赤羽にて

ブロック造のアプローチ階段
所在地:北区赤羽西1-16
Photo 2011.1.19
とある住宅だか作業所の庭かなにかへの階段。コンクリートの基礎は最近打たれたらしく比較的きれいだが、上方の扉まわりはパイプ類を組んだだけで扉にはガラスも入っておらず、なんだかアバウトな感じ。
コンクリートブロックを3列に並べて積み上げているが、幅約60cm、蹴上げ・踏み面約20cm程度だろうか。狭く急で柵も手摺もない。勝手口的な階段とはいえ、結構危なっかしい。上から勢いよく扉を開けて出たらそのまま転落だ。
失礼ながら、これだから非計画的な階段はおもしろい。設計したら普通はできてこない。もしこういうのを設計したらあざとくなる。素だから、気になる。
#階段・坂 北区
スリバチ学会・フィールドに行く。最近、参加率高いですね、と言われたりしたが、確かに・・・。9、10、12月、そして今回と連続参加してる。
いつもは引率したり、単独で調査したりしてるので、雑談もできないし、引率責任みたいなものを感じてしまうが、「スリバチ」は、あまり考えないで、なんとなくついていくのが気楽で、面白くなっているのかも。会長さんは、いろいろ大変なんじゃないかと思うけど。
階段、階段・・・。
でもって、やっぱり私はスリバチでも階段に反応しがちなのでした。
ただ、最近は前を行く人が、階段ですよ~と知らせてくれて、待ちかまえてたりするので、ちょっと焦る。特に気の利いたことは言えないです・・・。

所在地:北区西ケ原4-52と53の間
段数 :10段
Photo 2009.3.28
擁壁に挟まれて幅が狭く、わずかにカーブしていて奥を見通すことができない。階段じたいは小規模だが、両脇に住宅が聳えるように建ち、意外におもしろい階段だ。
階段下は開けているが、上り始めると両側が迫って閉鎖的な空間に入り込む。更にその先、ブロック塀に挟まれて路地が数十m続いている。逆に言えば、上から来れば開けた場所に急激に飛び出すわけで、そのギャップもよい。

同じ階段を上部から撮影。参加の女性が跳ねるように下りて行ったのが印象的だった。
ステップの踏み面奥行きが長く、一段を一歩で下りようとすると、大股になるか少し跳ぶようになる。高齢者のように一段を二歩で歩くほどでもなく感じられるので、一歩ずつで下りるのだが、そうすると一歩ずつブレーキを掛けるのが面倒になって、結局、加速していってしまう。もちろん、緩傾斜でステップを踏み外す心配もなく、10段しかないので、少しぐらい駆けても大丈夫だという想定も、駆け下りることに繋がったのだろう。階段の形が歩き方に影響を与えていることに改めて気づく。
スリバチで歩く谷地地形の場所には、高低差があって斜面があるので、そこには往々にして階段があるわけで、スリバチを歩けば階段に出会うのはある意味、当然のこと。
ただ、同じ斜面上にあっても、原地形の違いと宅地化の状況その他によって、階段の様相はそれぞれに異なってくる。同じものにならず、一つ一つ個性を持つところが面白い。それぞれの階段の表情と、その周辺の景色は一つとして同じにならず、全て異なる。
今回のエリアは、谷底と台地上の高低差がそれほど大きくないこともあってか、石神井川沿い以外にはあまり大きな階段はなかった。実は新板橋駅のそばに大きな階段があるんだけど、今回はそちらには行かず、これはまたの機会に調査モードで行こうかな~。
いつもは階段がある場所につい行ってしまうので、今回のような歩き方は面白かった。
今回のルートは以下。東へ西へとくまなくこのエリアを巡った感じ。ところで、某氏のGPSロガーの記録では13km以上だったらしいが、Google Map上で線を引いてみたら10.7kmと出た。3km近い違いはどこから来るのだろう?
スリバチ・フィールドマップ-20090328
#地形
岩淵水門
赤羽駅から歩いて岩淵へ。岩淵リバーステーションという船着き場から、国土交通省荒川下流河川事務所の巡視船「あらかわ」に乗り、荒川を見学しながら下る。

旧岩淵水門
建設年:着工1916(大正5)、完成1924(大正13)
備考 :1995(平成7)産業考古学会推薦産業遺産
2006(平成18)東京都選定歴史的建造物
Photo 2007.6.25
岩淵の水門(旧岩淵水門・赤水門)は鮮やかな朱色に塗られた水門。老朽化したため、少し下流側に新しい水門が造られ、現在は使われていないが、近代土木遺産として重要な施設だ。クラシックで重厚感があって、存在感がある。新しい水門は明るい水色に塗装され、機能的にも優れているのだが、どうもこちらの古い方が美しく魅力的なお姿。なんでだろうな~。
関連サイト、関連記事
岩淵水門(Wikipedia)
kaoru photo...2 > 赤羽・赤水門
さて、東京を洪水から守るために開削された荒川。私の母などはいまだに荒川放水路と呼んだりする。1911(明治44)に着手して、1930(昭和5)に完成したそうなので、母が子供の頃は、放水路としてできた川という印象が今よりずっと強かったのだろう。また昔の地図をみると、荒川ではなく確かに荒川放水路と書かれている。いつの頃から「放水路」が取れてしまったのか知らないが、単なる荒川になったお陰で、これが人工河川だと知る人は少なくなってきている。知らなければ、幅が500mもある川が人工のものだとは思いもよらないだろう。
添乗員の方が詳しく説明をしてくれるので、いちいち頷きつつキョロキョロ。荒川下りというと舟遊びみたいに聞こえるが、どちらかというと大人の社会科見学モード。解説は、荒川建設の顛末から、荒川が果たす役割、近年の環境保全や、さらなる防災強化などなど、実に多岐にわたった。ぼんやり船に乗ってお話を聞いているだけで、いっぱしの荒川通になれるというわけ。でもって船はいつのまにか下流へ。航行中の撮影は難しかったので途中の写真はほとんどなし。
巡視船「あらかわ」乗船について等は、下記HPを御覧下さい。観光船ではないので、定期運行はしていないようですが、団体での見学や視察等での利用が可能です。また、時々体験乗船イベントなどもあるようです。
荒川流域のポータルサイトARA
荒川知水資料館
#古い建物 北区 #海・川・池
赤羽シリーズ、ラスト。Photo 2007.6.25

1番街シルクロードの西側は赤羽1番街。おりょ、なんか名前が似てるけど良いのかしら。

ここも道の両側が共同建物。タイル貼りの鉄筋コンクリート3階建てだが、改修等によってペンキで白く塗られている。1階は全て店舗。2階は縦長の窓でガラスが4つ割りになっていて、観音開きまたは押し開きなのが特徴的。ところが3階は横長の窓になっている。しかも外見上は、2階の階高がかなり高く、逆に3階は相当階高が低く見えることも謎。1番街の両側の建物が全てそういうデザインになっているのに気が付くと、不思議な感じに思えてくる。

時間があまりなかったので、よく調べなかったのだが、この2、3階、そして屋上はどうなっているのだろう。上階は店舗としては使われていない様子。事務所とか倉庫なのだろうか。また、共用の廊下があるのか、長屋状にそれぞれの階段から上がる構造になっているのかなど、写真を見る内にいろいろ気になりだした。
実はこの北側のゾーンにも、もう少し新しい感じの共同建物がある。またそちらには、廃業したと思しき映画館の建物も残っている。昭和20~30年代の街並みの痕跡が残る赤羽。ややマニアックかもしれないが気になる街だ。
#街並み 北区 #古い建物 北区 #商業系
赤羽駅東口界隈、なぜかしつこくつづき。Photo 2007.6.25

1番街シルクロードの少し西側にあるのは明店街。4m程度の道幅の両側にここでも共同建物が建つ。戦後に整理されてできた街並みなのだが、路地裏的なスケール感があり、闇市の名残のような雰囲気があるのが面白い。区画整理がされているので、交差点は面が取られている。ところでこれは木造なのかなぁ。

駅に近い側はOK横丁。お昼過ぎは、まだほとんどのお店が開店前で人通りも少ない。こちらは2階建ての木造店舗が長屋状に連なる街並みになっている。しかし、横丁ってのは写真に撮ってみると電線だらけなことが多い。

OK横丁わきの路地。そろそろお店の人が忙しそうになっている。
#街並み 北区 #古い建物 北区 #商業系
1番街シルクロード Photo 2007.6.25

駅広場の北側から伸びるアーケード商店街は、思いっきり昭和テイスト。2階建ての共同建物の間にテント幕の屋根が架かり、直管型と白熱球型の蛍光灯が無造作にぶら下がっている。でも後で写真をよく見たら、白熱球タイプは3つずつジグザグに並んでいた。一応、計画的に設置されているみたいだが、素っ気なさ過ぎ。まあその殺風景さがここの個性ってことかも。

お昼過ぎの商店街はまだ静か。ホルモン焼きの飲み屋も開店準備中だった。
ここのアーケード、屋根を支える柱が最初は見あたらなかったので、両側の建物に載せられてるのかと一瞬思ったが、よく見ると、やはり柱があって自立した構造体だった。ただ上物が軽いらしく、柱が細く、その間隔も長い。トラス型の梁が2階の軒先に長く連なり、アーチ型のパイプとテンションパイプで屋根を支える、かなり簡単な構造の幕屋根。
いまどきの立派なアーケード商店街とは全く異なるが、庶民的なアーケード商店街にはまた別の魅力がある。
#街並み 北区 #古い建物 北区 #商業系
#アーケード
赤羽すずらん通り La La ガーデン

Photo 2007.6.25
ここのアーケードは幅がかなり広くて規模が大きい。アーケード内にも車道と歩道があり、その境目にアーケードを支える柱が立っている。
御存知の方もいらっしゃるかも知れないが、日本のアーケードは基本的に自立型。沿道の建物に構造体を載せてしまうことは出来ない。再開発建物などの公開空地内のアーケードは別だが、いわゆる商店街のアーケードは、沿道建物とは別に柱を立てて、道路上に架かる屋根を支えている。
詳しい理由は知らないが、木造建物が多かった時代に、アーケードをそれらに載せると、火事になったときにアーケードも倒壊してしまうから独立構造とすることになったのではないかと思う。路上に余計な柱が立つので、見た目は悪くなるし、沿道建物との一体感もあまりできないというデメリットはあるのだが、逆にアーケードが自立しているので、沿道で建て替えがあったり、駐車場等の空地になってもへっちゃら。
欧米のアーケードは日本とは違って建物の上に載っていることが多い。建物が煉瓦造や石造なので、もし火事になっても、壁体が残るから気にならないのだろうか。同様に、信号機や街路照明も壁面に取り付けられているし、市内電車の架線も壁面から空中に架設されている。これらは、沿道建物が基本的に建て替えられないことを前提としている。
さて、角地にあるサトウ薬局の建物は、面が取られている(交差点に面したところが斜めにカットされている。)が、アーケードの屋根がそこまでご丁寧に付いている。だが、その下には柱がない。前述のように、建物に寄りかかるわけにはいかないので、ここの緑色のアーケード庇は本体の方から伸ばしているらしい。頑張って伸ばして、薬局の建物までくっつけている。だらーんと下がってしまわないか、ちょと心配。
で、サトウ薬局の建物。いかにもな昭和30年代系建物なのがよい。ネオンサインは昔から変わってない様子。今でも電気点くのかしら? 上の方には「ご宴会・ご会食・仕出し、いけ増」の広告塔。こちらも年代物。
と、ここまできて、屋上の手摺が奥の方へ繋がっていることに気づく。角地のサトウ薬局だけ、壁をクリーム色に塗り直したらしいが、どうやら何軒かがまとまった4階建て共同建物らしい。
赤羽の東口界隈は、戦災復興区画整理が行われた場所(戦災第33地区)。昨日の記事の場所も区画整理地区内で、鰻屋さんは木造で再建したわけだが、こちらでは区画整理で土地を整形した後、そこに不燃共同ビルを建てたようだ。アーケードが付いて見えなくなっているが、よく見ると結構モダーンな建物。この素っ気なさ、意外といけてる。
東京都建設局:道路/震災・戦災復興区画整理
さて、余計な心配かもしれないが、こういう建物って、老朽化したら建て替えとかはどうなるんだろう。敗戦後60年以上たち、戦災復興からも50年程度が経過すると、そろそろ戦後第一世代の建物の行く末が気になり出す。
#古い建物 北区 #街並み 北区 #商業系 #アーケード