6月10日(日)街宣カーで朝から練馬、板橋の住宅街を回る。午後から港区の勤労福祉会館。オウム真理教家族の会(みどり会)の総会に出席。1時間ほど話をする。わたしのあとには滝本太郎さんがオウム(アーレフ)の現状について語った。あれあれと思ったのは、上祐史浩氏が、いまから2年前の説法で、これからは違った方法で麻原彰晃の教えを広めなければならないと述べていたことだ。やっぱり偽証罪で逮捕されただけのことはある。いちばん後ろの席に高齢女性が座っていた。内心のご苦労を想像するだけでもつらくなるが、こうした集まりに参加される高貴な精神に頭が下る。田町から品川へ。駅構内の薬局で都はるみさんが愛用しているバンテリンを買い、ついでにユンケルを飲む。「のぞみ」で新大阪。「文藝春秋」に掲載された津村節子さんの「遍路みち」という随筆を読む。吉村昭さんの書斎だけを残して自宅を建て替えたという。津村さんの心境が深く伝わってくる。明日発売になる「AERA」には、「私が選挙に出るワケ」という記事が掲載されている。そこには「目玉候補」として、横峯良郎さん、若尾文子さんとともにわたしが取り上げられている。「目玉」だなどとは正直な気持ちとして思わないが、大切なことは動機だ。「朝日新聞」の広告では「戦犯遺書で決意」とある。誌面ではこういうコメントが掲載されていた。
「この2年、木村久夫さんを取材しました。彼は、日本の敗戦後にシンガポールのチャンギー刑務所で絞首刑にされたBC級戦犯。捕虜虐待の罪ですが、彼の意思ではなかった。高齢の関係者を尋ね歩くとみな言うんです。敗戦後は希望を持っていた、こんな国になるなんて思ってなかった、って」「確かに自分も、この国の異常を実感している。田中さんに『社会貢献しよう』と誘われ、木村さんの遺書に背中を押された。絞首刑を前にした28歳の木村さんは遺書に、絶望ではなく希望を書いた。新しい日本を、若者たちに託す、と。生きているぼくは何かしなければならない、と思いました」。顔写真の横には「若尾文子さんが女優続行宣言をすれば、有田芳生さんもジャーナリスト続行宣言」と説明があり、こんなコメントとしてまとめられていた。「政治に24時間費やす旧態依然とした政治家にはなりません。いままで通り取材もすれば記事も書く。プールも行くし酒も飲む。新しいスタイルの政治家を考えたい」。ちょっとニュアンスは違うのだけれど、ジャーナリズム精神が基本にあって、そこに新しい分野が加わるかもしれないという気持ちであることは確かだ。田中康夫さんと待ち合せ。生野区桃谷にある「お好み焼 オモニ」で遅い夕食。