日本最古の道祖神がある福寿草の里信州沢底  60数年前のセピア色した田舎暮らし 週末田舎暮らしを体験してみませんか?

さわそこ里山資源を活用する会は、間伐されて放置されている木材を簡易製材機で製材し、小屋の材料、看板等に利用しています。

仙丈ケ岳遠望

2017年12月30日 18時19分58秒 | 練習

正面に仙丈ケ岳が綺麗に見えました。

グリーンファームから♀3羽、♂1羽が仲間入りです。

元気な雄、男らしいこの姿

話していたら遅くなり、寒くなってから蒸かしに入りました。

凸凹ですが、大麦入りで美味しいです。

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⑨不生不滅 不垢不浄 不増不減

(ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん)
あらゆる存在が「空」だとわかると、面白い事実に気がつくことになる。
私たちは、命は生まれて死ぬものだと考えがちだが、それも違うのだ。
あらゆる存在は、いろいろなものが集まって形を為し、そこに形以上の「はたらき」が生まれて「生きる」という活動をしている。
私たちが、自分を自分だと認識して生きていることも、形以上の不思議な「はたらき」のなせるわざである。
「命」もまた実体として存在するものではなく、それは神秘としか言いようのない、不思議は「はたらき」なのである。
「個」が集まってできた「和」には、単なる個の集合以上の不思議な「はたらき」が具わることがある。それが、命だ。

だから生き物は、生まれて死ぬのではなく、はじめから実体が存在しない「空」という存在のしかたをするなかで、ただ変化を繰り返している。この、「存在は変化を繰り返す」という真実には、「無常(むじょう)」という言葉を当てるとしよう。
存在=空=自性がない=無常=変化を繰り返す=常なるものは存在しない
これらはすべてイコールでつながるものなのだ。
存在には「変化」があるばかりで、生まれもしなければ死にもせず、垢がつくこともなければ浄化もせず、増えもしなければ減りもしない。ただ、変化を続けるだけである。

 

 

 

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