京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

書評:シーナ・アイエンガー著『 選択の科学 (The art of choosing)』

2019年07月22日 | 評論

 シーナ・アイエンガー『 選択の科学』桜井祐子訳 文芸春秋


  我々は無意識に選択を繰り返しながら、人生を送っている。現在の自分は生まれてから行った無数の選択の結果である。しかし「選択」の持つ意味をあまり考えたことはない。この書は人にとっての選択とは何かをテーマにしている。英語原著のタイトルを「選択の技術」と訳すか、訳者の言うように「選択の芸術」かによって読み方が違うが「芸術」はちょっと無理に思える。

作者のシーナ・アイエンガーは1969年にカナダのトロント生まれ。両親はインドのシーク教徒であるが、1972年にアメリカに移住。高校のころ眼の疾患により全盲になる。シーク教徒の戒律にしばられて生活していたシーナはアメリカで「選択の自由」を知り、これにこそこの国の力があると知る。彼女が「選択」を大学で研究しはじめた背景である。コロンビア大学日ビジネススクール教授。本書の重要なあるいは印象深い記述をいくつか選び、解説と庵主の反論(つっこみ)を加える。

 

 • 泳ぎつづけるラットと溺れるラットー希望の信念の有無

  ラットを水槽で泳がしたときに、60時間も泳ぐラットとすぐあきらめて溺れるラットがいることが実験で分かった。そこでラットを何度か捕まえては逃がす訓練と、数分間、水を噴射して放す訓練をした。そして、「溺れるか泳ぐか」の実験をしてみると。全てのラットがあきらめずに60時間も泳ぎ続けた。苦難をのりこえたラットが「頑張れば助かるのだ」という信念を得たのではないか。

庵主反論:困難のかなたに救いがあると考えたからではなく、単に水に慣れて、よく泳げるようになった可能性がある

 

 •動物園の動物の寿命は野外のものより短い

 自然での行動の選択が制限されるストレスで、檻でくらす動物の寿命を短くしてるとしている。

庵主反論:動物園の過食が寿命を縮めている可能もある。ラットを含め多くの動物で過食が寿命を縮め、絶食が寿命を長引かせるという実験結果がある

 

 • 社長は長生きする。

会社の重役や経営者はストレスが多いはずなのに概して長寿である。これは彼らが選択権をタップリ行使できるからである。

庵主反論:もともと人一倍健康な人が会社の経営のトップになる確率が高い。それに給料や報酬が高いので、健康維持のために金をかけれることや、万が一病気になっても高度の治療をうけることができる。決定権を握っているからとは、必ずしも言えない

 

 • 十種類ものチューインガムは棚にいらない

店の棚に同一商品の種類が多いと売り上げはかえって減るという説である。

庵主反論:確かに選ぶ時間はかかるし、迷って買わないかもしれない。しかし、そのとき品物を買わなかったとしても、将来それが絶対に必要になったとき、客は種類の多い方の店を選択するので、長い眼でみると品数の少ない店より売り上げは伸びる

 

 • 東ドイツ住民は昔を恋しがる(この話は面白いので、本文を引用します)

 『1989年1月ベルリンの壁が崩壊した。 一夜にして東西ベルリンは再び一つの都市となり、自由に往き来できるようにたった。その頃は東ドイツの市民は、資本主義と民主主義が導入されれば、すべてがバラ色になると思っていた。しかし、意外にも、新たに見つけた自由に一様に満足していたわけではなかった。ドイツ再統合から20年を経た今も、ベルリンはいろいろな意味で、壁そのものと同じくらい強力な、「考え方」の壁によって隔てられた、二つの都市であるように感じられる。機会や選択の自由が拡大し、市場ではますます多くの選択肢が手に入るようになっていたのに、かれらはありかたく思うどころか、逆にこの新しい生き方に疑いを抱き、不公平感を募らせていた。2007年の調査によれば、旧東ドイツ人の実に九七パーセントが、ドイツの民主主義に失望を感じ、90パーセント以上が、社会主義は理論的には優れた思想で、過去の失敗は、単に実行に移す方法がまずかったせいに過ぎないと考えていた。共産主義時代を懐かしむこのような風潮はとても強く、ドイツ語でそれを表す言葉が作られたほどだ。東を表す「オスト」と、郷愁を表す「ノスタルギー」を組み合わせた、「オスタルギーー」である。一九八九年一一月には新体制を熱狂的に歓迎したベルリン市民が、今やかつてあれほど崩壊を望んでいた体制に戻りたいと思うようになったのは、一体どういうわけなのだろう?』(以上本文引用)

 まず、ソビエト連邦とその衛星国(東ベルリンを含む)が導入した経済体制について考えてみよう。政府は各家庭が必要とする自動車から野菜、テーブル、イスに至るすべての物資の量を予測し、それをもとに国家全体の生産目標を設定した。一人ひとりの市民が、学校で証明した才能や適性に応じて、何らかの職業を割り当てられた。職業の選択肢も、国家の需要予測を基に決められた。家賃と医療費は無料だったため、消費材にしか賃金を使う当てはなかった。国家が生産を管理していたため、家具、住居に謂当たるまでだれもが同じものを同じだけ低入れる事ができた。

(庵主愚考:資本主義=民主主義=競争原理=格差生成 vs 社会主義(共産主義)=一党独裁=計画経済=均等の比較の視点から問い直す必要があると思える。そもそも政治的選択(自由)がなくて、経済的平等を経験した東ドイツの市民は「駄目だ。ともかく西側のような政治的な自由(結社、情報、移動、表現etc)がまず第一だ」とベルリンの壁の向こうで考えた。壁の崩壊後それは手に入ったが、今度は経済的な矛盾に突き当たった。経済も建前は自由でドリームはあるが、雇用に格差や差別があり、とても平等とは言い難い状態だった。西側の罠にハマったか? ともかく、昔の方が良かったと旧東ドイツの人々は言う。このあたりの多次元方程式を解くには価値そのものの意味を問い直す作業がいる。)

 その他、この書は、いろいろ突っ込みを入れながら読むと楽しい。

 

 

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