あるBOX(改)

ボクシング、70年代ロック、ヲタ系、日々の出来事などをウダウダと・・・

言っちゃいけないかも知れないけど<br>言いたい事シリーズ

2005年08月26日 | 生活
愛知県岡崎市の女子大生刺殺事件、容疑者(当時17歳)の両親は「うすうす知っていた。事件現場を通りかかる度に心で手を合わせていた」とコメントしたとか。

――自分のガキなんだから、ブチのめしてでも口割らせろや!!!

お悔やみ③

2005年08月26日 | 生活
【漫画家・永島慎二氏が死去】

今年6月上旬、「フーテン」など私小説的な作品で一時代を築いた漫画家・永島慎二さんが、慢性心不全のため東京都杉並区の病院で死去していたそうな。享年67才。

東京都出身の永島さん、「中央線文化」の代表選手でもあった。

永島さんと言えば、有名なのが「漫画家残酷物語」(61年発表)。

とにかく、60年代~70年代を体現したような人で、新宿で放浪生活を送った自伝的作品「フーテン」で時代の空気を描き上げ。ガロ系の漫画青年の圧倒的支持を受け、教祖的存在となった。

まぁ「なまけもの」の性格ゆえ、多作では無かったが、そのマイペース振りも永島さんの魅力だったんだろうなぁ・・・。

絵柄も柔軟に変える人で、梶原一騎原作の(しかし凄い組み合わせだなぁ)「柔道一直線」は、川崎のぼる的なスポ根タッチで描かれていた。

身体は早くから壊し気味だったのか、33才で糖尿病を発症。ここ4年前は人工透析をしていたそうな。

実のトコロ、私自身しっかりは読み込んでいない作家さんで。も一回は読み込んどくかなぁ・・・。

故・高田渡さんにも通る、マイペースな中央線文化人でもあった。

――永島慎二さんの御冥福を御祈り致します。


【コメディアン・岡八朗さん死去】
「奥目の八っちゃん」こと、元吉本新喜劇座長の岡八朗が肺炎で亡くなっている。享年67才。

尼崎市の出身で、高校卒業後の1960年に吉本新喜劇の1期生として入団。
30歳で座長に抜擢され、コミカルな動きと「くっさー、えげつなー」「すきがあったらかかってこんかい!」などのギャグで、花紀京や原哲男らと新喜劇の黄金時代を築いた。

一方、アルコール依存症などの影響が舞台に表れて吉本を退団。癌との闘病生活など、私生活の不幸は続いていたという。

――岡八郎さんの御冥福をお祈りいたします。


【シンコーミュージックの草野昌一氏が死去】
シンコーミュージック・エンタテイメント会長にして、訳詞家としても活躍された草野氏が、すい臓がんのため死去されていた。享年74才。

音楽雑誌などで、別のペンネーム・漣健児(さざなみ・けんじ)としての訳詞活動を再評価され始めたトコロだった・・・。

「可愛いベイビー」「赤鼻のトナカイ」など米ポップスの訳詞は、シンプルでありながら個性的で。

訳詞家として、音楽出版社代表として、和製ポップスの発展に寄与された人物であることは間違いない。

草野昌一さんのご冥福を御祈り致します。

おくやみ②

2005年08月26日 | 生活
【“孤高の緊縛師”明智伝鬼さん死去】

SM界の巨匠、「縛りの芸術家」明智伝鬼さんも死去されていたそうな。享年64才。

さすが東京都出身者、実家が電気店だったのに因んで「伝鬼」と名乗った・・・てのはシャレが効いている。
小学3年の頃、雑誌「奇譚クラブ」で見た「縛られた女性の美しさ」でSMに目覚めたってんだから、さすが江戸っ子は早熟。

70年代後半、SM実験劇場「GSG企画」に参加。縛りの演出と監修を担当するほか、縄師としても活躍したそうな。

80年代には、多数のAV作品に出演して名を広め、90年代には、有名人を撮った写真集などでも縛り技を披露。
平成9年には会員制SMクラブを開き、海外でも「ロープ・アーティスト」として高い評価を受けていたとか。

江戸時代以来から続く関東流の縛りを研究し、SMをメジャーにした功績は計り知れない・・・とも言われる。

連れには理解されないが、私は「縛り」は嫌いじゃ無い(縄は使えないが・・・)。
「信頼関係」あっての縛り。もう機会は無いのかねぇ・・・。

死因を発表されていないのも、江戸っ子の粋か?
明智伝鬼さんの御冥福をお祈りいたします。


【文筆家の杉浦日向子さん】

江戸風俗をテーマにした漫画やエッセー、風俗研究で知られた杉浦日向子(すぎうら・ひなこ)さんが、下咽頭癌ため、46才の若さで亡くなっていたそうな。

最後の方は漫画を描かれる事は無かったが。オレ、日向子さんのキャリア最初の方で読んでるんだよなぁ・・・。近藤よう子さん辺りと同時期に出てきた人で、ガロ系出版社の単行本で読んだっけ・・・。

やはり、東京は京橋の呉服商の娘さんだったそうで。着物の絵が上手かったのも当然か。
時代考証を学んで漫画家デビューし、江戸庶民の暮らしぶりを描き、専門家筋に認められた。

その後はエッセイストとしても活躍、江戸文化を紹介。

90年代前半で漫画家を引退(そりゃシコシコ絵を描くのって面倒だもんなぁ・・・)。

テレビなどにも出演、NHKの「お江戸でござる」で、江戸の庶民文化を分かりやすく解説する姿が最も有名ではなかろうか。ここでも、さり気に着物の着こなしが素敵だった(決して派手では無いトコロがね)。

そば好き、銭湯好きでも知られ「東京人」とかの雑誌で銭湯探訪のエッセイを読んだ記憶あり。 

余り取り上げられなかったが「荒俣宏氏の元嫁」でもあった。

荒俣さん、最近ワイドショーとかでもコメントしてるけど。元の奥さんの早すぎる逝去に関しては何か語られたのであろうか・・・。
本当に残念だ。

――杉浦日向子さんの御冥福を御祈り致します。

おくやみ①

2005年08月26日 | 生活
【シンセサイザー開発者、ロバート・モーグ氏】

8月21日、米ノースカロライナ州アシュビルの自宅にて、死去。享年71才。  
1964年、電圧を制御して様々な音を生み出すキーボード付きのモーグ・シンセサイザーを開発。
当時は「ムーグ」と呼ばれた このアナログ・シンセサイザーは、幅広く使われた最初のシンセと言われた。
ムーグ・シンセは、後の電子音楽の礎を築き、日本では冨田勲がいち早く取り入れ、「音楽の可能性を広げた」とされる。

私なんぞは、キース・エマーソンが使った「カスタム・ムーグ」が最も印象深いが。

ELPの1st収録「ラッキーマン」の後半部で聴かれるムーグの音は「いかにもアナログ・シンセ」だったが(それはそれで味わいあるが)、「タルカス」「展覧会の絵」と開発は進み、「恐怖の頭脳改革」ではエマーソン仕様の改造版ムーグが使われ、とんでもない事になっていたのでした(トッカータとか、今になって聴くと恥ずかしいモノがあるが)。

ムーグ博士あってのELP、プログレって気もしない事は無かった。

――ロバート・モーグ氏の御冥福を心より御祈り致します。

【全女最後の社長松永国松氏】
8月17日、全日本女子プロレス解散時の社長だった松永国松氏が、品川区内のビル7階から飛び降り自殺していたとの事。享年63才。

68年に全女を旗揚げした松永一族の四男。ジミー加山の名前でレフェリーも務め、ロードマネージャーとして、ビューティ・ペアやクラッシュギャルズらを擁した黄金時代を築いた。

ただし、団体は97年、バブル崩壊に伴うサイドビジネスの破綻と女子プロの人気低迷のダメージから、事実上倒産。
残った選手とともに興行を継続し、最後まで団体を守り続けたが、残念な事に自ら命を絶ってしまった。

女子プロ旗揚げ前は、プロボクサーとしての活動もあったとの事。

松永国松氏の御冥福を御祈り致します。