鍔の美-名品鑑賞 (3)
写真6.「月下孤狼図」江戸後期
写真(6)この鉄鍔の箱書きには「寒月荒陵之狼金銀彫刻」とある。会津正阿弥派の一柳斎正光の作かと思われる。鍔形は長丸で、鉄地はねっとりとした黒褐色、耳は丁寧に打ち返えされており、据紋象嵌(すえもんぞうがん)の月と銀狼、金芒の出来映えは申し分ない。小柄と笄の両櫃の形も良い。芒と月と狼の組み合わせは江戸時代の工芸品での定番である。小野蘭山の『本草綱目啓蒙』の狼(オホカミ)の項にも、「狼ハ深山ノ大木アル処ニ棲ミ芒萱類ノ雑草アル地ヲ経ス狼ノ腹皮薄ク若シ芒ニ触レバ傷損スト云フ」とある。生態学的な根拠はあまりないが、狼は芒野に現れるという通説があったようだ。狼、芒、岩などの形象を右に集中し、地の左半分はたっぷり余白をとって、俳句のような風景を切り出している。巧みな構図が、一枚の鍔の中に緊張と緩和を生み出している。正光には他に鉄磨地の丸形鍔「竹に猛虎図」などが知られている。
写真7. 「潜り龍鍔」江戸中期
写真(7)昇龍は縁起が良いので図柄として鍔にもよく使われる。武張った肉厚な彫は薩摩鍔と思える。この鍔のように体の一部が砂や雲に隠れているものを「潜(もぐり)り龍」という。高彫で隠れている部分が鍔の反対側に彫られている。薩摩鍔にはこの構図のものが多い。無銘なので、作者ははっきりしないが、小田直弁の作かと思える。龍の図柄の作品は得てして陳腐になるが、これは品よく落ちいている。鉄地も手入れがよくいきとどいており、明珍鍔のように鍛えがよく錆はほとんどみられない。
蘭亭コレクションには、他にも印象深い鍔が沢山あり、それぞれみごとな一つの世界を切り出している。鍔の鑑賞においては、形や彫金、象嵌などの細工を見るだけではなく、鉄地そのものを味わうことが大事である。良質な鋼(はがね)に仕上がったものは、鉄味良く黒褐色から黒紫色を帯びている。鍔には良い錆(黒錆)と悪い錆(赤錆)があり、悪い錆がでないよう手入れが必要である。赤錆は、水分の存在下での鉄の自然酸化によって生じるFe(OH)3 等の水酸化物粒子のざらざらした凝集塊で、下地の保護作用はなく腐食はいつまでも進行する。一方、緻密な黒錆の酸化物被膜ができれば、不動態と呼ばれる状態になり、腐食に対する保護層として機能する。車のよく通行する道路のマンホールの鉄蓋が、タイヤに磨かれてほれぼれするような黒紫色の錆色を呈していることがある。鉄鍔の場合は、ひたすら布で磨き上げられることによってそれが出ているのである。
テレビの「なんでも鑑定団」では、刀剣はたまに出品されるが、鍔が登場することはめったにない。これは、刀の備品の一部という概念があって、単独の美術品として愛好する収集家が比較的少ないためである。しかし、上で述べたように優れた古鍔は、じっくり鑑賞すればまことに味わい深い。鍔は京都では新門前の古美術商の店頭に並べられていることもあるし、名品を所有する美術館が刀装具の特別展示で公開することもある。そのような機会をとらえて鑑賞の目を養っていただきたい。
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