ブログ日記 日々のうつろい 

退職後パソコンとガイドのボランティアをし、カラオケ(ポップス)やダンス等で生活を楽しむオジサンのブログ。

古道連協H31年新企画古道リレーウォーク③下見&Kダンス同好会初級コースH31年2月①

2019-02-04 23:41:43 | 日記

 昨日の雨模様から今日は晴間が見える天気になって来て気温も少し穏やかになって来た。

 不順な天候が続いていただけに早速洗濯を始めることにした。

 洗濯を始める時刻が少し遅めだったので昼食は菓子パンと牛乳だけの簡単な昼食を摂ってから下見の集合場所へと行った訳だが、現地に午後1時10分前に到着した。

 もう1人の女性がその後やって来て午後1時5分に出発した。

 最初のガイドポイントは終戦半年前の爆弾でその駅の構内にいた人達が大勢無くなって遭難した人の慰霊碑である。

 そこから順次ほぼ鉄道に沿った形で南下して行くこととなる。

 しばらく南下したところに僧行基が作ったとされる墓地で当時は勿論、その後もずっと日本ではつい最近まで土葬が続いた中で荼毘に付したとされているところである。

 その後は古代に造られたとされている大道沿いと思われる道に沿って南下する訳だが、もちろん今は当時の様にハッキリ道が残っている訳はない。

 ただ古代の都から真っ直ぐ南に下がって大道が作られていることは文献で示され、実際に真南の延長線上に大道の痕跡が発見されている。

 当時の大極殿の中心から真南に当たるところから真南に線を引くとピッタリと当て嵌まるのが大道があったとされているので、その線上に近い道路を南下している訳である。

 ずっと下がって行った場所に高速道路と鉄道の高架が立体的に交差している場所があるが奇しくもその交差している場所が大道が通っていた場所と一致する。

 その鉄道の高架の西側に大きな池があり、その昔この池には大蛇が棲んでいたという伝説が残っている。

 そこでトイレ休憩をした後、その池の南端から東へ向かうルートになり先程の鉄道の高架の下をくぐって更に東に行くと今度は民鉄の高架にぶつかる。

 そこを少し南下した場所に模擬原爆弾が投下された場所にそれを示す碑があったのだが、今はそこにマンションが建設されると言うことで別の場所の移されていると通りがかりの高齢の男性が教えてくれた。

 あった場所には貼り紙があって建設工事に携わる会社にあり、完成した暁には元に戻すと書いてあった。

 その後は、西へ戻って又大道沿いの道に戻ってきた。

 大道沿いになると謳っている不動尊で知られた寺院へとやって来た。

 その道沿いに少し南下すると神社があるが、昔は同じ村にあったものでどちらもこの地域ではよく知られた有名な寺社である。

 そこからもずっと南へ一直線に道が延びているが、市内でも大きい公園にぶつかる訳だが、その公園に辿り着くまではガイドポイントはなく、辛うじて途中に古代の大きい溝跡が発見されたと言うことである。

 大きな公園には植物園やスポーツスタジアムがあり、サッカーチームの本拠地にもなっている。

 以前のこのコースでは先程の寺社があった辺りで南西の方向に下ったところにあるJR駅をゴールにしようかという案もあったが、矢張り大道に沿ってさらに南下して、この公園の中ほどにある大きな池を南北に縦断して南下し、その公園の南側に村があって、その村の東側が昔の国境だったし、今も区境となっているのでそこまで行こうということになった。

 つまりは大道が、そのまま昔の国境となっていたことを如実に示していることを参加者に示すのも意義があるだろうということでその村(今は当区)まで案内し、先ほど示したJR駅をゴールとしたのは変更なしとした。

 ゴールのJR駅は自宅の最寄のJR駅なので解散後駅まで行くまでのスーパーの2階にコピー機があるというのでImさんが持っていた、最後の村が環濠であることを示す図をコピーしに上がった後、3階にある休憩コーナーがあるというので上がって行くとドリップ式のコーヒーや抹茶を提供する自販機があったので今日の参加者4人がテーブルを囲んでしばし話に花が咲く。

 午後5時を回ったので解散となり、私は自宅に戻ってくつろいだ後、Kダンス同好会の初級コースのレッスンに向かうことにしバス鄭に向かう。

 Kダンス同好会では次の日曜日の生涯学習発表会に向けて最後のレッスンとなり、最初から最後までルンバのフォーメーションのレッスンを行なう。

 最初はなかなか揃わなかったが段々良くなり後は本番を待つばかりとなる。