には、いくら皇族方とはいっても、陛下以外には、歴代の皇祖より「大御心」の継承を引き継いだ玉体以外には決することができない性格のものも多く含まれている。それは日本の天皇というお立場が、日本独特の歴史に裏打ちされたもので、皇室の本質にかかわるものである。それをどうするかに関しては、陛下御自身の日本の神々や皇室の御祖先の歴代天皇などとのまつりなどでの対話や「うけひ」に基づいてのみ変更ができる性格のもので、臣下である我々などの干渉は慎むべき問題だと私は基本的には思っている。そのほかの新憲法的行事のいくつかなど、国民サイドでの合意や取り決めに基づいて決められた行事のほとんどは、将来の皇位を継がれるお立場であると定められている皇太子以下の皇族方に代行を願うべきところだと私は考えている。それも将来、皇位をお継ぎになる皇太子殿下をはじめ皇位継承権をお持ちの皇族方の精神的な御心構えとして大切なことだし、将来の起こりうる様々な事態を想定すると、この際、御修練をお願いしたいところである。


女帝論は諦めさせなければなるまい

最後にいま、またぼつぼつ持ち上がりそうな気配のある女系天皇論について一言しておきたい。私はどんなことがあっても軽々しく女系の皇位継承権の容認は持ちだすべきではないと思っている。皇位継承をどのように変更するかというような皇室制度の基本になる問題は、軽々しく変更を許されるような問題ではない。理論としてはこんなことを言い出すと非論理性に呆れられるかもしれないが、皇祖皇宗の神々や肇国以来の先祖たちの御霊からすべてが行き詰まり、我々が明日から皇室を存続させることは絶対にできないと決断した時に、皇室制度をあきらめるか、制度を変更して別の皇室を立ててでも行こうとするかを決断せざるを得ないときまで、進めては罰が当たりそうな行為だと思う。
女系天皇への変更をすることは、日本という国が数千年の長い歴史を通して作り出し、数千年にかかわる間にこの日本に生まれそして生涯を終えた先祖たちが、気の遠くなるような数多くの様々な経験を重ねる中で固まって続いてきたものの否定である。ただ目の前に指折り数えてみて、皇位を継承される権利をお持ちである方の数が少ないとか、あの方では相応しくないようだなどと軽々しく決定して良い問題だと受け取ってはならない。
日本の歴史を振り返って見るとよい。日本は男系継承によって御霊の継承ができるとの信念のもとに天皇制度を作りかためて、一貫した天皇がどんな時でも皇位を継承して二千数百年の間、同質の灯をともし続けてやってきた国である。時には簡単に次の継承者が見つからず、あるいは様々な問題があって、やむなく男系ではあるが女性の天皇が暫定的に皇位につかれることもあった。関係者が候補者が見つからず、国内を探し回ったこともあると伝えている。だが、それでも日本国のともした灯が消え、新しく点火した異質の火に明かりをつけかえることは避けよと、現在までやってきたのだ。
それを目の前に皇太子殿下をはじめまだ多くの後継者がおられ、若き皇位継承権者の宮様までおられるのに、ウロウロ女系継承論などで騒ぎたてるのは見苦しい限りである。それでも名誉ある天皇制度のもとに、それを誇りにして、日本人であることに誇りを持って胸を張って生きてきた人間といえるだろうか。
我々のなすべきことは、社長がいて後継者まで指名され認められているのに、「あの人は私の上司として相応しくない」などと、勝手に騒ぎたて仕事もせずに不満ばかりを述べる社員たちのような皇室制度を内側から変質させる寝返り国民になることではない。どんな困難な条件が来ても、最後の最後まで希望の灯をともし続け、そのために結束して護持しようと決意する国民になることである。
伝統や誇りは、この不屈の精神の中から守りぬく力が出て続けられる。これを忘れぬようにしていきたいものだ。
私は、そんな不屈で固い精神力があったからこそ、日本の皇室は世界に類の無い長い歴史を築いてきたのだと確信しているし、その皇室があったからこそ、この日本が世界に誇る独特の文化をはぐくみ続けてきたのだと確信している。


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1 コメント

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Unknown (前田)
2011-11-10 16:34:00
すこし、気が晴れた思ひです。
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