有田芳生の『酔醒漫録』

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検察審査会「強制起訴」の再検討を

2010-10-05 17:42:44 | 参議院

 10月5日(火)小沢一郎元幹事長に対する検察審査会の「強制起訴」議決をきっかけに、同会のあり方を根本に戻って検討すべきだ。私は「小沢派」でも「反小沢派」でもない。いま語れば「小沢擁護と言われる」と躊躇する議員がいるので、あえて書いておく。09年5月の改正検察審査会法によって、同じ事件で「起訴相当」が2回議決されれば、容疑者は自動的に起訴されるようになった。小沢元幹事長に対して検察審査会に訴えたのは、強固な特定イデオロギーを持った人物。つまりは検察審査会の仕組みそのものが政治的に利用された。しかも議事録さえ公開されないのだから、いかなる議論があったのかを国民は誰も知ることができない。政治的利用が事実として明らかとなったからには、「強制起訴」が正しいのか、もともと業務上過失などを念頭に置いていた審査会の対象が限定されなくていいのかを改めて議論すべきだ。「不起訴不当」議決で検察が起訴あるいは不起訴を決めるということでいいのではないか。明日は朝の8時から民主党法務部会がある。身体がなまってきたので、いまからジムに行ってくる。


日本の総合的精神の在り処ーー小沢一郎強制起訴の背景

2010-10-05 10:39:15 | 参議院

 10月4日(月)議員会館事務所で資料を読み、夕方行う海事振興連盟での講演準備をしていると共同通信記者から連絡があった。小沢一郎元幹事長に対する検察審査会の議決が公表されるからコメントをという。しばらくして記者が来訪。結論は「起訴されて裁判となるがすぐに無罪で終わるだろう」に尽きる。根拠は検察が「小沢=金権=悪」の作られた世論を背景に1年半にわたって徹底捜査したにも関わらず、2度も不起訴とせざるをえなかったからだ。強制起訴とはいえ何も新しい証拠があったわけではない。検察審査会は小沢さんが手持ち資金4億円を政治資金収支報告書に記載しなかったことを容疑に追加した。1回目の審査内容を超えて議決したことは起訴の有効性を損なう。問題は「ここぞ」とばかりに離党や辞職勧告を狙う議員たちだ。「現場を歩け」と忠告したい。小沢問題は裁判になる。そこで証拠も明らかとなり、不起訴とされた理由がはっきりする。ならばそれを待てばよい。いま権力闘争をしようとの意志ある者は、日本の窮状に目をつむることになる。札幌のタクシー運転手たちは「誰でもいいんです。いまの経済を良くしてくれれば」と一様に語っていた。永田町の論理が内向きになり、日本の現状から乖離するほどに、閉塞感は増していく。街場を歩いて感じることは、世相があまりにもギスギスとしてきたことだ。3年前といまとでは大きく違う。「捨てゼリフ」が多用される短絡社会が広がりつつある。「いまのままではナショナリズムが高まり、日本は危険だ」(代表選時の懇談での発言)という小沢一郎さんの危惧を私は共有する。先日も福岡の三越前で街頭宣伝をしたとき、自転車に乗った男性が語りかけてきた。「あなたは帰化人なんですか」。それからしばし差別用語で中国を罵倒しはじめた。小倉でも同じような差別発言を繰り返す男性がいた。閉塞を開放しなければならない。それが政治の役割である。ところが世論=空気は特定の「敵」を作り上げ、そこに向って旗を振る。マスコミがそれを煽り続ける。「小沢氏 強制起訴へ」「地に落ちた『剛腕』」との大きな見出しの号外を出した「産経新聞」は、まるで田中角栄元首相が逮捕されたときのようなはしゃぎぶりだ。政治家がこうした空気に影響を受けて蠢動し、野卑な感情を覆い隠すために「論理」が利用される。いま日本の総合的精神の在り処が問われているのだ。