夢と希望と

そして力と意志と覚悟があるなら、きっと何でも出来る。

思わぬ所に潜む竜。

2015-11-09 | 中身
 キン肉マン、という漫画があります。日本人なら誰でも名前くらいは聞いた事があるのではなかろうか、という程度には有名な作品です。幼少期に大流行しましたから読んだ事はありましたし、一度読んだ漫画の内容は大抵の場合一言一句違えず記憶しています。
 とは言え、この作品は全く私の好みではありませんでした。論理的整合性などというモノは、そもそも大抵の少年漫画において省みられる事はありませんけれども、キン肉マンにおきましては幾らなんでも度が過ぎていました。登場人物の思考形態も共感し難く、言っている事はコロコロ変わって一貫した流儀があるようにも感じられません。ストーリーの筋としても、別にどうという事もなく凡庸で……極めて幼稚で稚拙な漫画という印象でしたし、それは先日改めて読み返してみても覆るものではありませんでした。

 ところが少し前からWebにて連載されている続編は、どうした事か面白いのです!論じるに足らぬような作品であった筈の前作から巧みに伏線を拾い上げて昇華し、キャラクターにはそれぞれの流儀を自然に備えさせ、ストーリーも私の美意識に反さぬものになっていました。愚弟めに勧められた時は鼻で笑って読み始めたものの、今となっては毎週月曜日の一番の楽しみになっています。その最新号が、こちら。とは言いましても一週間で内容が切り替わりますから、鮮度的に寿命の短い記事ですね、コレ。

http://bookstore.yahoo.co.jp/free_magazine-136077/

 完璧超人始祖の一人であるジャスティスマンと、正義超人テリーマンの闘いが決着する回となっています。私は、このジャスティスマンの行動に深く共感しました。
 ジャスティスマンは強者揃いの完璧超人始祖達の中でも飛び抜けて強く、テリーマンの必殺技が悉く通用しませんでした。心身ともに文字通り完璧を体現し、どう足掻いても勝ち目など無いように見えました。そのジャスティスマンが負けを認めて試合放棄、この展開を八百長やら作者のテリー贔屓やらと喚く方々も多いようですけれど、それはそいつらが所詮私が定義する所の「竜」……つまり「揺らがぬ自我とそれを貫くだけの圧倒的な力を兼ね備える存在」ではないからです。燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや。
 彼にとって、超人レスリングのルールや勝敗などは極めてどうでも良い事なのです。ジャスティスマンにとって闘いとは裁き。己の正義と相手の正義、双方を天秤にかけてどちらが正しいのかを示す行為に他なりません。そうであるからこその、ダブルジョパディ。自身が誇る最大の裁きの技であるジャッジメントペナルティを受けてなお死に至らず、しかも戦意を喪失しない相手に対しては、敗北を認める以外ありません。勿論、瀕死のテリーマンにトドメを入れる事など赤子の手を捻るようなもの、その気になれば一秒で可能でしょう。しかし、そんな事をすればジャスティスマンの流儀を他ならぬ彼自身が汚す事になるのです。
 試合に勝つ為に闘うのではなく、己の流儀を体現する為にこそ闘う。これこそまさに完璧超人と名乗るに相応しい態度であり、尊敬に値すると私は認識します。心技体全て盤石なジャスティスマン、彼にとっては試合に負けて敗者と蔑まれる事なんて単なる結果に過ぎず、どうでも良いのです。自身の定めた自身のルールを遵守し、自分が自分として生きる事の方が、ずっとずっと大切なのです。初登場時は「ジャスティスマンなんていう格好悪い名前をよくもまぁ……」と感じたものですけれど、その認識を改め、謝罪し、称賛しなければなりますまい。ジャスティスマンはまさしくジャスティスであった、と。彼の正義を彼自身が全うした誇り高き竜である、と。

 ちなみに完璧超人始祖の中では、私はガンマンちっくだと周囲からは言われます。確かにガンマンは粗にして野でも卑に非ず、実力的にも申し分のない強者で精神的にもシンパシーを感じる、竜と呼ぶに相応しい理想的な殿方の一人ですけれども……個人的にはジャスティスマンのように盤石な強さでありたいですねぇ。