司馬遼太郎 『アメリカ素描』新潮文庫 1986
(ニューヨークからボストンに向かう途中の司馬夫妻:同書より引用転載)
この書は文明論の本であるが、「多様性は力である」というフレーズが何度も繰り返される。
司馬遼太郎によるとアメリカ(The States)とは「文明という人工でできた国」である。群れで生活する人間には文明と文化が必要である。文明は普遍的で合理的で機能的なものであり、文化は特定の集団にのみ通用する不合理なものである(庵主考:文化は古びた文明ともいえる。不合理なものが最初から集団に定着するわけがなく、時代がたつにつれて合理的なものから形式的なものに変遷した)。
この本にはアメリカの歴史的な主流であるワスプ(英国由来白人)はあまり登場しない。むしろ中国系、韓国系、日系、アイリッシュ、イタリアンそれにベトナム系のアメリカ人の話しが、えんえんと続く。文明というものは多様な民族の中で醸成されるもののようである(オデンのようにそれぞれ固有の形と味を残したまま一つの鍋の中にいると表現している)。ただ必要条件としてはそれらの多民族を収容し、食わせ飲ませるだけの生産力をそなえていなければならない。
その歴史的な例として、司馬遼太郎は中国文明の興隆をあげて説明する。
中国文明は歴史的に、生業を異にする多様な民族がその都市国家の内外にびっしりといた。その異民族から様々な文明をまなび吸収した。殷周のころには、西方の姜から牧畜や食肉を、戦国のころには、匈奴から騎射やズボン、長靴を学んだ。他方、長江流域の荊蛮からは米作を学んだ。さらに華南の越という野蛮人から青銅文化、インドやペルシャから武術、曲芸、仏教という形而上学を学んだ。
清国の時代になって満州族のためにモノカルチャーとなり、西欧列強に屈したが、近代になって共産党の支配下で欧米の文明や技術を引き込み、ある分野ではその先端を走っている。
司馬遼太郎は日本の文明についても語る。
「文明は大陸の多民族国家でおこるものだから、孤島にすむ日本人はそれをみずから興す力がなかった。日本人は受容者にあまんじたが、ただ追随しただけではなく、それに創意工夫を加味して独自の文明と文化を作りあげた」と。
最近になって”司馬史観”の批判本があいついで出されている。正すべき点は正すのは良いとしても、この傾向には、思想的かつ組織的な背景があるように感ずる。司馬遼太郎は戦前の軍国主義者を「狐に酒を飲ませて馬に乗せたような連中だった」とこきおろしたが、その遺伝子を持った細菌が再びあちこちで湧きはじめたようである。
(司馬遼太郎がみたマジソン街の聖パトリック教会:同書より引用転載)
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