葦津泰國の、私の「視角」

 私は葦津事務所というささやかな出版社の代表です。日常起こっている様々な出来事に、受け取り方や考え方を探ってみます。

皇室でのおまつり

2009年02月10日 15時41分00秒 | 私の「時事評論」
天皇陛下のおまつり


 大変な変化が訪れています。毎日伝えられるのは、経済環境悪化の報道ばかり。それも景気波動のように徐々にではなく、まるでつるべ落としのように急に企業や業界が墜落する話です。日本も世界と共に地雷原を歩く感じです。
 国民の精神的な不安は限りもなく高い。明日がどうなるか分らないから、確りして欲しいのは政治です。だが、これがまた悲惨です。政府がだめというだけなら、政権が交代すれば期待もできる。しかし野党はどんなに国民が困ろうと、ただ自民党を潰す以外には何の目標も持たぬ連中の集まり。おそらく選挙の結果、政府が野党に移っても、これでは良くなることはないでしょう。世直し能力のある野党なら、もうとっくにこんな馬鹿騒ぎばかりはしていません。明日はどうなるか、国民はいまや、ただ神々に祈るだけの有様です。
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 しかしその祈りの世界にまで、大問題が立ちあがっています。有史以来、国民のために己を捨てて祈る日々を過ごす日本の祭り主・天皇陛下のご容体が思わしくなく、お仕事を減らさねばならぬ事態が起こっています。昨年来、宮内庁は相次いで陛下のご公務を軽くして戴く対応を発表しているのですが、それが陛下の国民に対する伝統的な信頼の基礎がどこにあるかに無理解で、お仕事から削る対象が専ら陛下の国民のための御祈りの軽減中心に向いているのです。
 いま、陛下にまずは国民のために神にお祈りをされる時間から減らして頂こうとする行為は、国民にどんな精神的な作用を果たすのか、考えてみたいものです。
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 陛下のご容体思わしくない今、お仕事を減らす努力は当然です。だが、何から始めるかは、実は我が国の天皇という制度をどのような性格のものかと認識する視点を基礎に見なければなりません。その選択には天皇制度の理解が明確に出てこざるを得ないからです。
 昭和天皇以前の天皇はほとんど宮中から出られませんでしたが、最近は天皇陛下もその他の皇族方もお手伝いされて、公の場へのお出ましが急に増えてきています。
 できるだけ多くの人に接し、少しでも国民の役に立とうとの大御心がそんな形になったのでしょうが、ご高齢でご体調が悪いという時は、それらの後から付け加えられたお仕事を一時的に中止され、または他の皇族方に暫定的にご委任願って、陛下は皇室の歴史とともにその御任務の柱であった国民のために神々に幸せをお祈りになる祭祀中心にお仕事を絞っていただくのがお傍に仕えるものの当然のやり方ではないでしょうか。
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 ほかのことは陛下以外でも代行できる。だが宮中の祭りは、日本人の精神生活の基本、上御一人、陛下だけのなされる尊いお務めなのです。祈りや祭りは、お金儲けのように、物質的な効用は証明できないが、人々が生きていく上の心の柱となるものです。陛下のお傍にいる官僚たちも、一時の憲法などよりもはるかに重い陛下の精神的権威がそこにあり、そこに陛下が国民とともに歩んできた力があることを十分に知って対応して貰いたいと思います。

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