京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

植物の感覚生理学: ダニエル・チェモヴィツ著『植物はそこまで知っている』

2020年06月26日 | 評論

ダニエル・チェモヴィツ著『植物はそこまで知っている』(矢野真千子訳)河出書房 2016

 

 

 

 植物が「見ている」、「臭いでいる」、「感じている」、「聞いている」と言った現象を、動物におけるそれぞれの感覚のメカニズムと比較しつつ、平易に解説を加えている。よくある疑似科学的なお話ではなく、研究報告を踏まえしっかりとした構成になっている。

 

 植物の「見る」ということでは、情報としての光の受容現象、すなわち屈光性、光周性、概日性リズムについて述べている。

ところで、この章にでてくる話しの、フィトクロムによって夕方には遠赤色光 (Fred)が受容され、朝方には赤色光 (red)が受容されるという主張は正しいのだろうか? 夕焼けと朝焼けのスペクタル組成が違はなければならないはずだ。

嗅いでいる」については古典的なエチレン作用の話しにはじまって、ネナシカズラの芽の宿主探索、食害されたヤナギの葉の警報フェロモンの話し(日本でも似たような研究をしている人がいるが、1980年代にすでに、この手の報告が外国であったのだ)。ライマメは細菌にやられるとサリチル酸メチルを放出し、虫に食われるとジャスモン酸メチルを出す。

 植物は物理的な接触刺激だけで活性化する遺伝子が存在し、touch(TCH)遺伝子と命名された。その遺伝子の一つは、細胞内のカルシュウム(Ca)信号の調節に関わるカルモジュリンの合成をするものであった。たくさん作られたカルモジュリンは活動電位中にでてくるカルシュウムと結びつく。

シロイヌナズナの遺伝子の2%以上が、昆虫が葉の上に止まったり、動物が触れたり、風が枝を揺らしたりする刺激によって活性化するらしい。

 音波が植物の成長などに影響を与えるという話しがよくある。ただ、著者のチェモヴィツによると、これらの報告は雑でとても信頼できないらしい。ダーウィンも、オジギソウに自分のバスーン演奏を聞かせて葉が閉じるかどうか調べたが、最後は「まぬけな実験」という自嘲的な記録を残して、無駄な試みをやめたそうだ。

2000年にシロイヌナズナの全ゲノム配列が決定された。そのDNA解析によってヒトの難聴に関わるホモログ(類似)遺伝子が存在することが分かった。それはミオシン蛋白を支配するが、シロイヌナズナの四つの「難聴」ミオシン遺伝子のどれかに変異が生ずると、根毛が正しく伸びなくなる。

この章は「鐘消えて花の香は撞く夕かな」という芭蕉の発句で始まる。これは感覚同調を表現した不思議な句としているが、作者はどこでこれを知ったのだろうか。

 ヒトが耳石で上下(重力)を感ずるように、植物は内皮の平衡石でそれを感ずる。植物の重力感知にかかわる遺伝子スケアクローは内皮の形成を支配しており。これに変異がおこると重力を感じなくなる。朝顔の一品種である「枝垂朝顔」はスケアクローに変異がおこっていることがわかった。植物のツルの回旋転頭運動は、内生的な機構とそれを増幅する重力応答の両方がかかわっている。

 「植物の記憶」現象についても、それらしい話しが紹介されている。ヒトの記憶はエンデル・タルヴィングによると1)手続き記憶、2)意味記憶、3)エピソード記憶の3層に分かれている。すべての記憶に共通するのは記憶の形成(情報の符号化)、記憶の保持(情報の格納)、記憶の想起(情報の回収)という三つの過程である。植物にも同様の現象がみられるかどうかが問題になる。短期記憶としてはハエトリグサでの実験がある。長期記憶としては側芽の形態形成記憶の研究がある。遺伝子レベルではエピジェネティク現象が関与する春化処理などの話しがある。さらにストレスにされされて活性化された遺伝子の発現パターンが次代に継承される例も知られている。

 

上で述べたような植物の情報信号は、受容部から離れた場所に、活動電位といった電気生理応答で伝えられる。この時、細胞内カルシュウム濃度の調節が関与していることが多いとされている。

参考図書

リチャード・フランシス『エピジェネティクス:操られる遺伝子』(野中香方子訳)ダイアモンド社、 2011

 

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Has man a future?: 人類に未来はあるか。

2020年03月24日 | 評論

バートランド・ラッセル 『人類に未来はあるか』日高一輝訳 理想社刊 1962年

 20世紀において人類が総体として危機におちいった大事件が二つある。一つは1918年のスパニッシュインフルエンザ(スペイン風邪)によるパンデミックである。当時、世界人口は約20億弱であったが、5000万から1億人もの人がこれのために亡くなったとされる。推計値に大きな差があるは、アフリカや中国での正確な統計がとられていないためである。いづれにせよ第一次世界大戦 (1914-18)の全犠牲者が戦闘員と民間人あわせて約3700万人といわれているので、これをはるかにこえる数の犠牲者であった。

当時の日本では、人口5500万人に対して約39万人が死亡した。都市部だけでなく農村部でも大きな被害を生じた。北国新聞 (1918年11月21日)は「感冒の為一村全滅」というタイトルで、福井県大野郡穴馬村の約1000人中970人が罹患し死亡者70人と報じている。京都では第三校等学校校長であった折田彦市先生がこれに罹って亡くなっている。

スパニッシュインフルエンザの発生(正確な場所は不明)は自然生態的なものであったが、感染の蔓延には世界大戦という背景があった。感染したアメリカ軍の兵士が船で運ばれ、一緒にウィルスを世界に広げた。1年間でドイツ兵によって殺されたアメリカ兵の何倍もの人数をたった2ヶ月で失った。これはドイツ軍も同様であった。

季節性インフルエンザは老齢者や幼い子供をターゲットにするのに、このときのパンデミックでは、青年の方が罹りやすくまた重症化しやすかった。その頃の生命保険会社のデーターによると、犠牲者の平均年齢は33歳であった。

青年に取り付きやすいウィルスがたまたま発生したのではなく、そうなる必然性があった。大戦中で多数の若者が徴兵されて兵舎や塹壕に詰め込まれていた。すなわち、非衛生的でストレスが多い環境にいた兵士をウィルスは襲った。変異したウィルスで青年に「適応」したものが、そこで爆発的に感染を広げたのである。

 この100年前の惨劇は歴史の教科書にはあまり取り上げられていない。アルフレッド・クロスビーの『史上最悪のインフルエンザ』(みすず書房)には「忘れられたパッデミック」という副題がついている。この作者は「人の記憶というもの-その奇妙さについて」という1章題をもうけて、これについて議論しているがすっきりした理由は出てこない。

医療の進歩により、このような事態は再びおこるまいとする慢心があったのだろう。しかし今回の新型インフルエンザ(COVID-19)のパンデミックで、そんな楽観論も打ち砕かれてしまった。

 

20世紀2度目の全人類的なクライシスは1962年のキューバ危機である。これは前のと違って純粋に政治的な事件であった。

1962年ソ連のフルシチョフがキューバに核ミサイル基地を建設した。それを察知したアメリカ合衆国ケネディ大統領はカリブ海でキューバの海上封鎖を実施し、核戦争の瀬戸際になった。極限の緊張が高まった時に、ソ連の輸送船団は引っ返して世界の破局は間逃れた。庵主はその頃高校生であったが、この日学校で級友と「一体どうなるのだろうか?」と不安げに話しあった記憶がある。

ウィキペディア(Wikipedia)の「キューバ危機」の項目を参考にしてもらうと、この危機の間に両陣営で何度も核兵器の発射ボタンが押されそうになったことがわかる。しかし、この事件の詳細は一般に知られず、また比較的短期間に収束したので、いまでは単なる歴史的なエピソードとして忘れかけらえている。

 

この事件を予見するようにして出版されたのがラッセルの掲書『人類に未来はあるか?』だ。

バートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル(1872-1970)はイギリスの哲学者、論理学者、数学者、平和運動家である。1950年にノーベル文学賞を受賞している。1955年に核廃絶をうったえる「ラッセル-アインシュタイン宣言」を発表した。以下この著からの抜粋。

『人類は、飢餓、洪水、火山の噴火といったような、たたかうべき危険をもっていた。(中略)そして人類は、こういった危難から抜け出す際、本能的なそして感情的な性格を一緒に新世界に持ち込んだ。それによって人類は前代を生きのびたのである。彼らは生き延びるために、非常な強靭さと情熱的な決心を必要としたものである。彼らはぬけめのない用心、油断のない気づかい、そして危機に際してはそれに立ち向かう勇気とを必要とした。そしてその過去の危難を克服してしまったあとで、彼らはその身につけた習慣と情熱をどのように処理しようとしたか?彼らは解決策を見いだしたが、それは不運にも幸福なものではなかった。彼らは、従来、ライオンや虎に向けていた敵意と嫌疑をその人類の仲間に向けたのである』

 

 ようするに、人類は自然の脅威に対する闘いの本能を他の人類にも向けてきたというのである。このラッセルの語りと現在進行中のCOVID-19によるパンデミックと関連づけてみよう。

各国政府の必死の努力にかかわらず、これに罹る人が罹り、死ぬ人が死んでいつかパンデミックは終焉するであろう。そして全世界で何万何十万(考えたくないが)という犠牲者が出て、残された遺族の怨嗟の声と責任を問う声にあふれるであろう。経済も社会もズタズタにされた多くの国では凶暴なナショナリズムを生むであろう。

これの予兆はすでにある。欧米諸国における、東洋人に対する感情的な差別や迫害が報じられている。コロナウィルスの起源と出所に関して、米国と中国の高官政治家レベルで非難合戦がはじまっている。それぞれの理性が勝利し、これが軍事的なクライシスに発展しないことを庵主は祈る。もし万が一、”米中コロナ戦争”が突発したら、一番に破滅的な戦場になるのは、台湾、韓国、日本であることは地政学的に明らかである。

 

追記1)(2020/04/02)

 ラッセルはアルフレッド・ホワイトヘッドと『プリンピキア・マティマティカ』(1910-1913)を著したことで知られている。この書は1 + 1=2であることを証明するのに379頁を使用している。

ブライアン・クレッグ(「世界を変えた150の科学の本」:石黒千秋訳、 2020、創元社)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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強欲は我が内にあり: 史上最凶のねずみ講=バーナード・マドフ事件

2019年12月14日 | 評論
 
 
アダム・レボー 『バーナード・マドフ事件ーアメリカ巨大金融詐欺の全容』 (古村治彦訳、副島隆彦解説) 成甲書房、2010
 
 2008年9月のリーマン・ブラザースの経営破綻にはじまるリーマンショックの激震がおさまらぬその年の12月になって、巨大な金融詐欺事件がニューヨークで発覚した。いわゆる「バーナード・マドフ事件」である。これの顛末についてドキュメント風にまとめたのが本書である。こんなことがありうるのかという話で、庵主は話の展開にのみこまれ一挙に読んだ。

 「マドフ投資の会」は先物取引の高度な投資手法を使い年率10%から12%の配当を上げていると言って金を集めた。しかし、実際には集めた資金は運用せずに、それを配当するというねずみ講(ポンツィ・スキーム)を行った。「あなたの投資総額は増えています」というウソの報告書だけを毎月送ることを続けた。そして相当の「手数料」を取ってマドフ家の贅沢な生活のために使った。最終的に被害者は約1万1000人に及んだ。
マドフ事件ではアメリカやヨーロッパ、日本の大手の金融機関、証券会社、生命保険会社、著名人、福祉財団、大学までもが被害にあった。被害総額は約6兆円に及ぶ。個人の損失金としては一人当たり数十億円から数百億円の損失額である。法人の場合はもっと大きい。
マドフのねずみ講にどうしてこれほどの巨額のお金が集まり流れ込んだかというと、「フィーダー・ファンド」と呼ばれる子供ねずみの投資信託会社(アメリカのヘッジ・ファンド)が大いに活躍したからだ。ここでもだまされた投資家たちがお金を出したからである。被害者ずらしているが、実はファンドはマドフと共同謀議した加害者であると副島氏は解説している。
 
 マドフは汚いビルの一室で営業するチンピラ金融業者ではなく、全米証券業者協会(NASD)の会長でもあり、株式のコンピュター取引を切り開いたナスダック(NASDAQ)の創始者でもあった。こんな大物が巨大なねずみ講を運営して20年間も詐欺金融をしているとは、誰も思わなかったようだ。投資のプロもだまされた。「何か怪しげなことをしているのだろうが、ともかく自分が儲かっているのだからそれでええわ」だった。ねずみ講では、破綻するまでは最初のねずみ達にとって投資した金額よりも多くのリターンがある。ただ途中で気づいて食い逃げすればの話ではあるが。マドフが破綻した後でも多くのねずみは総額としてはもうかっていたのに、約束の配当より少なかったとして訴訟をおこしたそうである。なんという強欲な連中!
 
マドフの経営に早くから疑問を抱き、ハリー・マーコポロスという人物がSEC(証券取引委員会)に告発し続けていた。彼はSECに何度も不正を告発する手紙を証拠付きで送っていた。それなのにSECは動こうとせず何もしなかったという。何もしなかっただけでなく、マドフの会社は安全であるというお墨付きさえ与えていた。
事件発覚後9ヵ月経った2009年8月に、SECは正式の報告書を発表し、「予算や人員に限界があり、経験の足りない職員が担当したので不正を発見できなかった」という驚くべきバカバカしい言い訳をしたそうである。なんと無能で自堕落な金融監督組織であったのか。多分、今でもそうだろう日本では金融庁がSECにあたるが、一体だいじょうぶなんだろうか?
 
マドフは貧しい東欧ユダヤ人の家系であるが、西欧ユダヤ人の金持ちをターゲットに金を稼いだ。しかし、マドフがダマしたのは裕福な資産家や投資会社だけではなかった。息子の命の恩人の家族さえも餌食となった。マドフの息子が別荘の近くの湖で溺れそうになった。たまたまある少年がそれをみつけ、息子を助けた。その少年の父親は配管工であったが、マドフは感謝のしるしとして、その配管工の虎の子の貯金10万ドル(約1000万円)を自分に投資させた。この10万ドルもきれいさっぱり無くなってしまった。
 
リーマンショック直後、投資家たちが一斉に資金の引き揚げを行ったので、返却する金がショートしついに事件が発覚した。マドフは逮捕されて刑事裁判にかけられ、罪をたったひとりで引き受け、懲役150年の有罪判決を受けた。現在、ノースカロライナ州の刑務所で服役中である。マドフは「巨大ねずみ講をつくったのは確かに自分だが、これを維持運営していたのは人々の強欲にほかならない」とうそぶいているそうである。
 
「訳者あとがき」で古村治彦氏は次のように述べている。日本のマスコミはバーナード・マドフ事件についてあまり報道しなかった。それは確実で安全な投資などないということが、この事件により気づかれてしまうからだそうだ。庵主思うに、運用利息が異様に高い日本の投資信託もほとんどがねずみ講なのではないだろうか。まじめな市民はこんなのに近づいてはなりません
ロバート・デ・ニーロ主演の映画「ウィザード・オブ・ライズ」はこの事件を描いたものである。この映画ではマドフの家族関係を中心に話が展開し、経済事犯の本質をえぐる視点はうすい。
 
 
 
 
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書評:シーナ・アイエンガー著『 選択の科学 (The art of choosing)』

2019年07月22日 | 評論

 シーナ・アイエンガー『 選択の科学』桜井祐子訳 文芸春秋


  我々は無意識に選択を繰り返しながら、人生を送っている。現在の自分は生まれてから行った無数の選択の結果である。しかし「選択」の持つ意味をあまり考えたことはない。この書は人にとっての選択とは何かをテーマにしている。英語原著のタイトルを「選択の技術」と訳すか、訳者の言うように「選択の芸術」かによって読み方が違うが「芸術」はちょっと無理に思える。

作者のシーナ・アイエンガーは1969年にカナダのトロント生まれ。両親はインドのシーク教徒であるが、1972年にアメリカに移住。高校のころ眼の疾患により全盲になる。シーク教徒の戒律にしばられて生活していたシーナはアメリカで「選択の自由」を知り、これにこそこの国の力があると知る。彼女が「選択」を大学で研究しはじめた背景である。コロンビア大学日ビジネススクール教授。本書の重要なあるいは印象深い記述をいくつか選び、解説と庵主の反論(つっこみ)を加える。

 

 • 泳ぎつづけるラットと溺れるラットー希望の信念の有無

  ラットを水槽で泳がしたときに、60時間も泳ぐラットとすぐあきらめて溺れるラットがいることが実験で分かった。そこでラットを何度か捕まえては逃がす訓練と、数分間、水を噴射して放す訓練をした。そして、「溺れるか泳ぐか」の実験をしてみると。全てのラットがあきらめずに60時間も泳ぎ続けた。苦難をのりこえたラットが「頑張れば助かるのだ」という信念を得たのではないか。

庵主反論:困難のかなたに救いがあると考えたからではなく、単に水に慣れて、よく泳げるようになった可能性がある

 

 •動物園の動物の寿命は野外のものより短い

 自然での行動の選択が制限されるストレスで、檻でくらす動物の寿命を短くしてるとしている。

庵主反論:動物園の過食が寿命を縮めている可能もある。ラットを含め多くの動物で過食が寿命を縮め、絶食が寿命を長引かせるという実験結果がある

 

 • 社長は長生きする。

会社の重役や経営者はストレスが多いはずなのに概して長寿である。これは彼らが選択権をタップリ行使できるからである。

庵主反論:もともと人一倍健康な人が会社の経営のトップになる確率が高い。それに給料や報酬が高いので、健康維持のために金をかけれることや、万が一病気になっても高度の治療をうけることができる。決定権を握っているからとは、必ずしも言えない

 

 • 十種類ものチューインガムは棚にいらない

店の棚に同一商品の種類が多いと売り上げはかえって減るという説である。

庵主反論:確かに選ぶ時間はかかるし、迷って買わないかもしれない。しかし、そのとき品物を買わなかったとしても、将来それが絶対に必要になったとき、客は種類の多い方の店を選択するので、長い眼でみると品数の少ない店より売り上げは伸びる

 

 • 東ドイツ住民は昔を恋しがる(この話は面白いので、本文を引用します)

 『1989年1月ベルリンの壁が崩壊した。 一夜にして東西ベルリンは再び一つの都市となり、自由に往き来できるようにたった。その頃は東ドイツの市民は、資本主義と民主主義が導入されれば、すべてがバラ色になると思っていた。しかし、意外にも、新たに見つけた自由に一様に満足していたわけではなかった。ドイツ再統合から20年を経た今も、ベルリンはいろいろな意味で、壁そのものと同じくらい強力な、「考え方」の壁によって隔てられた、二つの都市であるように感じられる。機会や選択の自由が拡大し、市場ではますます多くの選択肢が手に入るようになっていたのに、かれらはありかたく思うどころか、逆にこの新しい生き方に疑いを抱き、不公平感を募らせていた。2007年の調査によれば、旧東ドイツ人の実に九七パーセントが、ドイツの民主主義に失望を感じ、90パーセント以上が、社会主義は理論的には優れた思想で、過去の失敗は、単に実行に移す方法がまずかったせいに過ぎないと考えていた。共産主義時代を懐かしむこのような風潮はとても強く、ドイツ語でそれを表す言葉が作られたほどだ。東を表す「オスト」と、郷愁を表す「ノスタルギー」を組み合わせた、「オスタルギーー」である。一九八九年一一月には新体制を熱狂的に歓迎したベルリン市民が、今やかつてあれほど崩壊を望んでいた体制に戻りたいと思うようになったのは、一体どういうわけなのだろう?』(以上本文引用)

 まず、ソビエト連邦とその衛星国(東ベルリンを含む)が導入した経済体制について考えてみよう。政府は各家庭が必要とする自動車から野菜、テーブル、イスに至るすべての物資の量を予測し、それをもとに国家全体の生産目標を設定した。一人ひとりの市民が、学校で証明した才能や適性に応じて、何らかの職業を割り当てられた。職業の選択肢も、国家の需要予測を基に決められた。家賃と医療費は無料だったため、消費材にしか賃金を使う当てはなかった。国家が生産を管理していたため、家具、住居に謂当たるまでだれもが同じものを同じだけ低入れる事ができた。

(庵主愚考:資本主義=民主主義=競争原理=格差生成 vs 社会主義(共産主義)=一党独裁=計画経済=均等の比較の視点から問い直す必要があると思える。そもそも政治的選択(自由)がなくて、経済的平等を経験した東ドイツの市民は「駄目だ。ともかく西側のような政治的な自由(結社、情報、移動、表現etc)がまず第一だ」とベルリンの壁の向こうで考えた。壁の崩壊後それは手に入ったが、今度は経済的な矛盾に突き当たった。経済も建前は自由でドリームはあるが、雇用に格差や差別があり、とても平等とは言い難い状態だった。西側の罠にハマったか? ともかく、昔の方が良かったと旧東ドイツの人々は言う。このあたりの多次元方程式を解くには価値そのものの意味を問い直す作業がいる。)

 その他、この書は、いろいろ突っ込みを入れながら読むと楽しい。

 

 
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三年清知府 十万雪花銀:中国官僚の蓄財術

2019年07月08日 | 評論

 

 

 高島俊男の『司馬さんの見た中国』(「お言葉ですが 別巻6」連合出版 2014)を読むと、中国では古代から官僚は金持ちだったそうだ。中国の官は公務員試験である科挙によって選抜されたエリートである。気力があり、記憶力と頭がよければ誰でもなれた。それは大きく言って首都の中央官庁に勤める官、皇帝の代理として地方を治める官がいた。中央から地方、地方から中央へといった移動のたびに昇進したが、金銭の実入りは地方の方が圧倒的に多かった。そこでは官にべらぼうな収入があり、数百人くらいの一族を優雅に養っていけたそうだ。朝廷からでる給料が、そんなに高いわけがなく、職務によって得た金品の蓄財による。ただし、職務といっても、税金の横領とか賄賂による不正蓄財である。

 司馬遼太郎はこれを「腐敗」と呼んだが、高島によると「役得」というべきものだそうだ。儒教の最高の徳目は「孝」ということで、「年老いた両親に孝行するためにお金がいりますので」といえば、誰も文句いわなかったという。ほんまかいなというような話だが賄賂・贈賄は上から下まで行っていたようで、社会習慣となっていたようだ。タイトルの『三年清知府 十万雪花銀』は、三年ほど県知事や府知事を勤めたら十万両もの銀貨が貯まるということわざである。

 現在の中国は中国共産党が支配しており、皇帝もいないが(そのうち習近平がなると言う説もある)、統治の基本構造は秦の始皇帝以来の群県制である。ここでは共党員の幹部クラスが県知事に任命され、着任してから伝統にしたがい私腹を肥やして中央に帰る。中国では鄧小平の改革開放路線以来、国中で大きな資本が動き、地方の有力な政治家や官僚にも金が流れた。そしてほとんど例外なく、収賄や横領などの犯罪(高島のいう役得)を犯しているので、叩けばかならずホコリ(悪事)が出て来る。習近平は、それを利用して徹底的に政敵の追い落としをやってきた。

 現代中国社会の様々な問題点は共産党の一党独裁という全体主義から出て来たものではなく、どうも昔からひきづって来た「文化的」なもののようである。彼らのいう「共産主義」も「資本主義」も多分に中国的脚色の上に成り立っているのではないか?  それは遺伝子的なものか環境か文化伝統によるのか? これに関する研究が必要であるかと思う。

 

追記(2021/05/24)

ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』(草思社文庫:倉骨彰訳)によると、15世紀初頭では中国は技術面で世界をリードしていたそうである。鋳鉄、磁石、火薬、製紙、印刷といった技術である。また鄭和の艦隊は世界を圧倒し地球を半周した。しかし、そのリードを守りきることができなかった。それは中国のその後の絶対的な政治体制が進歩的なものではなく、抑制的なものであったためとされる。ヨーロッパは様々な地域に分裂し競合と協同があり、むしろ発展があった。幕藩体制が多様な文化を生んだ日本の江戸時代のようなものである。ともかく西洋が中国を逆転した。現代中国は外国の技術のパクリ屋のように言われているが、潜在的にはポテンシャルを持っている。これは歴史的に証明されている。それを中国共産党による現在の体制が引き出せるかどうか?

 

追記

勝又壽良、篠原勳著『インドの飛翔vs中国の屈折』(同友館2010年)によると、中国社会の特色は「自分中心的」「短期極大利潤主義」「散砂的(ばらばらで組織信用せず)」「模倣主義」だそうである。一方、インドは「自己抑制的』「長期適正利潤」「集団主義」「独創的」となっていて、なんだかえらく依怙贔屓な評価がされている。

 

 

 

 

 

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ヴァイバー•クリーガン-リード『サピエンス異変』を読む。

2019年05月31日 | 評論

ヴァイバー•クリーガン-リード『サピエンス異変』ー新たな時代「人新世」の衝撃 (水谷淳、鍛原多恵子訳)飛鳥新社 2018年

 

   この書は、人類がその歴史において行動、生活を変化させて来た過程で、身体の構造や機能にどのような影響があったか、さらに未来において文明諸国でそれがいかなる形で表われるかについて述べている。二足歩行による移動を生活の中心にしていた人類は農耕革命、産業革命、情報革命を経て歩く事が少なくなり、様々な身体の不具合を訴えるようになった。腰痛、近視、糖尿病、高血圧、心臓疾患やある精神疾患は、歩かなくなった人類が自ら生み出した人新世における新疾病である。この著者の意見では、ひたすら歩くという事によって、これらの予防や治療ができるということである。

  筆者は現代人に日常的な早歩きかランニングを進めている。さらにスクワット(しゃがみこみ運動)も身体によいとしている。また身体のなかの生態系のためにも、緑地や自然環境に、できるだけ触れ続けることを進めている。そこで何種類もの果物や野菜を含む食事をして、腸内生物の多様性を高めて健康を保つように努める必要がある。

  「ウオーキングは魔法の特効薬である」と著者のリードは言う(そういえば徘徊老人はなんだか健康そうだ)。このように、この書はいわば常識を展開した凡書のようであるが、「余談」で述べられているいくつかの挿話が結構面白い。たとえば「ニンジンがニンジンでなくなった」の一節では、生産の効率ばかりを考えて促成栽培されるニンジンが、昔のような優れた栄養価を持たないニンジンだと述べている。また口内の唾液のpHは本来中性だが、食事をすると酸性になるので、食後すぐに歯を磨くとそのエナメル質が溶けて、かえって逆効果であると書いてある。pHがもとにもどる寝る前の歯磨きが、やはり有効のようである。

  今後、人類におこる身体的あるいは精神的な不具合は、スマフォやパソコンなどの情報器機を使うことによって生ずると予測される。いまでも「メール指」や「スマホ指」が問題になっている。1980年代には「任天堂指」をめぐる同様の懸念があったが、症状としてでなかったので(ほんとうか?)、当時は問題にならなかったそうだ。しかし通勤電車内でスマホを操作する若者の姿をみていると、このような反復運動過多損傷(RSI)は今後の社会的な健康問題になりそうである。そのような事を考える人には好適な参考書であると思う。

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ミヒャエル・エンデ「遺産相続ゲームー地獄の喜劇」の現代的教訓

2019年05月28日 | 評論

 

 

 

 ミヒャエル・エンデ(1929-1995年)はドイツの児童文学者ですが、「モモ」や「はてしない物語」など哲学的で文明批判的な作品を多数、世に出しています。「遺産相続ゲームー地獄の喜劇」(丘沢静也訳、岩波書店、1992年)は、1967年にフランクフルトで初演されたエンデの戯曲「ゲームをぶちこわす者たちー五幕の喜劇的な悲劇(Eine konnische Tragodie in funf Akten)」の全訳です。 とある宮殿に10人の遺産相続人が招集され、それぞれ、封筒に入れられた一枚の書き付けが手渡されます。10人が全員、協力しあって、亡き宮殿の主人の全ての言葉を綴り合わせれば遺産の何物かが得られるものを、お互いに疑心暗鬼となり、あるいは独り占めにしようとして協力せず、最後は全員が地獄の業火に焼き尽くされるというストーリーです。 登場人物は、保険会社社長とその家族、将軍、女教師、若い男性、女猛獣使い、前科のあるならず者、盲目の老農夫、家政婦、執事と公証人などです。それぞれの性格や思考パターンは世間で類型化されたもののいずれかに当てはまります。すなわち、読者は登場人物の一人を自分の代理人として投影しながら筋を追う一種の心理劇となっています。  

 この作品でエンデは、人間の愚かさ、自己破滅性を表現しようとしていますが、特別の主人公がいるわけでなく、登場人物すべてが解決しなければならない課題を均等に共有しています。エンデはその解説で、誰も悪人として登場するのではなく、みんなそれぞれ自分の想像とか行動基準から抜け出せないので、自分の置かれた状況にふさわしい行動を取る事ができない無能者、いいかえれば馬鹿者なのだと述べています。これはまた、現在の日本の社会の状況を言い表しています。一生懸命やっているように見えて、実は自分の利益や自己保身を思考の中心にしているために、目が曇って物事の連環やダイナミズムを理解できないのです。

 これが書かれたのは、東西冷戦の真っ最中で、米ソは何百回も人類を死滅させるに足る核兵器を持ってにらみあっていました。すなわち、作品の背景には冷戦下での核戦争の可能性がありました。エンデは、解説でさらに次のように述べています。 「ヒロシマから核時代が出現し、それ以来何事も混沌として常軌を逸し、自殺にすら等しい行為を繰り返しました。そしていま相続人達が魔法の館に集まって、全員の共通の利益のために協力するのか、それとも、ぞっとするやり方で破滅するのか選択を迫られています」  しかし、こういった世界政治的なテーマとしてではなく、この戯曲を今日的に解釈すると、地球という人類が過去から受け継いだ大事な遺産を、相続人がそれぞれエゴを丸出しにして破滅させてしまうという寓話とも言えます。ローマクラブの報告「成長の限界」が出版されたのは1972年で、これの初演の5年後の事ですが、エンデは際限のない生産力とコントロールできない資源乱獲による地球環境の破壊により、人類が破滅の道へと突き進んでいることをすでに予見していたように思えます。この戯曲の悲劇的結末を予言して登場人物の一人は「もしも、この宮殿が破滅すると、その時は私たちも一千万マルクともども一緒に破滅するのよ。私たちは囚われの身なのを忘れないで」と叫んでいます。

 このドラマでは舞台となる宮殿が重要な効果を持っています。最初、舞台になる宮殿は明るく輝いて色とりどりの鳥が群れになって自由に飛び回っています。しかし、ストーリーが展開するにつれ、壁や柱は傾き歪んでいき、あらゆる材出はボロボロになり、女人像や肖像画はミイラや骸骨に変容していきます。周りはむんむん照りつけるように暑く、鳥の死体が山となります。魔法にかけられたような宮殿が、地球そのものを暗喩している事は、こういった情景の推移によって分かります。 いずれにせよ、エンデの主張は、現代社会の破滅は多数の個々のプロセスの総和の結果にあるとしています。言い換えると社会の変革や矛盾の解決は、特定の政党や集団によるトップダウン的な操作によるのではなく、市民の個々人の連結を基盤としたボトムアップな力によるものでなければならないと言っていると思います。 

 

追記 1(2021/05/27)

生産力崇拝思想とは?

 現代の経済学と政治学は「社会に成長は絶対に不可欠」とする成長力思想にとりつかれている。資本主義も共産主義も生産力思想による経済成長を通じて、この世が天国になると考えており。ただその具体的な手法についてだけ、言い争っていただけだ。その背景には1)人口はこれからも制限無く増え続ける2)生活水準をあげるために必要というものであった。しかし1)人口については工業先進国では減少し始めていること2)生活水準も飽和していることから、この考えの矛盾が指摘されはじめた。一昔前までは、未知の大陸が成長の発展力であったが、現代では科学技術(イノベーション)がそれに替わっている(ユヴァル・ノア・ハラリ 『ホモ・デウス』河出書房 2018)。

追記2(2021/12/02)

 資本主義はシャーロックの本姓、すなわち強欲を踏襲したシステムで人間の生活や地球環境にお構いなく利潤を求める。増資、増産、増人口の3つの歯車をフルに連結させ、ひたすら生産力に拍車をかけてきた。さすれば、資本主義の矛盾を弁証法的に止揚した共産主義の未来を予想したマルクスは、生産力思想をどのように分析し批判したのだろうか。それに取り組んだ労作が斎藤幸平の「人新生の資本論」(集英社2021)である。この書のまとまった評論はべつの機会にゆずりたい。この書は問題提議は適格だがマルクスびいきが災いして、本質が見抜けていないように思える。マルクスは労働の歴史的発展については詳しく分析したが、人類の発祥いらい、この種が地球環境とどのようにかかわってきたかを考察し、総括はしなかった(多分その時間がたりなかった)。この欠落が、後にスターリニズムや現代中国の鄧小平路線を生み出す背景になっている。

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ドブジャンスキーの「Heredity and Nature of Man」(遺伝と人間)を読む

2019年05月26日 | 評論


 テオドシウス・ドブジャンスキー(Theodosius Grygorovych Dobzhansky1900-1975)は20世紀における遺伝学の泰斗の一人である。ロシアに生まれキエフ大学を卒業した後、アメリカに渡りコロンビア大学の動物学の教授として、モーガンと共にショウジョウバエを材料に、ダーウニズムの立場で古典的遺伝学の基盤を作った。ドブジャンスキーをはじめ、この頃の生物学者の大物達は、重箱の隅をつついている昨今の分子生物学者とは大違いで、専門分野を背景に科学、社会、人間などについて思念し様々に持論を展開している。

 ドブジャンスキーの著作は多いが、1964年に名著「Heredity and Nature of Man」を表している。日本語訳は「遺伝と人間」(杉野義信、杉野奈保野訳、1973年)で、岩波書店から訳書が出されている。この書はドブジャンスキーの著作の中でも、現代世界の諸問題を扱った含蓄の深い古典である。これは現在、絶版になっているようで、中古本を購入するか図書館で探して読むしかないが、ここではその内容を紹介しよう。

 本書の前半は大部分、遺伝学についての基礎知識と遺伝子DNAの構造と機能の解説に当てられているが、後半は広く普遍的概念である人間の個性や、「環境か遺伝か」といった問題、他民族へのステレオタイプ的偏見、多様性の礼讃などを論じているが、「放射線による遺伝的障害」についても1章をあてている。1960年代の放射線影響に関する遺伝学者の一般的な考えを、代表しているものと思えるので、要約的に紹介する。

 ドブジャンスキー曰く、生命のそもそもの始まりから常にそうであったように、現在でも、人間においても他のすべての生物においても、突然変異は常に起っている。突然変異なしでは、進化それ自身が起り得なかったはずだ。それゆえ遺伝的負荷は、生命が環境の多様性や変化に進化的な変化によって適応できるようになるために支払う代償だといえる。しかし、この見方を人間にあてはめようとするのは無意味である。それは人間の場合、環境に対する適応は、遺伝的な手段よりむしろ主に文化的な手段によるからである。その上、大多数の突然変異は有害なものだ。人間の場合、突然変異が多く起れば、それだけ多くの人間に苦しみを与えることになる。

 ところが、人間はこれまで突然変異の頻度を減らす方法を知らないままできた。それどころか、最近の科学技術の進歩は逆に突然変異率を上げる結果になっている。近年になって、この問題が広く公共の関心を刺激することになったのは当然のことである。つまり、X線やその他の放射線によって人類の受ける遺伝的障害の問題である。1927年に、H・J・マラーはX線を照射したショウジョウバエの子孫は突然変異の頻度が高くなるということを発表した。現在では、すべての高エネルギーの、つまり透過性の強いイオン化放射線は突然変異を誘起するということが知られている。つまり、放射線を受けた個体の子孫には突然変異の出現頻度が増加する。突然変異を誘起しやすい放射線は、X線、ラジウムのガンマ線や核兵器実験による放射性降下物、原爆の灰や原子炉や原子核破壊装置から出る放射線等々である。

 これらの被ばく後、影響が比較的早く出てくる症状と、悪性腫瘍(ガン)のように遅く出てくるものがある。遺伝的障害は生殖組織の中で誘発され、子孫に伝えられる突然変異を含んでいる。生理的障害は、どんなに痛ましいものであろうとも、放射線を受けた世代に限られる。しかし、遺伝的障害は放射線を受けた人の子孫に、しかも被曝後何世代にもわたって障害を与える。

 生理的障害と遺伝的障害のもう一つの違いも大切なことである。微量の放射線は、生理的には何ら障害はない。というのは生理的障害には、それを生じる最少危険闇値があるからである。ところが、遺伝的障害はそうはいかない。誘起される突然変異の数は放射線の量に比例する。障害が起こらないような放射線の最少値、つまり、安全な値というのはないのだ(いわゆるLNT仮説が主張されている)。

  したがって、大気中での原爆実験などからの放射線降下物から受けた放射線の量が如何に少なくとも、それを受けた集団に或る数の変異を誘起することは避けられない。どのような放射線源にしろ、そこから出る放射線の量が、少ないからといって無害であるとはいえない。特に、その放射線を浴びるのが全人類、つまり三十五億(現在では70億)の人間であるとすれば、なおさらのことである。どんなに少人数であっても、罪もない人々を死に到らしめたり、苦しめたりすることは倫理的にいって全く弁護の余地がない(ICRP関連の研究者が口をすっぱくして、“してはいかんよ”と言っている”掛け算”をドブジャンスキーは言う)。

 他方、極微量の放射性元素は、すべての生体の中にも、また環境の中にも含まれているので、すべての生命は常にある程度は放射線に曝されてきたのだということも忘れてはならない。ほとんど除去できないこのような放射線のバックグラウンドは常に突然変異を誘起していきた。このバックグラウンド以上に人工の放射線源によって、放射線量がどのくらい増加したかを測定する試みがなされている。当然、放射線量の増加は科学技術の進歩した国が最も大きい。たとえばアメリカでは、人工放射線源のために放射線被ばく量は約二倍にもなっている。これまでのところは、主な人工の放射線原は放射性降下物ではなくて、医療の診断および治療用に使うX線である。放射線医療に用いることからくる恩恵はあまりにも大きく、これをやめるわけにはいかないが、患者にかける放射線はできる限り少なくしなければならない。殊に生殖器の照射に対しては特別要心しなければならない(医療における放射線の過剰照射問題はこの頃からすでにあったようだ)。

 以上がドブジャンスキーが1960年代に発表した放射線影響についての見解である。現在、放射能問題で、良識派(悲観派?)が主張するほとんど全ての内容がすでに述べられている。現代世界の文明が、生み出す破滅的なリスクは全て遺伝子が関与しているというのが、庵主の見解である。即ち「放射線障害」、「強毒性インフルエンザ」、「遺伝子組み換え生物」の3つである(地球温暖化問題は誤った仮説と思えるので省く)。放射線は人類の生み出した核と原子力によるもので、ドブジャンスキーが述べたようにヒトの遺伝子に作用しガンを誘発し、遺伝子に悪い変異を起こす。強毒性インフルエンザはウイルス遺伝子に変異や組み換えが自然に生じた結果出てくるものだが、現代世界の流通の構造がその力を増幅しスペイン風邪のようなパンデミック(世界的大流行)を引き起こす。さらに3番目のものは、人類自ら生物の遺伝子を改変し組み換え技術により本来ありえない生物を作りだし、それが予想もつかない災害を地球にもたらすというリスクである。幸い、これだけは人類は未だ経験していない。未来において、これらのクライシスのいずれかが発生した場合に(そのうち二つは経験ずみ)人類を救うのは、遺伝子や文化を含んだ多様性であると考えられる。

 

 

 

 

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ピエール・ガタリ「3つのエコロジー」が示す時代のテーゼ

2019年05月24日 | 評論

 

 

 

 フランスの思想家、ピエール・フェリックス・ガタリの「3つのエコロジー」(杉村昌明訳、平凡社、2008年初版)は、現代社会を読み解く重要な手引きである。ガタリの思想を一言でいうと、「自然環境」と「社会」と「人間」の3つのエコロジーが統合されたエコゾフィー(ecologie + philosophie)という視点によって世界を解釈しようというものである。それによると、たとえば個人の健康問題も、家族的なスケールで考えるものではなく、環境(自然)と社会の関係において、解釈し判断すべきという事になる。

  講演「エコゾフィーの展望」(同書収録)において、ガタリは盛んに「美的(エステチック)」という言葉を使っている。訳者の注解によるとこれは、人間が持つ感性的な特質という事のようだが、ガタリ自身は、社会は社会的な言葉だけでは解決せず、人間の内面にあるものが絡まってこないと物事の展望が、ひらけないと言っている。この言葉の意味するところは難解であるが、自分の風土や文化や民族について本来的に持っている、これらを愛おしく思う心の発露を呼びかけたものと解釈される。ただこの「美的」の内容が重要で、ユートピアにもなりファシズムにもなる。”他”もしくは”多”を許容する心がなく民族の「美的」にとらわれてファシズムになった例がナチスドイツである。

  ガタリは「エコロジーの3つの基本的な作用領域の接合が行われない限り、あらゆる危険や脅威の増大を予測せざるを得ない」と述べている。ガタリはこの書で、ドナルド・トランプを「突然変異的で化け物のような繁殖力を誇る藻類」と批判している(p29)。トランプはこの初版が出された当時、ニューヨークなどの大都市で不動産王として君臨し、貧困者から家を奪い多数のホームレスを生み出した。ガタリもまさか約30年後にこのトランプがアメリカ合衆国の大統領になるとは思わなかったろうが、人の本来の感性では、すなわちガタリの言う「美的感性」では、トランプは決して許容できるものではなかった。 ガタリはさらに、「自然環境(自然)」、「社会環境(社会)」、「精神環境(人の心)」の接合に加えて、「情報環境」の問題を取り上げている。メディアを、権力による支配の道具としてのみネガティブに取り上げるのではなく、そこに新たな社会的コミュニケーションとしての建設的可能性を見ている。「美くしくありたいと思う心(感性)」を持った人たちが、利用可能な全てのコミュニケーション手段で、団結しなければならないと。

 

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佐藤直樹著『細胞内共生説の謎』を読む

2019年03月24日 | 評論

佐藤直樹『細胞内共生説の謎』ー隠された歴史とポストゲノム時代における新展開:東京大学出版会 2018年刊行

 

  リン・マーギュリス(Lynn Margulis, 1938- 2011年)は、米国の女性生物学者である。ミトコンドリアや葉緑体の起源に関して細胞内共生説(symbiosis)を唱えた。細胞内共生説は、どの生物学の教科書に載っており、その提唱者とされるマーギュリスは生物進化に興味ある人ならその名を必ず知っている。マーギュリスは、異なるタイプの細胞が順次細胞内共生を行おうことによって、現在の真核細胞ができたという連続細胞内共生説を唱えた(1970)。彼女によると、古細菌に、まず好気性のバクテリアが入り込んでミトコンドリアの祖先となり、それと相前後してスピロヘーター様の細菌が共生して、波動毛の祖先となることによって真核細胞の基本ができたという。さらに、藍藻の祖先が細胞内に共生することにより葉緑体の起源となり、それが進化して高等植物の細胞を生じたと考えた。マーギュリスは、スピロヘーターの共生が、真核生物細胞のもつ最も基本的なメカニズムである「有糸分裂」の起源となり、さらには減数分裂、とりもなおさず真核生物の「性」の起源となったと主張した(今ではこれは否定されている)。

  共生の契機になったのは、微生物間の「食う食われる」という関係であったとマーギュリスは言う。大型の嫌気性古細菌に食われたATP合成能力のある好気性のバクテリアと光合成できる藍藻が、消化されず残って、連続して共生進化したものが、現在のミトコンドリアと葉緑体を持つ真核細胞の起源だと言うのである。細胞という工場の敷地内に自己増殖する自家発電所と農園を設計し、代謝の産業革命がおこったというわけである。最近になってUCLAのジャーメス・レークは、放線細菌とクロストリジウムといった原核生物間のレベルでも細胞内共生が起こり、二重膜を持つグラム陰性の原核生物が生じ、これにマーギュリスの共生が起こって真核生物が出現したという仮説を発表している。

  マーギュリスが最初、この説を出した頃には、信ずる人はほとんどいなかったが、今では、ミトコンドリアと葉緑体の共生説に関しては、大部分の生物学者が認めている。以前から、マーギュリスの共生説に似た説は提出されていたが、彼女が抜きん出でいたのは、ミトコンドリアや葉緑体などのオルガネラの遺伝子の少なさを、遺伝子伝搬というダイナミックな解釈で説明したことである。最初に取り込まれた共生バクテリアの遺伝子が、宿主の核遺伝子に次第に受け渡されていって、現在のような短いサークル状の遺伝子になって残っていると考えている。その後、爆発的に発展した分子生物学が、それをサポートしてくれたことも彼女にとって幸運であった。

 1938年シカゴ生まれのリン・マーギュリスは有名な宇宙天文学者のカール・セーガンの最初の奥さんであった。シカゴ大学の学部時代に学生結婚をしたが、天才同士の「共生」はむつかしかったようで、二人の子供をもうけた後に離婚している。その後、リンはニック・マーギュリスと再婚する。カールも若くて美しいアン・ドルーヤンと再婚し、『はるかな記憶―人間に刻まれた進化の歩み』 (朝日文庫1997年)という、いささか退屈な本を二人で書き上げたが、1996年に病気で他界した。リン・マーグリスも2011年に脳梗塞で亡くなった。

 ところで冒頭に挙げた佐藤の著書は共生説に歴史的スポットを当て、共生説の最初の提唱者は実はマーギュリスではなくて、ロシアの生物学者コンスタンティン・メレシコフスキー(Konstantin Mereschkowski, 1855-1921)であると主張する。その話の要点は以下の通り。

 メレシコフスキーはワルシャワで生まれ1875年にサンクトペテルブルク大学で動物学を学び、世界を転々として研究を続けた。1904年カザン大学の私講師となった。この頃、地衣類の研究から共生の問題に関心を持ったとされている。1908年には植物学の特任教授になるも、1914年まわりとのトラブルのせいで退職。その後、ジュネーブに移住したが自殺してしまう。かなり変わった学者のようであった。1905年には共生説について、ロシア語の論文を、1910年にはドイツ語の、さらに1920年にはフランス語の論文を発表している。当時のロシアには無政府主義者のクロパトキンを始め共生という概念が底流にあったという。ルイセンコが生物学界を牛耳るまでは、革命ロシアの生物学は創造的な異色の人材で溢れていた。メレシコフスキーは藍藻と色素体の比較を綿密に行った。真核細胞の細胞核もミクロコッカスという細菌に由来すると考えた。しかしミトコンドリアについては細胞内共生を考えなかった。ミトコンドリアの共生説はリヒャルト・アルトマン、ポール・ポルティエ、イバン・ウオリンなどが唱えていたが誰も取り上げなかった。マーギュリスを待つまでもなく多数の生物学者がすでにオルガネラの共生説を唱えていたのである。

  マーギュリスは1970年の論文「真核細胞の起源」で、メレシコフスキーの論文 を引用し色素体(葉緑体、白色体、有色体)の細胞内共生起源に関しては自明であるとしている。この論文の骨子は有糸分裂の進化(この説は現在では否定されている)を述べてもので、色素体の獲得説は「おまけ」のように付け加えられている。共生の概念も述べられているが、メレシコフスキーやレーダーバーグがすでに述べたことを整理しているにすぎない。いわば彼女の色素体の共生起源説はメインテーマを主張するための前提で述べらえたもので、論文の本質ではなかった。それではどうして、メレシコフスキーらを差し置いてマーギュリスが細胞内共生説の筆頭者になったのか?それはミトコンドリア、葉緑体、鞭毛などの細胞内器官のすべてに共生原理を適応させたダイナミズム(たとえ間違っていても)と前に述べた分子生物学の潮流といった背景があったせいである。さらには当時の冷戦構造もあって共生説の起源をロシアにすることは西側の科学界は好まなかったようだ。

 著者の佐藤直樹氏は現在、東京大学大学院総合文化研究科の教授である。学者らしい綿密な歴史的考証を重ねて論を展開している。ロシアを含めた西欧の自然科学の創造性の起源は歴史性と多様性にあるようだが、日本は共生説のような破格な学説を唱えるスケールの大きい学者が出る風度ではなさそうである。しかしながら、このように共生説の背景を緻密に考証、整理して発表してくれる律儀な研究者は出る。

 

注1:『9/11爆破の証拠―専門家は語る(9/11 Explosive Evidence - Experts Speak Out:90分)』(Richard Gage 監督主演) を「プライムビデオ」で見ていたら、コメンテーターの一人にLynn Margulisが登場して驚いた。仮説が最小の可能性しか持たない場合は、科学的とは言えないと言って、「貿易ビルの崩壊に関する委員会報告」を批判している。彼女のパソコンの画面には「仮説による原始細胞のサイトスケルトン」の図が出ていた。 (2019/05/01)

注2:無核細胞ー有核細胞ー有核細胞オルガネラ細胞ー多細胞ー社会性集団といった進化は複雑化、重層化を特色としているが、これの必然性については、ダーウインもそれ以降の生物学者も説明していない。

注3:共生説に対して当然内生説というのがある。中村運(甲南大学名誉教授)は内生説の一種である膜進化説を唱えた。それによると、藍藻の一種が先祖となり、それの膜小器官がDNAを断片化させたまま、核、ミトコンドリア、葉緑体などに分化したという。この説では動物細胞は葉緑体が喪失したものからできたということになる。(中村運 『生命進化40億年の風景』化学同人、1994)

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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最近の遺伝子技術について

2019年02月24日 | 評論

 須田桃子さんの「合成生物学の衝撃」(The impact of synthetic biology 文芸春秋 、2018)を読む。著者は毎日新聞科学部の記者で、理研のSTAP細胞問題を精力的に取り上げた人である。彼女はこのテーマで大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。

 

  表題から「生命の起源」に関する研究について書かれた本かと思ったが、遺伝子操作による生物改変がテーマになっている。この著書では、コンピューター上で生命の設計図であるゲノムを設計し、それに基づいて合成したDNAをもとに新たな生物体を造り、生命のしくみを解明したり、有用な生物を作るのが合成生物学 (synthetic biology)とされている。この用語を作ったのはフランス人医師の ステファヌ・ルデユックだそうだ。

  旧来の遺伝子操作は単一の遺伝子を欠失(ノックアウト)あるいは新たにに組入れ(ノックイン)たりしていたが、複数個の遺伝子をキットにして細胞に導入し効果を見る方法が開発されている。こういったバイオブリックを考案して学生が国際コンテストで提案している。ただ、これがうまく働くケースは少ない。一方、この分野で、技術的に注目されるのはCRISPR-Cas9(クリスパー・キャスナイン)と、それを用いた遺伝子ドライブという方法である。前者はカリフォルニア大学バークレー校のジェニファー・ダウドナ教授とスエーデンのメオ大学のエマニエル・シャンパンティエ教授の二人の女性科学者が開発した方法である。細菌の持つ特殊な免疫機構を利用したもので、ノーベル賞が将来確実と言われている。遺伝子ドライブというのは、このCRISPR-Cas9自体を遺伝子に挿入するというアイデアーで、ハーバード大学のケビン・エスベルトによって考案された。これまた画期的な方法で、有性生殖する生物のゲノムに、このシステムを挿入すれば、人工の「利己的遺伝子」ができることを2014年に理論付けた。これだと、一つの染色体に挿入されると、同じ細胞内で発現したCRISPR-Cas9が働いて相手の染色体にも同じ配列を挿入する。これもすぐにショウジョウバエを始め複数の種で実証された。この方法はマラリアを媒介する蚊に、応用して不妊遺伝子を広めこれを撲滅できないか研究が進んでいる。

 原子力(核分裂エネルギー)が、そうだったように人類にとって画期的な科学技術や方法は一方で巨大なリスクを持っている。今までの遺伝子組換え技術も問題をはらんでいたが、その方法は手間もかかり、狙った遺伝子部位を改変するは難しかった。それが上記の方法では誰でも容易にできるものである。昔は野菜の品種改良には、野菜農園で高線量の放射線(ガンマー線)を照射して、偶然できる突然変異種を選び、それを固定するのに何年もかかった。それが、これらの新技術でほんの1週間で可能となったのである。

  この本のタイトルの「衝撃」とはなんだろう。よく読むと衝撃的な話はいくつもある。それはまず生物の遺伝子改変技術を用いた生物兵器の開発である。旧ソ連ではペスト菌に人工的に作成したベネゼラ馬脳炎ウイルスの遺伝子を挿入して自然界にない生物兵器を作るプロジェクトがあった。それに関してはセルゲイ・ポポフというソ連の研究機関で生物科学兵器の開発に携わった研究者の証言が生々しく紹介される。そこでは今言うところのバイオブリックを使った開発が行われた。現在、米国では多額の軍事予算が合成生物学研究に使われているらしい。その中心となる組織はDARPA国防高等研究計画局である。ここでは機密研究はなく、成果の論文作成は自由で産業利用も可能とされているが、あくまで軍事目的ではないかと著者は疑念を抱いている。

 すべてのDNA配列(約5300塩基対)を人工的に合成し、これを大腸菌に挿入すると、そこでウイルス「ファイルX 174」が合成されて細胞外に放出された。これは予想されたことではあるが、化学合成されたDNAから「生命」が誕生した恐るべき出来事といえる。クレイグ・ベンターらの研究チームの研究である。さらにベンターらはボトムアップな方法で、ミニマル・セルを誕生させた。人工ゲノム細胞の約半分で、自然界最小のマイコプラズマを下回る53万塩基対、遺伝子の数は473個であったと報告している。

  さらに別の衝撃的な話題は、改変されたヒトの遺伝子を人工的に作る計画がアンドリュー・ハッセルらによって進められたことである。例えばウイルスやがんへの耐性を持った「ウルトラセーフ」なヒト細胞のゲノム計画である。無論、これの倫理的、宗教的な批判があり、激しい論争を巻き起こしている。21世紀はAIと遺伝子及び放射線が文明を変えるといわれている。この書は、類まれな個性、飽くなき資本、際限ない軍事欲望が絡まって技術の進歩が進むことを物語っている。これらの動向を冷静に見守る必要がある。そういった事を考えさせられる一冊である。

 

 

 

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Cliff Ecology: Pattern and Process in Cliff Ecosystem

2018年08月24日 | 評論

 

 

『Cliff Ecology: Pattern and Process in Cliff Ecosystem』

 D.W. Larson, U. Matthes, P.E. Kelly

 Cambridge University Press 2000 (340pages)

 

崖や急峻な傾斜は地表のいたるところに見られる。日本では、あまりはやらないが、

崖域生態学(cliif ecology)という分野があって、この本はそれに関するまとまった

学術書である。崖の動物相 (fauna)や植物相(flora)の特徴を記載し、平面を垂直に分断する

”界面”境界で生物多様性を高める役割をするのなどの記述がある。界面境界とは異質な生態的

空間を分割する地球の膜みたいなもので、崖、河川、海岸、地溝などがある、この書には

一方で “urban cliff hypothesis"(高層都市の崖域起源説)などといった話も出て来る。

Bonnsai(盆栽)の名木を収集するには崖をロッククライムして捜すのが良いとも書かれている。

  

   

(図は掲書より引用。崖は複雑な構造と環境を備えておりコウモリなど

様々な生物の住処となって多様性を高めている。途中洞窟がみえるが

人類の祖先は、このような場所をねぐらにしていた可能性がある。)

 

 

『石器時代と同様に摩天楼の中でも人間は一方で閉ざされた空間に意味を見いだし、

他方では地平線への凝視に意味を見いだす』  ルネ・デュボス

 

 

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親切と暴力の非対称について

2013年02月04日 | 評論

   ハーバード大学教授であった進化生物学者のスティーヴン・ジェイ・グールド(Stephen Jay Gould:1941- 2002)は「一万回の親切」というエッセイで、人の社会における親切と暴力の非対称について論じている。これは「八匹の子豚-種の絶滅と進化をめぐる省察」(Eight little piggies:早川書房)という本の中におさめられている話だ。

 日常、我々の生活における99.9%の行為は友好的で善意に満ちあふれているが、まれに起こる暴力や邪悪な行為によって、すべてが覆ると主張する。ほとんどあらゆる瞬間を支配しているのは平和な安定状態のはずだが、稀有な恐ろしい突発的事件が歴史を作ると言う事にもなる。この発想の原点はグールドがメイルズ・エルドリッジと共に提案した生物の進化理論 “断続平衡説”に基づいている。これは、生物の進化は時間とともにゆっくりと連続して進行するのではなく、地質年代的にはほんの一瞬の間で起こるという説である。

 親切と暴力の非対称性は教育の現場でも起こる事で、教師が生徒に対して一万回親切を施していても、たった一回の暴言(暴行)で、いままでの努力が水泡に帰してしまう事がある。まったく教育とはひたすら忍耐することのようだ。生徒の方は忍耐力がないから、当然、一方的に教師にそれが求められる。

 大阪桜宮高校での教師による体罰事件や日本女子柔道の選手に対する監督の暴行事件は、このテーマとはまったく正反対の状況のようである。はたして一万回の暴力が一回の親切により回復するような非対称性があるのかどうか? 昔の親方と徒弟の関係を描いたドラマにそんなのがあったが、今ではとてもありそうもない話だ。

 

 

 

 

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