都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

かわむら洋品店・美舟

2024-02-18 | 千代田区 
かわむら洋品店・美舟
所在地:千代田区 神田須田町1-34
構造・階数:木・2
建設年:戦前?
解体年:2019(平成31)
Photo 1996.2.20

 神田中央通りのひとつ西側の通りと一八通りの交差点に面して建っていた、二軒続きの銅板張り看板建築。角側は洋品店、北側(写真右側)はパンなどを売る菓子店。

 下記「ぼくの近代建築コレクション」には、1994年2月の写真が掲載されている。上写真(1996年)までの間に洋品店はアクリル製の庇を取り付けた。


 Photo 2005.3.27

 美舟の方は、2000年頃には廃業してしまったのかもしれず、店頭にあった自販機も撤去されている。ただ洋品店の方は2010年頃までは営業していたようだ。その後は自販機コーナーになっていたが、5年ほど前に解体された。2022年時点ではコインパーキングになっている。

あんくる、かわむら洋品店/須田町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 千代田区 #看板建築 #銅板張り看板建築 
ブログ内タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

笹村商店・岡谷商事

2024-02-15 | 千代田区 
笹村商店・岡谷商事
所在地:千代田区 神田須田町1-30
構造・階数:木・2
建設年:戦前?
解体年:2016(平成28)
Photo 2002.2.24

 靖国通りのひとつ南側の通りにかつてあった2軒の看板建築。現在はパークホームズ千代田淡路町という12階建てマンションになっている。
 角地の笹村商店はモルタル看板建築で、綿織物卸商。角から2軒目の岡谷商事は銅板張りの看板建築で、毛織物卸。


 岡谷商事 Photo 1996.2.20

 営業していた頃の様子。玄関前の台車には反物が載せられている。


 Photo 2014.3.16

 2014年に通り掛かったら、岡谷商事は銅板張りではなくトタン張りに改装されていた。ストリートビュー画像で確認したところ、2009年12月時点で既にトタン張りに替えられていた。

古い建物と街並みをもとめて: 神田須田町の建物巡り
岡谷商事、笹村商店/神田須田町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 千代田区 #看板建築 #銅板張り看板建築 
#モルタル看板建築 ブログ内タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

角地梱包(株)車庫

2024-02-12 | 千代田区 
角地梱包(株)車庫
所在地:千代田区 神田須田町1-26
構造・階数:木・2
建設年:戦前?
解体年:1996〜97(平成8〜9)
Photo 1996.2.20

 中村邸同様、神田中央通りのひとつ西の裏通りに面して建っていた。

 周囲はこの頃既にコインパーキングになっており、この建物もこの写真の後しばらくして解体された。だが長い間、銅板張りの2階屋(90年代以降は倉庫や車庫)として使われていたようだ。

 少し東側の中央線の高架沿いには同名の会社があり、そちらは装飾的なモルタル看板建築になっている。


Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 千代田区 #看板建築 #銅板張り看板建築 
ブログ内タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中村邸ほか

2024-02-09 | 千代田区 
中村邸・旧SHK
所在地:千代田区 神田須田町1-26
構造・階数:木・3
解体年:2003〜05(平成15〜17)
Photo 1996.2.20

 神田中央通り(旧中山道)のひとつ西側の裏通りに面して西向きに建っていた、大型ギャンブレル屋根の3階建て。住宅地図等から推測するに左右2軒になっていたようだ。

 住宅地図によれば、北側(手前側)が個人宅。ただ入口がシャッターなので、かつては何らかの店だったのではないかと思われる。南側は1970〜80年代はSHKという会社(業種は知らず)、90年代は空き家だった模様。

 妻面はモルタル壁で屋根はトタン葺きだったようだ。建設年代はわからないがギャンブレル屋根の3階建ては戦後はあまりないと思うので、震災後から昭和戦前期のものだったのではないだろうか。

あんくる、かわむら洋品店/須田町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 千代田区 #看板建築 #モルタル看板建築 
#ギャンブレル屋根 ブログ内タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

須田町ビル/神田きくかわ

2024-02-06 | 千代田区 
左:須田町ビル/右:神田きくかわ
所在地:千代田区 神田須田町1-24-6/-2
構造・階数:RC・3
建設年:戦前/戦中〜戦後まもなく?
解体年:2005〜07(平成17〜19)
備考 :角地にある「神田きくかわ」のビルは現存
Photo 2000.6.3

 神田の須田町交差点、神田中央通りに面して建つRC造3階建ての2棟の商業ビル。

 左側の須田町ビルは、1935年発行の火保図で既に須田町ビルと記載されているので、戦前に建てられた建物だったらしい。上写真の後、下写真までの5年間に北側1/3は部分的に撤去され、左端の1スパンがなくなった。そしてその後の2005〜07年には全体が解体され、跡地にはACN神田須田町ビルが2008年9月に竣工した。
 装飾はあまりないが窓まわりの壁が少し後退して柱型が見え、2階と3階の窓の間に装飾が少しある様子はやはりクラシックなビルならではだった。


 Photo 2005.5.18


 Photo 2005.5.18

 角地にある「神田きくかわ」のビルは、昭和初期の時点では完成していたかどうか不明。この時点では後に須田町ビルに入居するてんぷらの「天米」が角地に存在していた。
 「神田きくかわ」は、同社のWebsiteによれば終戦直後に現在地で創業したそうだ。戦後の火保図(1950年発行)では角地のビルは「唐沢ビル」と記されているが、その中にはうなぎ屋も既に書かれている。また1973年時点では、現存する季節料理「恵比元」も記載されている。ただ、現在は全館が飲食店のようだが、1970年代頃までは他にも電気会社や法律事務所なども入居していたらしい。
 「神田きくかわ」と「恵比元」が入居している角地のビルは現存。縦長の窓上にアーチ型の装飾が並ぶ様子は近代建築っぽい感じ。現在はえんじ色っぽい外壁になっているが、当初はどんな色だったのだろう。

神田きくかわ
神田きくかわ、須田町ビル/神田須田町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 千代田区 #古い建物 千代田区 
#商業系 #近代建築 ブログ内タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

須田町医院

2024-02-03 | 千代田区 
須田町医院
所在地:千代田区 神田須田町1-20
構造・階数:木・3
建設年:戦前
解体年:2005(平成17)
Photo 2005.5.18

 中央通り(旧中山道)のひとつ東側の通りに面していた木造3階建て医院。戦前の火保図(1935年発行)で既に医院と記されているので、恐らく戦前の昭和初期とかの建物だったのだろう。

 下記「ぼくの近代建築コレクション」には1987年1月の写真が掲載されており、この頃までは医院の看板が掲げられていたようだ。1993年発行の住宅地図でもまだ医院となっているが、1998年には医院の記載はない。

 私が撮影したのは解体直前だったようで、2006年の住宅地図ではコインパーキングになっていた。その後10年以上そのままだったが、2年ほど前に南側のビルも含めて新しいビルが建設されたようだ。

 建物の玄関扉は奥まった位置にあり、その玄関前に折り畳み観音開きの木戸があるのがちょっと珍しかった。

東京ファスナー、他/須田町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 千代田区 #医院 ブログ内タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

上市園

2024-01-30 | 千代田区 
上市園
所在地:千代田区 神田須田町1-12
構造・階数:木・2
建設年:戦前
解体年:2019(平成31/令和元)
Photo 2014.3.16

 靖国通りから南に入る小路に面してあった出桁造り商店。看板には「銘茶、乾海苔、食料品」とあった。

 戦前の火保図(1935年発行)に既に名前は記載されているので、建物も震災後から昭和初期のものだったのではないかと思われる。ただ、戦後の火保図(1950年発行など)を見るとそちらには「渡辺やすり商店」とあり、1973年の住宅地図でも「渡辺やすり製作所」となっている。しかし1982年の地図では上市園(渡辺)になっているので、40〜50年前に業種を変えたようだ。

 下記「ぼくの近代建築コレクション」内の記事やGoogleストリートビューの画像で確認したところ、2009年の画像までは2階の屋根も瓦葺きだが、2013年でそれでは2階がトタン葺きに換えられている。

 その後は訪れていなかったが2019年6月に通り掛かったところ、ちょうど解体中だった。都心では銅板張り看板建築だけでなく、出桁造りの商家建物も次第にかなり少なくなっている。

上市園/神田須田町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
アクトデザイン凛太郎のブログ 松本家住宅主屋 + 上市園

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 千代田区 #木造店舗 #出桁造り ブログ内タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋田接骨院・珈琲の店びいんず

2024-01-27 | 千代田区 
秋田接骨院・珈琲の店びいんず
所在地:千代田区 神田須田町1-10
構造・階数:木・2
建設年:戦後まもなく?
解体年:2014(平成26).4
Photo 2011.10.9

 2軒の店が入った妻入りのモルタル看板建築。戦後まもなくの時期に建てられたのではないかと思うが、戦前の可能性もあり詳細は不明。昼間の写真を撮り損ねてしまったため、手もとにあるのはこの一枚のみ。

 撮影した時期には接骨院と喫茶店になっていたが、ここの店舗はずっと同じだったわけではなかったようだ。戦前の1935年の火保図では小林医院?、戦後の1950年の火保図では水谷歯科、1954年作成・1959年修正の火保図では菊地歯科と信濃デンキと記されており、戦前から戦後にかけて医院がいろいろ替わっている。

 その後、1973年には大京印刷・オクムラネーム店、1982年にはコーヒーびいんず・オクムラネーム店と記されている。びいんずという喫茶店はこの頃からのもののようだ。

旧村木商店、びいんず/神田須田町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 千代田区 #看板建築 #モルタル看板建築 
#夕景・夜景 ブログ内タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神田多町通りの看板建築

2024-01-24 | 千代田区 
多町通りの看板建築
所在地:千代田区 神田須田町1-10
構造・階数:木・2/3
建設年:戦前?
解体年:2012〜13(平成24〜25)
Photo 2011.10.9

 靖国通りから南に入る多町大通り沿いにあった一連の木造店舗群。これも日中の写真を撮りそびれてしまった。撮影時点で既に「建築計画のお知らせ」看板が設置されていて解体間近だった。ただ、その際はまだ詳細が決まっていなかったらしく、実際の解体は翌年以降だったようだ。

 拙ブログの写真では画像が暗くてよく分からないが、下記「ぼくの近代建築コレクション」内の写真によれば、右端の「COFFEE AIKO」とその左隣、「EDWARD'S」の看板庇のある平入り2階建ての建物は、2階が銅板張りの看板建築だったようだ。「中華料理 支那」も銅板張りかトタン張りの平入り看板建築。

 銅板張りの看板建築だったなら、関東大震災後の大正末期から戦前期に建てられたものだったのかもしれない。消失前の時点の店が最初の頃からあったわけではなく、戦後の火保図や住宅地図を見ると、戦後すぐの頃はゴザ屋や菓子店だったりして、その後の様子とはかなり異なる。

 一方、写真の中華料理の支那は1980年代から、またEDWARD'Sも1990年代から営業していた。右端の喫茶店AIKOは1950年代には相子という菓子店、80年代頃からは同名の喫茶店になったようで、業態は異なるがこちらは60年程度に渡って営業していたようだ。

支那、相子/神田須田町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 千代田区 #木造店舗 #看板建築 
#夕景・夜景 ブログ内タグ一覧
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

池田屋ラシャ店

2024-01-21 | 千代田区 
池田屋(柏山邸)
所在地:千代田区 神田須田町1-5
構造・階数:木・3
建設年:大正末
解体年:2012(平成24)
Photo 1995.6.3

 須田町界隈には紳士服の生地である「ラシャ(羅紗)」を扱う店が多く集まっていた。交通博物館のそばにあった池田屋もそのひとつ。

 建物は銅板張りギャンブレル屋根(マンサードと言われたりもする)の屋根裏3階建て。ギャンブレル屋根に特有の腰折れが右側だけでシンメトリーでないのは、後年3階に押入を増築したためという。

 上写真の1995年時点では「池田屋」の袖看板も出ていたが、下記「ぼくの近代建築コレクション」掲載の2003年時点では既に袖看板が無くなっており、この頃には廃業していたようだ。


 北東側から Photo 2011.10.9

 屋根裏3階になっているのは道路側で、後方は2階で屋上(物干し台・物置)になっていた。


 Photo 2005.3.25

 銅板張りのギャンブレル(マンサード)屋根3階建てはやはり次第に少なくなっていて、都心では数えるほどになっているのではないかと思われる。池田屋の外観は銅板張りが比較的きれいに維持されていた。千代田区景観まちづくり重要物件にも指定されていたが、10年ほど前に残念ながら解体された。

池田屋ラシャ店/神田須田町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
池田屋千代田遺産
神田須田町の銅板葺き看板建築 - 御光堂世界~Pulinの日記
千代田区神田須田町~ありがとう、90年。神田銅板建築 柏山邸お別れ会
  - 東京 DOWNTOWN STREET 1980's

続・東京銭湯お遍路 看板建築。

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 千代田区 #看板建築 #銅板張り看板建築 #ギャンブレル屋根 
ブログ内タグ一覧
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする