芭蕉稲荷神社から約20mで隅田川の堤防です。
その左手です。人工の丘が在ります。
門の左には「観光高札」が有って、赤穂浪士が討ち入り後に通った道だと記されています。吉良上野介を討った赤穂浪士は浅野内匠頭の墓前に首を供えるため、品川の泉岳寺に向かいます。吉良亭傍の両国橋を渡らないで、永代橋を渡って隅田川を越えました。途中芭蕉庵傍の道を通って萬年橋を渡ったと書いています。さっき私がやって来た道です。
・・・討ち入りは芭蕉が亡くなって8年後のことです。赤穂浪士が永代橋を渡ったのは、武家屋敷が多かった両国橋ルートを避けた為と言われています。
さて石段を上がります。「投句箱」が有ります。深川では時々見かける投句箱です。
頂上です。絵は、芭蕉が生きていた当時(元禄時代頃)の萬年橋界隈の様子です。
芭蕉翁が鎮座しています。皆さん「翁」って呼びますが、享年は50歳です。戦が無くなった時代ですから、平均年齢より若く亡くなったのではないでしょうか?
隅田川に架かる清洲橋す。
上流側は新大橋です。手前の、工事中の艀が景観の邪魔です。
この芭蕉像は時間設定されていて回転します。私は回転した姿を見たことがありません。清洲橋向こうの門型のビルは読売新聞のビルです。
沢山の説明板が有りますが、芭蕉庵に関わる主なものを紹介します。
芭蕉が影を落とします。
暑い暑い猛暑日の散策です。