先月19日に行われた大学入試センター試験の国語の平均点が、今までで最低だったそうだ(200点満点で101.04点)。それは小林秀雄(1902-83年)の評論「鐔」という難解な文章が出題されたためである(朝日新聞デジタルhttp://www.asahi.com/edu/center-exam/TKY201301240041.html)。小林の全集では5ページ半に及ぶもので、その全文を読ませ解答させている。
新聞に掲載された問題をみると、確かにこれは受験生にとって、とんでもない災難であったろうと思う。鍔や刀の絵入で注釈だけでも21個もある。文章そのものが難解なだけでなく設問も趣旨がたいへん読みとりにくい。
たとえば第4の設問は「もし鉄に生があるなら、水をやれば、文様透は芽を出したであろう」が、どういうことを例えているかを問うている。これは5択になっており朝日新聞(2013年1月20日朝刊20面)の解答例では正答を2番としているが、他の選択肢も間違いとは言えないものだ。短時間で高校生にこんな難解な文章を読みこなせというのは無理であろう。出題委員会では多数の委員がいるのに、どうしてフィードバックがかからないのだろうか?こんな問題では国語力は差分できない。センター試験では、たまにこのような奇問難問が出されるが、責任者は猛省すべきであろう。
小林秀雄は戦前から活躍していた評論家で、エクセントリックな文章表現を多用し、昔の文学青年がこれに幻惑されさかんに模倣した。その文学青年達が文系の大学教師になり無闇に小林の作品を入試に出した時代がある。
向井敏(1930- 2002年)はその著「文章読本」(文芸春秋:1988年)において、小林秀雄を「殺し文句にかけては海内無双の名手」と述べ、その一例として「ランボウ論」の一行「酩酊の船は瑰麗な夢を満載して解繿する」を引用している。これは、ほめているのではなく、こけ脅しだと言っているのだ。
小林の言っている事はあきれるくらい単純なのに、その当たり前の事を素直に表現せず、人を幻惑する「殺し文句」を多用し文章を修飾していると批判している。そして、「小林の殺し文句はたしかにみごとなものだが、ただし、それは論じられている当面の問題や批判対象から独立した手前勝手な感情の表明が多い」とし、「殺し文句の効果はたしかに大きいが、一面こうした危うさを蔵していて、そのからくりを見破られたときには失笑を買い文章全体の信用性を失いかねない」と切り捨てるように結んでいる。
そもそも、小林の美術評論を読むと、内容は単純も単純で底の浅さを感ずる。「鍔」にしてもそうである。鍔は信家、金家としているが、ようするに「巨人•大鵬」と通俗の評価を確認しているだけで何の事はない。体系的に鍔を観賞して得た深い知識と造詣に裏打ちされたものとは、とても読み取れないのである。
小林秀雄の他の美術評論に「真贋」という作品がある。この書き出しが、またすさまじい。小林は良寛のものといわれる詩軸(詩のみが書かれた掛け軸)を買って悦に入っていた。ところが良寛研究家の友人に「これは偽物だ」と言われると、傍らにあった刀でその掛け軸をバラバラに切り裂いてしまう。
「よく切れるな。その刀はなんだ」
「一文字助光だよ。全くよくきれる。何か切ってみたかったんだよ」
まったく子供じみていてバカバカしい。後の話も骨董品の入手とその真贋についてのつまらないエピソードがクダクダと続く。小林秀雄に、深い経験と見識で裏打ちされた審美眼があったようには思えない 。どうして、あの頃、高所に立つ知的な評論家として小林がもてはやされたのかまったく理解に苦しむ。
(写真:蘭亭コレクション 「葡萄透かし鍔」)
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