夢と希望と

そして力と意志と覚悟があるなら、きっと何でも出来る。

TOV劇場版。

2009-10-04 | 中身
 コレの為に箱を購入し今回PS3をも購入したという筋金入りのテイルズファンな友人に誘われまして、公開初日に観に行って参りました。まぁ個人的にはゲームとして良作であるとは思いますが映画を観に行く程ではない、というレベルなのですけれど……チケットに加えて夕食も彼女持ちという事であれば特に断る理由もありませんし。
 結果としては、かなり微妙。
 まずゲーム本編の前日談である筈なのに、繋がる要素がほとんど見受けられません。というか、コレはパラレルワールドなのではないだろうか、と思われる程の矛盾っぷりが多々見受けられます。脚本を書いた人間は本編のシナリオを読んでいるのだろうか、と疑問に感じてしまいました。ゲーム本編中で「人魔戦争終結後10年」と書かれているのに、数年前という設定の筈のこの映画において「人魔戦争終結10周年記念式典」が行われている、なんてのは序の口。ユーリとフレンが二人で世話していた筈のラピードがフレンと全く接点が無かったり、ラピードのブラスティアの出所が結局不明だったり、表向きは立派な騎士団長であった筈のアレクセイが露骨な悪党になっていたり、アスピオから表に出ない筈のリタが都合良く近くに住んでいたり、ゲーム本編の途中までギルドの存在自体を知らなかった筈のユーリがこの作品中でギルドの人間と共闘していたり等々、ゲーム本編を一通りプレイした身からするとかなりアレな食い違いが各所に点在していました。
 そして、上記の問題点なんて些細な事だと笑い飛ばしてしまえる程に致命的なポイントが、物語のラストに存在しています。一連の騒動の黒幕であった男をユーリとフレンが共謀して抹殺するのですが、コレはもう何と申し上げましょうか、フレンというキャラクタを根底から引っ繰り返す行為です。
 ユーリは自分の信条に従い行動する男であり、ゲーム本編においても不倶戴天とみなした相手は抹殺しています。要は「気に入らない存在は自分で斬り払う」というキャラクタですから、初めての相手が執政官であろうが軍師であろうが大差は無く、問題は時事系列の矛盾に留まります。しかしフレンは「罪を犯した者を裁くのは人ではなく法であるべきである」という信条の持ち主であった筈。証拠を揃えて黒幕を捕らえ、適正な法の裁きに委ねる事こそが彼の取るべき手段であり、ユーリと一緒になって私刑を行い、挙げ句の果てに偽装報告書を提出して自らの行いを隠匿するなど、彼の信条に著しく反する行為です。コレではゲーム本編において、ユーリを責められた立場ではありません。
 法が必ずしも個人の味方では無い、という現実に対してどのように行動するのか。ユーリは法を無視して護りたいモノを自身の手で護り、フレンは法に従いながら法を適正な形に改めようと努める。その対比こそがこの作品の肝であると私は捉えているのですけれど、二人揃って無法者にしてしまっては、それこそ台無しというものです。

 ……等という事を食事しながら話しましたところ、友人に言われました。曰く「あのねぇ、そんなのはどうだって良いの。ユーリ格好いい!フレン可愛い!って言う為だけに観に来てるんだから。だいたいオフィシャルだろうと同人だろうと他人の作品なんて、完全に満足出来る訳ないって事は承知の上なの。元から他人に完璧な構成を望むのが間違ってるの。特に映画なんてのは大衆芸術で、求められてるのは最大公約数的な面白さなんだから、個人的な信条の部分で多くを期待するのが筋違い」、と。
 さり気なく事象の核心を突いた意見で、むぅと唸るしかありませんでした。確かにオーダーメイドの一品物ならばいざ知らず、大量生産の既製品が身に合わないと言って騒ぎ立てるのは美しくない行為かも知れません。既製品が身体に合わなければ裸で歩けば済む事で、ならば堂々と歩ける裸であるように頑張りたいモノです。
コメント (4)
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