朝日俳壇は一般俳人のあこがれの新聞投句欄である。これに入選すると、赤飯を焚いてお祝いするほどのすごい事らしい。庵主は昔、何の気なしに次の一句をここに投稿したことがある。
去年今年貫きとうす放射線 楽蜂
ちょうど東北大震災で東電の第一原発事故がおこった頃の話だ。高浜虚子の「去年今年貫く棒の如きもの」を本歌取りした時事俳句にすぎない。これを、なんと金子兜太さんが採ってくれたのである。以来、気をよくして何十回も投句したが、まったく音沙汰がない。結局、止めてしまった。
金子兜太 (1919-2018)
ところで2010年の雑誌「くりま」(文芸春秋増刊)5月号に次の記事が載っている。
『六千句から四十句が残るまでの過酷なサバイバルを実況中継(ルポルタージュ)朝日俳壇の入選はこうして決まる:選者◎稲畑汀子/大串 章/金子兜太/長谷川櫂』
この記事によると、毎回とどいた約6000通のハガキから4人の選者が各自10句を選抜する。入選確率は単純計算で150分の一である。選者全員が朝日新聞の本社会議室に集まり同時に個別で作業し、午前中約3時間程で終えるようである。1分で約23枚を読み込んでいく計算になる。超人の荒業というほかない。そして最後に選んだ句の評をまとめる。これを毎週繰り返すというから、想像をこえる体力と気力の4人組である(現在は大串、長谷川、高山れお、小林貴子)。多分、それなりの報酬があるのだろうが、朝日の俳壇選者になることは、囲碁や将棋の名人戦リーグに入るのとおなじく、その実力と名声を認めれらえたことになる。
ところで、この人たちはどのような基準で選句してるのだろうか?共通の基準があるのか、ばらばらの好きな基準でやってるのか?ここでは「選者同士で重なりあった選句の数」(平成21年の1年間)がデーターとして出てるのでそれを見てみよう。
稲畑 X 金子 0
稲畑 X 長谷川 4
金子 X 大串 4
長谷川 X 大串 6
稲畑 X 大串 8
金子 X 長谷川 8
計 30句
何も考えずにランダムにハガキを選んだ場合は、A氏とB氏の重なる確率は600枚に一枚の割合である。一年を50週として年間の一人の選句総数は10X50で500枚になる。これから年間の重なり枚数は1枚弱。それゆえ稲畑さんと金子さんの重なり0枚は、必ずしも「お互いの好みの違い」とは言えず、統計的にありうる事である。あとの重なり4は好みか偶然かは計算しないと微妙なところだが、6や8は偶然とはいえず、かなり好みがあっていた結果と思える。ただ合っているといっても、500枚のうちの高々6-8枚で、後の大部分はお互いにちがった作品を選んでいることになる。どうも選句は共通した基準で選んでいるのではなく(それならもっと重なりが多いはず)、自分の好みで選んでいることになりそうだ。
ほかの新聞投句欄では選者が複数の場合は、投句者が選者を指定する事になっている。たとえば京都新聞の場合は選者は坪内捻転さん岩城久治さんらで、自分の好きな人を選んで投句する。そうなるとその選者の好みそうな俳句を作るのが人情となろう。結局、朝日俳壇の場合も4人の選者の誰と絞った作風の作品を投稿するのが入選の確率を高めそうである。さらに「サブリミナル効果」を狙って同じ句を10枚ぐらい送る人もいる。また、一人で100句も同時に送ってくる人もいる(規約がないから違反とはいえないようだ)。
ただ、こんな手間と経費をかけて、この新聞欄に自分の俳句を掲載することに、どれだけの意義や価値があるのだろうか?つらつら、駄句・凡句の並んだこの欄を眺めているとかなり疑問に思えてくる。
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