有田芳生の『酔醒漫録』

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「ひめゆり学徒兵」とともに

2007-06-20 08:44:04 | 映画

 6月19日(火)日本で唯一の地上戦が行われた沖縄。そこにいたはずもない〈わたし〉が、その地獄絵のかけらでも実感するには、いや、実感すべく最大限に想像力を働かせるには、ただただ体験者の証言を身を乗り出して、しかし静かに、真剣に聞くしかない。午前中は溜まりに溜まったメールの返事を書く。参議院選挙に立候補すると表明したのは6月4日。いただいたメールにはすべて返事を書いてきた。ところが段々と忙しくなったため、失礼ながら共通の文章を書いてお送りした。午後から東中野にあるポレポレ東中野で田中康夫さんに教えてもらった「ひめゆり」を見た。愕然とした。人間は絶望の極地に至れば涙さえ出ないのだと知った。15歳から19歳の女学生が看護師として戦場へと駆り出された。誰もが赤十字の旗の下で働くのだと思っていたら、そうではなかった。まさに砲弾のもとで負傷兵のために全力を尽した。死者は3か月で211人。その最後の時間と阿鼻叫喚を生き残った女性たちが、淡々と、あるいは振り絞るような苦悩の表情で語っていく。歴史とは生身の肉体のなかに押しとどめられていくものなのだ。たとえば那覇の国際通りを歩いていて、このドキュメンタリーで証言した「ひめゆり学徒隊」の女性とすれ違ったところで、面識がないからまったくわからないだろう。

070619_22540001   しかし、そのすれ違った彼女たちの肉体と意識には、普遍的な歴史が刻印されている。ならばと思った。東京で、あるいは大阪や名古屋で熱心に手を振ってくれたひとたちの心のなかには、伺い知れない歴史があるのかもしれない。アメリカ側から撮影した沖縄戦、そこで逃げ惑った「ひめゆり」の生徒たち。戦争とは絶対にいけないものなのだ。この「ひめゆり」という作品は、すべての学校で鑑賞させるべき教材だ。柴田昌平という1963年生まれの監督がいることを記憶したい。わたしはこの作品のパンフレットを鞄にいれて全国を歩く。疲れたときには「ひめゆり」の証言を聞くつもりだ。東中野から新宿。用事を済ませタクシーで表参道。運転手さんに「本当ならワイドが終った時間ですね」と言われた。そうか、「ザ・ワイド」に出なくなってもう1か月になるのだ。久々のジム。1000メートル泳ぎ、スポーツマッサージ。とくに首筋が固まっているようだ。体重は70・35。ほとんど変化なし。地下鉄で池袋。澤田篤さんと24日に開く事務所の点検。「ちくら」で飲む。ここでもポスターを貼ってくれることになった。どこでもお願いする前に申し出てくれるうれしさ。顔が似ている店主と記念撮影。田中康夫ファンでイタリアレストランを営むガーナ人も事務所開きに来たいという。深夜、長女と国際電話。