捨てられた子猫「保健所に連れて行くなっ」 中川翔子がツイッターで呼びかけ、大議論に(J-CASTの記事より)
今年の6月頃、鶴ヶ岡八幡宮にお参りに行った時のことです。
源氏池の前のベンチに腰掛け休んでいると、60過ぎくらいの初老の男性が隣に座りました。
彼はリュックから袋いっぱいの鳥のエサを取り出すと、目の前にばらまき始めます。
するとみるみるうちに目の前に鳩たちが群がりました。
途中、スケッチをしたり足を休めに人が立ち寄っても、お構いなしに延々とエサをやり続けます。
他のところに寄った帰りがけにまだやっていたので、少なくとも二時間近くはそうしていたようです。
鳩にエサをやることは、もちろん善いことに違いありません。
しかし、彼のその頑なな様子に、寂しさというか孤独のようなものを感じました。
さて、世の中には慈善活動に熱心な人達が多くいます。
もちろん、そういったものを否定する気はまったくありません。
しかし、そういう人たちの心の中をのぞいてみた時に、大きく二種類に別れるように思います。
ひとつは、困っている人を救い自然を守ることで純粋に喜びを得ている人たちです。
もうひとつは、自分の寂しさや社会への恨みのようなものから行動にかられている人たちです。
では、両者の違いとは何でしょう?
前者の人たちは、自分たちの輪を広げようと、その喜びを伝えようとします。
対して、後者の人たちは自分たちがいかに正しいかを主張し人に押し付けたがるのです。
そして、同調しない者や社会そのものを否定することに力を注ぐようになります。
その効用は認めますが、個人的に後者のタイプはあまり好きではありません。
元がマイナスの動機から発せられたものである以上、かならずどこかに別の歪みが生じるからです。
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