京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

三年清知府 十万雪花銀:中国官僚の蓄財術

2019年07月08日 | 評論

 

 

 高島俊男の『司馬さんの見た中国』(「お言葉ですが 別巻6」連合出版 2014)を読むと、中国では古代から官僚は金持ちだったそうだ。中国の官は公務員試験である科挙によって選抜されたエリートである。気力があり、記憶力と頭がよければ誰でもなれた。それは大きく言って首都の中央官庁に勤める官、皇帝の代理として地方を治める官がいた。中央から地方、地方から中央へといった移動のたびに昇進したが、金銭の実入りは地方の方が圧倒的に多かった。そこでは官にべらぼうな収入があり、数百人くらいの一族を優雅に養っていけたそうだ。朝廷からでる給料が、そんなに高いわけがなく、職務によって得た金品の蓄財による。ただし、職務といっても、税金の横領とか賄賂による不正蓄財である。

 司馬遼太郎はこれを「腐敗」と呼んだが、高島によると「役得」というべきものだそうだ。儒教の最高の徳目は「孝」ということで、「年老いた両親に孝行するためにお金がいりますので」といえば、誰も文句いわなかったという。ほんまかいなというような話だが賄賂・贈賄は上から下まで行っていたようで、社会習慣となっていたようだ。タイトルの『三年清知府 十万雪花銀』は、三年ほど県知事や府知事を勤めたら十万両もの銀貨が貯まるということわざである。

 現在の中国は中国共産党が支配しており、皇帝もいないが(そのうち習近平がなると言う説もある)、統治の基本構造は秦の始皇帝以来の群県制である。ここでは共党員の幹部クラスが県知事に任命され、着任してから伝統にしたがい私腹を肥やして中央に帰る。中国では鄧小平の改革開放路線以来、国中で大きな資本が動き、地方の有力な政治家や官僚にも金が流れた。そしてほとんど例外なく、収賄や横領などの犯罪(高島のいう役得)を犯しているので、叩けばかならずホコリ(悪事)が出て来る。習近平は、それを利用して徹底的に政敵の追い落としをやってきた。

 現代中国社会の様々な問題点は共産党の一党独裁という全体主義から出て来たものではなく、どうも昔からひきづって来た「文化的」なもののようである。彼らのいう「共産主義」も「資本主義」も多分に中国的脚色の上に成り立っているのではないか?  それは遺伝子的なものか環境か文化伝統によるのか? これに関する研究が必要であるかと思う。

 

追記(2021/05/24)

ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』(草思社文庫:倉骨彰訳)によると、15世紀初頭では中国は技術面で世界をリードしていたそうである。鋳鉄、磁石、火薬、製紙、印刷といった技術である。また鄭和の艦隊は世界を圧倒し地球を半周した。しかし、そのリードを守りきることができなかった。それは中国のその後の絶対的な政治体制が進歩的なものではなく、抑制的なものであったためとされる。ヨーロッパは様々な地域に分裂し競合と協同があり、むしろ発展があった。幕藩体制が多様な文化を生んだ日本の江戸時代のようなものである。ともかく西洋が中国を逆転した。現代中国は外国の技術のパクリ屋のように言われているが、潜在的にはポテンシャルを持っている。これは歴史的に証明されている。それを中国共産党による現在の体制が引き出せるかどうか?

 

追記

勝又壽良、篠原勳著『インドの飛翔vs中国の屈折』(同友館2010年)によると、中国社会の特色は「自分中心的」「短期極大利潤主義」「散砂的(ばらばらで組織信用せず)」「模倣主義」だそうである。一方、インドは「自己抑制的』「長期適正利潤」「集団主義」「独創的」となっていて、なんだかえらく依怙贔屓な評価がされている。

 

 

 

 

 

コメント
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