ブログ日記 日々のうつろい 

退職後パソコンとガイドのボランティアをし、カラオケ(ポップス)やダンス等で生活を楽しむオジサンのブログ。

「いにしえシリーズPart3-②」の本番当日

2019-11-16 22:38:16 | 日記

 いよいよ今日は古道連協がかねて企画し何度も下見をしながらやっと本番を迎えることになった感慨深い日である。

 当市から南の方へ1時間程かけていったJR駅がスタート地点になる訳だが、スタッフは早目に行って準備もしなければならないということで11時30分の集合時刻になっている。

 ということで最寄りのJR駅を10時ごろの電車に乗って出かけ、途中で快速電車に乗り換えて到着したのは11時10分ごろであった。

 スタート駅に到着したのは11時10分ほどである。

 昼食をゆっくり食べている間はないので予めほど近いところにあるコンビニに行って早目のオニギリを食べ、食べ終わってからユニフォームに着替えたり、資料を整理したりである。

 気の早いお客さんがすぐにやって来たが受付はもう少し後になると伝えて待機して貰う。

 受付時刻は当初12時30分としていたが、既に電車が着くたびに参加者が少しづつ増えて来たので受付を始め、受付を済ませた人数が申し込んでいた人数の半数を超えたので1班として私が案内する班がスタートすることにした。

 一カ所集まって貰い今日のコースの概略や注意事項を話したが、特に今日のコースは歩道のない比較的狭い旧道だが結構自動車の往来があるので、そういう場所では1列で歩いて貰うように話す。

 1班の人数が申込者の半数になったので出発である。

 最初の訪問は当地でも古くからある神社で紀貫之ゆかりの神社だが不思議なことに延喜式内洩れの神社である。

昭和17年に旧陸軍の飛行場を建設するために元々は北の方にあったが強制的に南へ移動させられたもので10月に1回目のツアーで旧社地に寄っている。

 その後は福の付く寺院が当地に3か寺あるが、1回目のツアーで2か寺には寄っているのでこの2回目のツアーで3か寺目を訪れる。

 そしてその後はもっと山側にある神社の御旅所に寄った後、古道を南へと歩くことになるが結構その道は自動車が通るし、歩道も狭いので1列で歩く。

 その先に古代の条里制で整備されて広がっている一帯が古代の区画のまま現在まで存続しているという珍しいところで地蔵さんの名前にも「八丁」という名前で残り、室町時代の年号が刻されている。

 その先に行くと大坂冬の陣で外堀を埋められたためt外に出てきた豊臣方の先鋒隊と徳川方の紀伊浅野勢が夏の陣で初めて交戦した場所にやって来たが、橋のたもとに古戦場跡碑が立っている。

 その橋を渡ってしばらく行くと古代7世紀に地元の有力な豪族が建立したという寺院の跡があってその横に豪族の居館の跡も残っている。

 法隆寺式の伽藍配置で当時としてはかなりの規模の寺院で国の史跡に指定されている。

 このコースには2つの王子社がありもちろん経路の順に訪れたが、最後はゴールとなるJR駅近くの公民館でアンケートを書いて貰い駅まで誘導して解散となった。