今日は昨日とは違って朝からいい天気になり気温も時間の経過とともに上がってきたが、幸い風があるので木陰だと心地よい。
そんな中で今朝10時に当区にある日本の代表的な神社の1つに当区ガイドの会のA3グループメンバーと他のメンバーで希望する人が集合してコースの下見を行なうのである。
A3グループだけのメンバーでは3度目の下見になるかと思うが、今日は他のグループでも希望するメンバーも加わるので少し多くなる。
本番のウォークは1週間後に行なうので今日は直前下見ということになる。
神社境内にはお宮参りの人達が何組か見えるが、そんな中先ずは出発に当たってA3グループのリーダーであるS氏から挨拶と共に最初のガイドが始まったが、今日は下見なので軽めの説明である。
境内を離れて近くの川を源流に向けて歩くのがこのコースの主旨となっている。
最初は古代の国際港でもあった船着き場があったとされる入江の沿道に当たる箇所の小祠の説明であるが、ここと次のポイントを説明する。
初期の遣唐使船も航海の無事を祈ってここから船出したとされている。
江戸時代には土砂の堆積によりもっと海が沖の方に後退して細い川になったが、それでも人や物資を運んでいた船着き場があったということである。
今は殆んど水流もなく底の方を少し水が流れているだけなので隔世の感があるが、昔日には結構な水流があってこの近辺は沼地で杜若が一面にあり5月頃には満開で名勝地となっており、多くの和歌が詠まれている。
川沿いに上流に向けて歩いて行くが古代の東西道路に近いところを流れていた訳だが途中で暗渠となり今は昔の川の流れを偲んだり、大雨の降水に備えての安全弁の代わりを兼ねてせせらぎを作り市民の憩いの場所となっている。
だけど今は元の東西の大通りの地下25~30mには巨大な暗渠が構築され大漁に降った雨水を一時保留して事後に海に放流するようになっている。
その先には昔の川の分岐点がありここで南からの流れと北からの水が合流していた場所にやって来たが、今はどちらの流れも普通の暗渠に流れている。
ということであとは昔の地図を頼りにコースを辿ることになるが、南からの流れは開削して人工的に作ったもので自然の流れは北からの流れと案が得られる。
その北からの流れを辿って行くと今は道路になったり住宅地になっているが、私が住んでいる地域(昔は村)を経由することとなる。
その先は直角に曲がったりしているので畑に水を供給する水路となっていたようだがもっと昔の自然な流れは別にあったと考えられるものの今になってはそれを知ることは不可能なので明治時代の近代的な地図になってからのものを頼るしか仕方がない。
明治時代の地図を見るとその周辺はアチコチに灌漑用の大小の池が散在していることがよく分かる。
最終的には大昔には一本に繋がっていたと思われる大きな長い池だったものが各村の水の確保のために区割をしたり、新たな新田を作ったりした状態だったのだろう。