葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

選挙制度の見直しなくしては

2011年06月10日 14時28分42秒 | 私の「時事評論」




 政治のレベルを引き下げる小選挙区制度

 鳩山・菅と歴代首相が行き詰って、政界は大騒ぎになっている。

 震災対策ひとつまともに進まないので、国民のためにてきぱきと政治をする政治指導者を選びださなければいけないということには国民世論はほぼ一致をし、
一般の空気は党派の壁を外した連立内閣構想まで浮かんで注目されているのだが、その指導に当たる責任のある的確な人物が永田町に集う政治家たちの中に見
当たらないのだ。

 私はそんな日本にしてしまった元凶は目先のことのみ考えて、選挙制度をいじってしまった小選挙区制に問題があるとみている。そこを改良しなければ、い
つになっても政治のダッチロールは収まらないと観測しているのだが、みなさんの思いはどうだろうか。

 いまやっている小選挙区制度は「二大政党の安定的な政権維持」を目標にするとの宣伝のもとに、選挙区を細かく切り刻んで、中選挙区をとっていた日本の
状況を一人区を中心に細分化し、全国からその選挙区の過半の支持者を得たものだけで国会を作り出す制度に変更した。政治家たちがマスコミの応援を得て制
度を変更した結果である。
 ところがこれがその後の情勢をみる限り大間違いであった。小選挙区は定員一名の選出なので、どの地区からも、地区の既成の独占的利権を露骨に代表する
もの、あるいは浮動票の多い地域では、マスコミなどの宣伝に乗って、将来などは考えずにその時々の揺れ動く人気をつかんだものばかりが選出され、いまの
議員構造ができてしまった。



 目先の人気取りなどのみに流されず、国の在り方を考えてまじめに努力を積み重ねるようなタイプの実務経験者は、できないことなどを素人のように公約に
はしない。ヒステリックな手段を使って自分を訴える行動も取りにくいし選挙に弱い弱点もある。そんな候補者は締め出されてしまった。



 小選挙区制にはまだほかにも欠点はある。国政をどうするかを決める選挙なのに、選挙区はいよいよ小さな地域内の争いに絞られ、小さな地元のことのみに
絞った候補者しか勝てなくなったからだ。



 市会議員並みの議員ばかりが雁首並べ

 「選挙に金がかかりすぎる」のが、小選挙区にした一つの理由とされた。これだっておかしな話だ。確かに占拠に欠ける国費は若干増えるのかもしれないが、
選挙に金をかけるかかけないかは候補者の勝手だ。狭い地域のみで主張すれば、国会議員の資格があるというのなら、そんな議員は市会議員か村会議員となん
ら変わらない。隣の選挙区、遠い選挙区など関係ない争いで過ごした連中には、必然的に国よりも、自分の選挙区だけが大切になる。

扱う対象は国全体の政治なのだ。全国的な視野で、しかも目先だけではなく国の将来を考えて動くのが国会議員の任務である。小さな選挙区で選出されたのだ
から、国のことなど考えもしないし知識もないなどという者は、いくら金がかからなくとも、国会議員に選んでも、国を混乱させることはあっても、国のプラ
スなどにはなりえない。だが現実には、そんな連中ばかりしか当選しないのが小選挙区というものだ。



そんな面では私などは、国会議員選挙は全国区一本であっても、市会議員や区会議員のような議員のみ生み出すいまの小選挙区よりましだと思う。だいいち、
なぜ国会議員が生まれたのかを考えてみたらよい。直接投票で全国民の声をいちいち聞くことができないから、やむなく議員制度をとって議会を作り、それを
国民の声だとみとめることにしたのが始まりのはずだ。

国民の声を忠実に聞き政治をしたいのなら、なるべくそのようにするのが民主的だし、選挙で全国民の支持が高いものから順に議員を選ぶのが正しいと思う。
ただ、それでは票がある限られた個人に集まりすぎる。当選した議員が、どんなに得票しても、それぞれ一人一票しか行使できなくなると、国民の支持する声
が、国会の投票では結果的に小さくなり、逆に不平等も生じることになる。その難問をどう解決するか。得票数に応じて一人一人の議員の投票権を一人一票で
同じとはせず、得票数に応じて調整するか、いまのような政党を認める議会制度をとる状況の下なら、補助的に当選に必要だった以上の余剰投票を用いた比例
代表のダミー議員でも入れて投票すればよいだろう。国会に要する費用だってそのほうが安くなる。



それを選挙区をみじん切りの玉ねぎのように小さく切って、そこで国の議員を選ぼうとするから、チルドレンなどといわれる、誰も知らなく実績もない者が議
員の大半を占める。若いということは未熟さの証明なのに、それが何かの期待をされるような雰囲気で評価される空気が生まれる。

みんな、厳しく民意を中心に見ればおかしいのだ。こんな状況を放置していては、まともな政治などはできっこない。



  議員を作り出す畑は崩壊して

 いまのおかしな政治状況は、国民の真剣な政治意識などをなめ切って、低俗な宣伝ばかりを臆面なく展開したマスコミと、そんな空気を利用して人気投票のよ
うな空気に乗って政党政治を展開しようとする政治家が作り上げた民主主義とは関係ないものだ。

自民党の首相が一年交代で歳男のようにくるくる変わり、行き詰った挙句に政策さえも党内でまとまらず、何を主張しているのかわからないような鳩山内閣がで
き、それが最初はマスコミあげての礼賛の中に発足したのに、何をやるのか支離滅裂になって自爆して、今度は形容詞だけは連発するが、何もやらない、いや何
もやれない菅首相が出現した。

菅首相は総理の任務は、ただ自分が総理であり続けることが第一だとの信念を持ち、大地震や原発事故などという政治判断を必要とすることへの対応は、初めか
ら無理だったのだ。もういまや、首相が自分の意思で政治をするなどという、古い時代ではなくなっていた。

 小選挙区で政界は、昔の中選挙区時代、参議院の全国区の大選挙区時代とはすっかり変わって、国会議員はみな市会議員や町会議員のようなものばかりになって
いる。大連立をして国難を乗り切ろうとしても、いったい何ができるというのだろうか。



 いまの政情、菅首相に「やめろ」という声だけは一致していて強いが、ではだれを次に選ぶかに関しては切り札もない。国会議員を生み出す畑が荒れ放題で、人
物が生まれてくる土壌でなくなってしまっている。ないものねだりなどしてみたところで、そんなことのできる状況ではない。



 すごく遠いこと言っているように見えるかもしれないが、いま望まれるのは、日本の政治を破壊し尽くした小選挙区制を一日も早くやめることではないだろう
か。



 

お断り

 当面の政治環境だってうまくいっていないのに、それを根本から変えなければ意味無いなんて、また政治を遅滞させることになるのではないかとの反論は当然出て
くることだろう。

 それは私の意図するところではない。目先の政治の停滞は、全国民が政治家に対し、怒りの感情で尻をたたき、睨みつけてデモなんとか動かしていかなければなら
ない。

 ただ、いまの日本での政治はもう、一つ一つの政策を、すべて一億の国民が集まって協議するわけにはいかないだろう。民意をできるだけそのままに代表できる政
治家を選びだし、彼らが誠意と工夫と経験を重ね、まともな政治ができる環境を、一時も早く作り出さなければならない。

 そのことを主張しているのだと理解されたい。 (6月10日追記)


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