葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

「和魂洋才」はどこへ行った ①

2011年06月25日 16時18分41秒 | 私の「時事評論」
はじめに
神道と地震のこと、神道と原子力発電のことなどについて、最近、神社の世界でも俄かに関心がもたれるようになり、若い神社関係の人々を中心に、様々と活発な論議がなされ、それはインターネットの上などにも散見されるようになってきた。

あれだけの大きな地震が東日本に発生したのに・・。被害のあまりの大きさに、そしてたまたま、我が国の安全な発展を管理する国家機能が年々低下して来ているので、この問題では、将来に向かっての、まともな震災からの復興方針さえも国は打ち出し得ず、原発などは事故の後始末一つまともに進まないで、ワアワアと、まとまりもないうろたえの中に、何カ月もがむなしく経過している。だが事態は、少しも回復の方向へと向かっていない。最近の政治や社会の混乱を見て、日本はそんな事態になってきたのではないかと、国民はうすうす国家の機能低下を恐れてはいたのだが、直接その欠陥を眼のあたりにさせられて、「これは酷い」と大きな衝撃を受けることになった。

さらにこの地震の津波によって、「安全である」と国が度々胸を張って、国家発展のエネルギー政策供給の基本に据えてきた原子力発電所の一つ、福島の原発が津波で破壊された。
 充分な万一の事態への対策は打たれているものと国民は考えていた。とくに国の政治にかかわる全責任をもつ政府は、北朝鮮のミサイル発射問題などで、天災以外での緊急事態があることも、想定して対応策を完了していなければ無責任といえる。

 ところが政府や関係機関からは「想定外の事態が起こった」などと、信じられない呆れた言葉ばかりが口に出て、事故が起こってしまったあとから大騒ぎを始める始末。「安全なはずだから」と不測の事態が起こることさえ考えず、予防対策ひとつ、まともに打っていなかったことが表に出てきた。
聞くと国や原発の関係者は、絶対に安全だとの想定がなされているのに、その前提が崩れる場合のことなど考えるのは、考えることそのものが原子力利用という国の方針に弓引くものだとして、こんな方針で進んできたらしい。

 これはまるであの大東亜戦争時の日本が、作戦が負けると云う場合の研究をすることは、「愛国心が欠如している」として内部で牽制し合い、「想定外」は考えないようになり、だんだん作戦がおかしくなって戦局自体がまともに見えなくなり、冷静さのない無謀な作戦ばかりを展開して滅びて敗戦に至った、あの愚かなときと同じではないか。

 国の国民に向けての情報宣伝は、かつての戦時中の大本営発表と全く同質のものだった。政府は愚かにも同じ過ちを繰り返している。そしてこれは蛇足にずれるかもしれないが、こんな政府の動きをチェックしながら伝え続ける任務を負ったマスコミも、何の疑問も感ぜずに、そんな愚かな情報のみを国民に流し、国民に真実を知らせないようにする政府のスピーカーか宣伝マンに甘んじていることが証明される結果となった。
だが、事実は宣伝にかかわらず厳然と存在する。こんなバカな連中の思惑にかかわって、それに合わせて事態は進展してくれないのだ。想定しなかったことが重要な責任であるのも忘れて、想定外の事態が起きたなどと口々に叫んでうろたえ、国は放射能漏れに対する制御対応さえもできずに右往左往するばかり。恐ろしい事態を前に、事故をただ、小さなものだと自分らが思い込みたいばかりに「大した事故ではない」などとと希望的観測に基づくおかしな発表ばかりに終始して、対応は次々に手遅れになる。全貌さえもつかめずにどの段階でも対応が後手後手に回り、被害の拡大防止のために動いているのか、被害を大きくしようとしているのかもわからぬ騒ぎに終始している。現状は明らかに天災が起爆剤にはなったが、そのあと、無定見な政治によって、人知をもって防止できるべき人災が拡大している結果であると言わざるを得ない。

地震とは何か、天災とは一体何なのか。天災といわれるもの、我々が自分らの力では、どう踏ん張っても対抗できない自然の威力は当然あるだろう。だが天災は制御できないものであっても、どう取り組んだら被害を食い止められるのか。あるいは起こった後にどう対応すれば二次被害を減らして行くことができるのか。この方法はあるものなのだ。愚かしく「想定外」などといって双手を上げて逃げようとするより、「想定外」を極力減らす努力もできる。これは国の運営をするものにとっては、特別な姿勢が必要な基本的任務だと思う。それができていないと今回のように、天災が人災を誘発させて、国民の被害を莫大なものに広げてしまう。

 そんなものに我々はどう対応したら良いのか。我々の祖先たちは天災をどう受け止めてきたのか。天災や万一の事態をどう考え、それに対応しようとしてきたのか。政治とはいったい何なのか。政府は我が国にとってどんな機能と責任を持っているのか。様々と起こる混乱の背景には、そんなところから我々が、既存のおかしげな概念にとらわれず、基礎からもう一度考え直さなくてはならないことを示していると言えるのだろう。


予想し指摘していた問題点ばかりだ

日本国自体の構造が、最近、国家や国民というものへの意識が弱まり、軽薄なものになるにつれて、国を背負っている関係者の間でも弱くなり、責任感など浮き上がってしまっているのではないか。そんな思いはいま、人々の中に、はっきりと、認識されるようになってきた。責任ある国家の理想と、軽薄ないまの日本の体制とはどこが違うのか、それは一般の人には簡単に指摘できないところはあっても、あきらかにある。それをこの辺で再び明確にしないと漠然とした不安ばかりが大きくなり、いつ国が滅ぶかもわからない。そんな意識も強くなってきている。

 日本の国が生まれて以来、いや国の生まれる混とんとした時代から、数千年にわたって日本人の心をまとめる核であった日本の独特の信仰施設である神社。私はそこにかかわる活動に従事してきた。そんな立場の私から見ると、いまの日本は精神的に根なし草に見える。国の文化には、その国に生活する人々が、長年にわたって実感し、それを感じながら積み重ねた気風なり実績が基礎になっているのが理想である。それが、従来はしっかり存在していたのだが、どこかに消えてしまったのが最近は希薄になってしまった。それがここまで日本が緩んでしまった原因にも見える。

日本には、二千年を越す切れ目のない歴史がある。その歴史の上に現代の我国の国家や社会がつながっていれば、もう少し国がはっきりと見える状態になっているのではないか。何億何十億の祖先たちが築いた文化の様々な試行錯誤の経験の上に、その後の発展や改良を加えながら我が国が続いていれば、こんな無責任に見える国にならなかったのではないかとの声がある。

 いまの日本は伝統的な日本の文化、我々が生きる土壌であり根である部分とその上の出来上がった国などの組織との間に血が通っていない。血がつながっていないから接ぎ木した輸入の文化が生き続けることができないとの指摘だ。私も、その日本文化の近代化への接ぎ木の部分に、文化を継承していくのには、あまりにも無理な接続不良が存在し、それが結果としてこんな日本を作ってしまっているのだと思っている。


外国文化や技術を進んで受け入れてきた日本だが

日本はいま、欧米型の政治・経済機構を取り入れている。日本の歴史には、諸外国のすぐれた制度を移入して、それを我が国にも定着させようとしたことが何度かあった。古くは飛鳥から奈良朝時代の中国・朝鮮から漢字や仏教をはじめ様々な制度やものなどをとりいれた時代から、律令制度の取り入れの時代、武家政治の時代、維新の時代、明治開国の時代、昭和の敗戦の時代など、私は歴史の専門家ではないが、数え上げれば外来文化の取り入れは枚挙のいとまのないほどに多い。

だがそんな改良策をとりいれるに際しても、過去には失わずに貫き通す基本の姿勢が存在していた。それは俗的には「和魂洋才」というような用語で説明されてきたが、日本文化の建国以前から保持してきた独特の日本の個性は大事に継承しながら、海の外から我々の持っていなかった技術や知識も取り入れていくという方針だった。漢字という文字をとりいれても日本の従来のことばを考慮して改良する。あるいはかな文字などを付け加える。仏教を入れても日本伝統の信仰・神道との調和ができるように改良する。孔孟の教えを入れても、その天の意を天皇と読み替えて日本に合わす、皆そうである。

 日本という国には日本文化の全体を流れる血液のようなものがある。精神風土といったもの、日本独自の独立の意識、国や国民を守るやり方、言葉、住む人たちのお互いの交わり、共同作業のやり方、いろいろのものがある。それらを決して損なわないように外国から導入する技術などには工夫が施され、日本になじむようにして取り入れられてきた。

それがだんだんそんな配慮がなされずに、安易に直輸入される時代になってきて、日本が日本である個性が無くなり、国家の基礎に栄養が補充されず、枯れ死ぬ危機をはらむようになってきた。私はそう思っている。
しかし日本が急速に欧米化の道を進み始めた明治以降、それらの輸入するものが急激に多くなってきたのにつれて、危ないものが多くなり始め、とくに現代は野放図になった。

日本の歴史とともに生き、その心の支えになってきた思想、すなわち日本文化の血液に携わる人は、それを正常化させて、木に竹をつなぐ外科手術で、日本文化を枯れ死にさせる危機を救う義務があると考える。私は、日本の伝統信仰である神道を尊重する立場に立って、一生を今の日本に伝統的な神道意識を復活させ、政治にもそれを反映させたいと広報活動などをやってきた神道の関係者だ。私の成果はなかなかあがらず、そのうち私の方がだんだん年齢を重ねて、後輩たちにその座をバトンタッチせざるを得ないことになってしまったのだが、こんな時代にもなっているので、ちょっと私が言い残していると思われるところを、私論としてでもお示ししておく義務があるのではないか。

(つづく)



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