Are Core Hire Hare ~アレコレヒレハレ~

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勉強ができるのと頭がいいのは違うのか?

2016-11-03 22:05:55 | コラム

将棋のプロ棋士、羽生善治氏「人工知能の時代。過去の勉強方法これから役立たず。」(テレビ朝日の記事より)

身内の話で恐縮なのですが。
うちの父は子どもの頃、いわゆる知能指数で「天才」が出た人でした。
(残念ながら僕にはまったく受け継がれていません)

でも、ここだけの話、息子の僕が話していて「賢いなあ」と思うことはまずありません。
確かに複雑な計算とかを空でやれるのですが、日常でそれが必要とされる場面なんてないですから。
むしろ実体験に関する記憶は苦手で、行ったところも会った人もすぐ忘れてしまいます。

また「マジックナンバー7」という言葉があります。
人間がとっさに覚えられる数字は「7つ」が限界という説に基づくものです(本当はもっと少ないようです)。
これは勉強ができるできないに関係なく誰でも大体同じです。

さて、何が言いたいかというとこういうことです。
「人は抽象的な認識力に比べて現実的な認識力の差は少ない」のです。

勉強という分野になると、特に理系科目はとんでもなく差がつきます。
2桁の足し算引き算も難しい人から、4次元の世界を脳内でイメージできる天才までいます。

しかし、そんな人たちでも現実世界の認識にはそれほどの差はつきません。
それに「抽象的な認識力だけ」優れた人や「現実的な認識力だけ」優れた人もいます。

前者は日常生活に無頓着な天才アーティストや天才学者のタイプです。
そして後者は「あの子は勉強はできないけど賢い」と言われる『サザエんさん』のカツオタイプです。

たまに「勉強のできる人と頭のいいのは違う」と主張する人がいます。
そういう人は「現実的な認識力」が優れていることを「頭がいい」と言っています。


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