今日も相も変わらず暑い日になりました。
朝時頃になるともうドンドン温度が上がってくのが実感できるようになった。
出来るだけ涼しいうちにと村史誌のファイルをして行き、昼近くになると壁に反射した光による熱も加わって来たので、それ以上は止めることにする。
先日行った近くのスーパーマーケットのチラシを見て買い物に行こうかとも思ったが結局は暑い日差しの中を歩くのが億劫になって止めてしまった。
昼食後、昨日と同じようにやしきたかじんのアルバムを出して聴く。
少しづつ曲を鳴らして耳から脳にメロディーを伝達し、記憶させるためである。
出来るだけ声を出して一緒に歌う方が効果的である。
現在私が歌っている曲の歌手は作詞か作曲のどちらか、あるいは両方ともしている歌手が殆んどである。
いわゆるシンガーソングライターで殆んど或いは余りテレビには出て来ない人達が多い。
別にそれを意識的に狙った訳じゃないが偶然というか、同じ年代の人達が多い。
といっても私と同じ年代ということじゃなく歌手それぞれの年代が余り変わらず一番年長者が矢沢永吉で最も若いのが鈴木雅之だが歳も違わないはずだ。
これはあくまでも主に私が歌っている曲の歌手の年齢を比べたらの話である。
ところで、私の年齢はどのくらいなのか知りたいと思う人もいるかも知れないが、このブログをずっと読んでいただいてる方にはところどころで年齢を思わせる記述によって想像で分かるはずだから、はっきりは言わないが矢沢永吉より上であることは確かである。
演歌などでは若い歌手の曲を年配の人が歌うということは良くあることである。
たとえば「氷川きよし」は歳代だが年配の人も結構歌っている。
しかしポップスの場合は演歌と違って年齢層が限られてしまい、歌手と同年代かちょっと年下という場合が殆んどである。
歌手よりも年配の人が歌っているケースは余りない、というより殆んどない。
例外を上げれば夏川りみのようにゆっくり歌う曲ぐらいである。
私がポップスを歌うとよく「若い人の歌」という言い方をされることが多いが、私が歌っている曲の歌手は一部を除いて若いという年代ではない。
エエ、おっさんや、おばはんである。
ポップスが「若い人の歌」という言い方自体に問題がある。
そのくせ自分たちが若い演歌歌手の歌を歌っていることには無頓着で、たまに若い人が演歌を歌っているとヤンヤと声援を送ったりしている。
アホとちゃうかと言いたい。
今日ウォーキング途中で入った店でも同じように表現されしかもアラさがしをするような高齢の男性グループに出くわした。
というからには午後から出かけたということになるが…。
その通りで、午後やしきたかじんの曲をおもむろに聴いた後、午後時過ぎに炎天下に飛び出したのである。
今日もウォーキングと銭湯と買い物を組み合わせ、しかもカラオケまでくっついたウォーキングである。
そんなんウォーキングちゃうやん、といわれそうだが私の中ではウォーキングということにしているので、そういうことにしといて下さい。
いつもよく行く市民交流センターの中間地点にスーパーがあることは以前の記述でご存知の通りだが、そのスーパーの少し手前にあるカラオケ喫茶に一番暑い時間帯の避暑地とすべく久し振りに入ったのである。
店にはステージの近い所に歳前後ぐらいの男性人が壁を背に並んで座っている。
その人組と同じ側の壁を背に少し離れて高齢の女性(歳代)が座っていて反対側には誰も座っていなかったので、私は彼らと反対側の誰も座ってない奥の方の丁度歳代の女性の前に座った。
しばらくするとやはり歳代の女性がやって来て高齢の女性の少し奥に座る。
更に又私が曲目を歌っている時に歳前ぐらいの遊び人風のパンチパーマの男性がやって来た。
すると人組の男性の人がこのパンチパーマと親しいのかときたま横に座ったりして話している。
この人組はこの店の常連客なのだろうと思われる。
人組の男性の歌はそれぞれ味があって結構上手いが、多分しょっちゅうこの店で歌っているのだろうと思う。
私の曲目が鈴木雅之の「First Love」にしたが、画面に表示されたのを見ていた舞台の袖に座っていた人組みの中の1人、帽子の男性が頷いている。
多分知ってる歌だったのだろう、それがアラ捜しの始まりである。
曲目は既に終わっていたが浜田省吾の「花火」を聴いた後だから次にどんな歌を出すか見ていたら横文字だったので一瞬ウン?という感じで注意して見ていたようだったが歌手の名前も出ているので頷いたということだろうと思う。
私がその歌を歌ってる最中にずっと注意してどこかおかしな所はないかという風にじっと聴いて一瞬ウッという風に小首を傾げたりしている。
こういう仕草を目の前で行なうということ自体大変失礼なことなのである。
歌手と違うんだから完璧に歌えるはずがないし、少々違うところがあってもどうということはないのである。
歌手自身だって自分の歌い方というのがあるのだ。
原曲通り歌っている歌手なんて未だ新米のうちだけである。
それは同じ曲を違う歌手が歌っているのを聴けばすぐ分かることである。
それよりもリズムにちゃんと乗れているか、声はしっかり出ているかなどの方が重要である。
その人組は上手いけれどもスローテンポのバラード系の曲ばかりである。
高齢者だからそれでいいんだけれども、「First Love」のように早い言い回しの曲が、貴方に歌えますかと聞きたい。
多分相当数の人が歌えないでしょう。
こういう歌が歌えるだけでも拍手に値すると私は思うけど、このブログを読んでる貴方はどう思いますか。
モチロン口先だけで歌ってはダメ。
しっかり声が出てないと…。
その帽子をかぶったオッサン、ポップス曲をある程度知ってるとみえて曲目に私が歌った浜田省吾の「Breathless Love」を歌ってる最中に、隣の男に耳打ちをして、「古い歌や、若い頃に憶えた歌を歌ってるんや」と聞えよがしに言っているのが歌ってる私の耳にも入って来る。
途中で歌を止めて怒鳴ったろか、と思ったがこういう失礼なことをするヤカラがいるのである。
だったらテメエ、こういう歌が歌えるのか。
と、言いたかったがぐっとこらえた。
言うとくけど俺が浜田省吾の歌を覚えたのは阪神大震災で年ほど姫路にいて、その後この街にやって来て初めてカラオケ喫茶というものを知ったんや。
あるカラオケ喫茶に通うようになって、その店のママの息子が店にやって来た時に浜省の「もうひとつの土曜日」を歌ってるのを聴いたその息子が感激してくれたテープでそれ以後に覚えた歌ばっかりや。
浜省が今、いくつなのか知ってるんか、俺より大分若いんやで。
普通自分より若い人のポップス曲を歌う人はそうおらんで。
それも、ロックを歌う人はナ。
演歌なら知らんけど…。
ということで、その歌を最後にして店を出て銭湯に行き、帰りにスーパーに寄って買い物をして帰る。
朝時頃になるともうドンドン温度が上がってくのが実感できるようになった。
出来るだけ涼しいうちにと村史誌のファイルをして行き、昼近くになると壁に反射した光による熱も加わって来たので、それ以上は止めることにする。
先日行った近くのスーパーマーケットのチラシを見て買い物に行こうかとも思ったが結局は暑い日差しの中を歩くのが億劫になって止めてしまった。
昼食後、昨日と同じようにやしきたかじんのアルバムを出して聴く。
少しづつ曲を鳴らして耳から脳にメロディーを伝達し、記憶させるためである。
出来るだけ声を出して一緒に歌う方が効果的である。
現在私が歌っている曲の歌手は作詞か作曲のどちらか、あるいは両方ともしている歌手が殆んどである。
いわゆるシンガーソングライターで殆んど或いは余りテレビには出て来ない人達が多い。
別にそれを意識的に狙った訳じゃないが偶然というか、同じ年代の人達が多い。
といっても私と同じ年代ということじゃなく歌手それぞれの年代が余り変わらず一番年長者が矢沢永吉で最も若いのが鈴木雅之だが歳も違わないはずだ。
これはあくまでも主に私が歌っている曲の歌手の年齢を比べたらの話である。
ところで、私の年齢はどのくらいなのか知りたいと思う人もいるかも知れないが、このブログをずっと読んでいただいてる方にはところどころで年齢を思わせる記述によって想像で分かるはずだから、はっきりは言わないが矢沢永吉より上であることは確かである。
演歌などでは若い歌手の曲を年配の人が歌うということは良くあることである。
たとえば「氷川きよし」は歳代だが年配の人も結構歌っている。
しかしポップスの場合は演歌と違って年齢層が限られてしまい、歌手と同年代かちょっと年下という場合が殆んどである。
歌手よりも年配の人が歌っているケースは余りない、というより殆んどない。
例外を上げれば夏川りみのようにゆっくり歌う曲ぐらいである。
私がポップスを歌うとよく「若い人の歌」という言い方をされることが多いが、私が歌っている曲の歌手は一部を除いて若いという年代ではない。
エエ、おっさんや、おばはんである。
ポップスが「若い人の歌」という言い方自体に問題がある。
そのくせ自分たちが若い演歌歌手の歌を歌っていることには無頓着で、たまに若い人が演歌を歌っているとヤンヤと声援を送ったりしている。
アホとちゃうかと言いたい。
今日ウォーキング途中で入った店でも同じように表現されしかもアラさがしをするような高齢の男性グループに出くわした。
というからには午後から出かけたということになるが…。
その通りで、午後やしきたかじんの曲をおもむろに聴いた後、午後時過ぎに炎天下に飛び出したのである。
今日もウォーキングと銭湯と買い物を組み合わせ、しかもカラオケまでくっついたウォーキングである。
そんなんウォーキングちゃうやん、といわれそうだが私の中ではウォーキングということにしているので、そういうことにしといて下さい。
いつもよく行く市民交流センターの中間地点にスーパーがあることは以前の記述でご存知の通りだが、そのスーパーの少し手前にあるカラオケ喫茶に一番暑い時間帯の避暑地とすべく久し振りに入ったのである。
店にはステージの近い所に歳前後ぐらいの男性人が壁を背に並んで座っている。
その人組と同じ側の壁を背に少し離れて高齢の女性(歳代)が座っていて反対側には誰も座っていなかったので、私は彼らと反対側の誰も座ってない奥の方の丁度歳代の女性の前に座った。
しばらくするとやはり歳代の女性がやって来て高齢の女性の少し奥に座る。
更に又私が曲目を歌っている時に歳前ぐらいの遊び人風のパンチパーマの男性がやって来た。
すると人組の男性の人がこのパンチパーマと親しいのかときたま横に座ったりして話している。
この人組はこの店の常連客なのだろうと思われる。
人組の男性の歌はそれぞれ味があって結構上手いが、多分しょっちゅうこの店で歌っているのだろうと思う。
私の曲目が鈴木雅之の「First Love」にしたが、画面に表示されたのを見ていた舞台の袖に座っていた人組みの中の1人、帽子の男性が頷いている。
多分知ってる歌だったのだろう、それがアラ捜しの始まりである。
曲目は既に終わっていたが浜田省吾の「花火」を聴いた後だから次にどんな歌を出すか見ていたら横文字だったので一瞬ウン?という感じで注意して見ていたようだったが歌手の名前も出ているので頷いたということだろうと思う。
私がその歌を歌ってる最中にずっと注意してどこかおかしな所はないかという風にじっと聴いて一瞬ウッという風に小首を傾げたりしている。
こういう仕草を目の前で行なうということ自体大変失礼なことなのである。
歌手と違うんだから完璧に歌えるはずがないし、少々違うところがあってもどうということはないのである。
歌手自身だって自分の歌い方というのがあるのだ。
原曲通り歌っている歌手なんて未だ新米のうちだけである。
それは同じ曲を違う歌手が歌っているのを聴けばすぐ分かることである。
それよりもリズムにちゃんと乗れているか、声はしっかり出ているかなどの方が重要である。
その人組は上手いけれどもスローテンポのバラード系の曲ばかりである。
高齢者だからそれでいいんだけれども、「First Love」のように早い言い回しの曲が、貴方に歌えますかと聞きたい。
多分相当数の人が歌えないでしょう。
こういう歌が歌えるだけでも拍手に値すると私は思うけど、このブログを読んでる貴方はどう思いますか。
モチロン口先だけで歌ってはダメ。
しっかり声が出てないと…。
その帽子をかぶったオッサン、ポップス曲をある程度知ってるとみえて曲目に私が歌った浜田省吾の「Breathless Love」を歌ってる最中に、隣の男に耳打ちをして、「古い歌や、若い頃に憶えた歌を歌ってるんや」と聞えよがしに言っているのが歌ってる私の耳にも入って来る。
途中で歌を止めて怒鳴ったろか、と思ったがこういう失礼なことをするヤカラがいるのである。
だったらテメエ、こういう歌が歌えるのか。
と、言いたかったがぐっとこらえた。
言うとくけど俺が浜田省吾の歌を覚えたのは阪神大震災で年ほど姫路にいて、その後この街にやって来て初めてカラオケ喫茶というものを知ったんや。
あるカラオケ喫茶に通うようになって、その店のママの息子が店にやって来た時に浜省の「もうひとつの土曜日」を歌ってるのを聴いたその息子が感激してくれたテープでそれ以後に覚えた歌ばっかりや。
浜省が今、いくつなのか知ってるんか、俺より大分若いんやで。
普通自分より若い人のポップス曲を歌う人はそうおらんで。
それも、ロックを歌う人はナ。
演歌なら知らんけど…。
ということで、その歌を最後にして店を出て銭湯に行き、帰りにスーパーに寄って買い物をして帰る。
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