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Remembrance 2006/09/06-2020/06/08  2020/07/01-

   ある日のできごと、心の呟き、よしなしごとetc

奈良公園の鹿   202311

2023年11月15日 | 旅(奈良)
11月だというのに、とても気温の高い日が続いています。

旧博物館の前の池  

この鹿さん、水の中で長い時間を過ごしていました。

   

       

    
一方、こちらの鹿さんたちは、じゃれ合っている感じでした。
軽く頭突きを楽しんでいるように見えました。



   



   

     


私の近くの地面に鹿せんべいが落ちていました。

   

それを拾った外国人さん、鹿にあげました。

     

ちょっと目を離した隙に決着がついたのでしょうか。
いつのまにやら新しい相手とじゃれ始めていました。

       

ほどなく新しい相手は去って行きました。

     

東大寺大仏殿の裏   202311

2023年11月14日 | 旅(奈良)
「タケルのタ」で買った唐揚げ弁当を持って、毎年紅葉がきれいな東大寺大仏殿の裏へ行きました。
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https://takerunota.com/
「タケルのタ」の唐揚げは、私のお気に入りです。
いつ行っても、感じのいい店員さんたちに迎えていただけます。
近鉄奈良駅のすぐ近くにあります。
皆さんもどうぞ~。
※定休日は日曜日です。

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大仏殿の南側は観光客でごった返していますが、北側はとても静かです。
母子が寛いでいます。
幸せな時です。

  

大仏殿と正倉院の間の切株に座ってお弁当を食べました。
鹿のフンが多いので、私はいつも切株に座ることにしています。

イチョウの葉はかなり落ちていました。



唐揚げ弁当  

木の下にいると、ドングリがパラパラと落ちてきました
ので、拾い集めました。
鹿のフンをつかまぬように気を付けながら。

  

     

冬、鹿さんにドングリをあげると喜んでくれますので、袋に入れて持ち帰ることにしました。

木を見上げるとたくさんのドングリがなっていました。

  

    

      


正倉院へ行く人たちを見て、私も久しぶりに行こうと思いました。
前と全く変わりはないだろうと思いつつ。

  
   
     


太陽光線のことを考慮すると、朝来るべきだったといつも思います。
が、私が行くのはいつも午後です。
 
  


          


     

         


正倉院の南西にある池へ。
紅葉はまだ先です。
いつも鹿さんがたくさんいるところなのですが。

   

毎年きれいに色づくイチョウです。
  
    


東大寺鏡池 

鈴なりの柿  

        


国立奈良博物館近く  
 
    

    

       


茶色く枯れている松が気になりました。

    

奈良の鹿 

2023年11月13日 | 旅(奈良)
奈良の鹿は、奈良公園だけにいるわけではありません。


猿沢池の南西辺りの道  

空地の草を食べている鹿を見かけました。

  

近づくと、3頭の鹿がいました。

  

しばらく様子を見ていました。
 
   


警戒心はしっかりと持っているという動きでした。

      

うちの畑にも来てもらって、雑草を食べてくれたらどんなに嬉しいでしょう。せっかく植えた苗を食べられたら、がっかりですけれどね。

高取城跡(奈良県高市郡高取町) その3:高取城跡から壷阪寺へ 202310

2023年11月11日 | 旅(奈良)
14時10分 高取城跡から下山を開始しました。

14時14分 八幡神社口壷阪寺方面と壺阪山駅国見櫓跡方面の分岐点

    
  
      

私は、八幡神社口壷阪寺方面へ進みました。
  
     



14時17分 壺阪口門跡  





この石段を上がり八幡神社へ向かいました。

   

14時29分 八幡神社  

    


八幡神社からの下りがこの日一番厳しい山道でした。

14時33分 史蹟高取城址の碑

   





壷阪寺へ行くには、どちらの道を選ぶべきか…

  


どちらの道を進めばよいのか、判断材料がなく、悩ましいところでした。
ここで私は「五百羅漢遊歩道を経て」ではなく、「五百羅漢を経て」の道を選んだのだと思います。
結果的に、その道はかなり荒れていて、狭く、左へ足を踏み外したら大変なことになりそうなところもありました。おそらく「五百羅漢遊歩道」の方が無難な道だったのだろうと思えました。




14時50分 五百羅漢

   

             

                   

高取城跡へ上る時はここが分岐点ですね。

      

               

     

14時57分 ここから壷阪寺へは、車道を歩きました。

    







壷阪寺が見えてきました。

   

壺阪寺もかなり高いところにあります。

        

  

   

振り返ると、天竺渡来大観音石像

   

     

15時13分 壺阪寺参道の碑  

    


    

15時15分 壷阪寺(南法華寺)到着

    

        






高取城跡から下り始めたのが14時10分でしたので、壷阪寺着までの下りは1時間3分ほどかかったようです。
パンフレットには、所要時間は60分とあります。
まずまずの速さで歩いたと思ったのですが、よく考えると、パンフレットは上りで60分です。
私は下りで63分。かなり遅いペースだったということです。

15時18分 壷阪寺バス停で、発車時刻を確認しました。  

    

16時5分発のバスがあるようです。それが最終バスです。
3月や土日祝には15時35分発というバスもあるのですけれどね。
歩いて壺阪山駅へ行くには50分ほど下らねばなりません。
歩けない距離ではありませんが、バスなら11分ほどで楽に駅まで行けます。(運賃330円)
どちらにしようかなぁとちょっと思案した私、バスを選びました。

16時5分 路線バスに乗車

    

16時16分 近鉄壺阪山駅到着



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【まとめ】

高取城跡がある高取山の標高は583mです。
壺阪山駅(奈良県高市郡高取町大字観覚寺)の地点の標高は117m。
ということは、この日私が歩いた高低差は約466mということになります。

道は迷うようなところはなかったものの、一人で初めての道を通っての山城登城はなんとなく不安がありました。

八幡神社から「史蹟高取城址」碑までの道の一部はとても険しく、八幡神社を通らずに「史蹟高取城址」の碑まで行く道を選んだ方が無難だと思いました。
でもどこにその分岐点があったのか、今もよくわかっていません。
険しい道を下りて来て「史蹟高取城址」の碑を目にした時、ちょうど二人組女性が右の方から「史蹟高取城址」の碑の方へ歩いてきたのを見ましたので、別の道があったのだとわかったのです。
下りだからゆっくりゆっくりなんとか進めましたが、これが上りだったら私の体力ではちょっとしんどかったかもしれません。

金剛山や葛城山のように多くの人が上っているわけではなく、ほとんど人とすれ違うことない山道でした。
人がほとんどいない、初めての所での一人登山は、精神力と根性が試されている感じがしました。
また、あんな高いところまで、あんなにたくさんの大きな石を運んだということに驚くとともに、先人の苦労を偲びながらの登山でした。

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高取町観光ガイド
https://sightseeing2.takatori.info/takatorijyou-d/より引用

高取城
日本三大山城と呼ばれる「高取城」の魅力

岡山の備中松山城、岐阜の美濃岩村城に並ぶ日本三大山城の一つ。
城は標高583.9mある高取山の頂に築かれ、城内周囲は約3km、郭内周囲は約30kmにも及ぶ。現在は緑に覆われ、石垣を留めるのみの姿ながら、本丸・二の丸跡の立派な石垣からは往時の栄華が感じられる。
昭和28(1953)年に国の史跡、平成18(2006)年には日本100名城に認定された。


高取城の始まりは元弘2(1332)年、南朝方に属した高取の豪族・越智氏が築いた、天守や櫓などの一切ない掻揚げ城であったとされている。
天正12(1584)年、筒井順慶によって郡山城の詰城として再建されたのち、近世的城郭へと整備・拡張が行われたのは天正13(1585)年のこと。この年、豊臣秀長の家臣であった本多利久が城主となり、山城式に平城式手法を取り入れた珍しい城が築かれた。
城内には大小の天守に27の櫓、33の門を持ち、それらが積み重なる白亜の立体的な美しさは芙蓉の花に喩えられ、「巽高取雪かとみれば 雪でござらぬ土佐の城」とも謳われた。麓から天守台までの高低差は、実に390mと日本三大山城の中でも最も高く、「日本一の山城」と呼ぶにふさわしい規模と高さを誇る。寛永14(1637)年に本多家が絶えてからも、明治4(1871)年に廃藩置県が布かれるまでは14代にわたり、植村家が城主を務めた。紅葉の見頃を迎える11月23日には、火縄銃の実演や時代行列が恒例。
高取城は 比高の高い山城

日本を代表する山城として、下記の三城が「日本三大山城」といわれている。
高取城の比高は390mでもっとも高く、ふもとから本丸までの高さを指している。その差が高ければ高いほど難攻不落と言える。また、その壮大な規模からも、山城として日本一の山城ともいわれ、日本百名城にも選ばれている。

城郭名        
所在地  
海抜    
比高    
解説
大和高取城奈良県583m390m比高が一番高い
備中松山城岡山県480m340m建物が現存する中で最も高いお城
美濃岩村城岐阜県721m150m海抜が一番高い

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機会があれば、壷阪寺参道を下から歩いてみたいと思います。


高取城跡(奈良県高市郡高取町) その2: 国見櫓跡から高取城跡本丸へ 202310

2023年11月10日 | 旅(奈良)
その2: 国見櫓跡から高取城跡本丸へ

国見櫓跡からの眺望を見て、元の山道に戻り、本丸へ向かいました。
本丸まで、残り520mです。

  


城跡への道中、看板「石垣崩壊につき 落石注意 高取町」が何本も立っていました。

    


矢場門跡  





13時14分 松ノ門跡  

      

壺阪山駅方面へ下りて行く人たちと初めてすれ違いました。

   




13時18分 宇陀門跡

 

13時20分 千早門跡 

  



      






13時24分 大手門跡  ※八幡口(400m)と本丸(200m or 300m)の分岐点
     ※本丸:200を消し、300とマジックで書かれていました




            





13時29分 十三間多門跡

    



    

 ※2013年3月、「青春18きっぷ」で備中高梁へ行った時、「備中松山城」の天守に登りました。
もう10年も前のことになるのですねぇ…
あの時は、同じ電車で駅に降り立った「青春18きっぷ」利用者数人と一緒にタクシーに乗って松山城へ行きましたので、あまり歩かずに済んだような。
帰りはどうしたのかしら。記憶がありません。



13時32分 太鼓櫓跡・新櫓跡

   

新櫓跡に上りました。

      

座ってクリームパンを1個食べました。

    

新櫓跡の上から見た御神木

  

本丸へ向かいました。

13時40分 御神木 



    天守大杉 芙蓉姫 
      樹齢 700年   樹高 26m   幹周 5.3m



13時45分 看板「本丸」を持つクマさん  

    

     


13時50分  本丸です!!
12時から山登りを始めたので、1時間50分かかって本丸到着です。
パンフレットには、所要時間は1時間30分とあります。
上りが苦手な私、よく頑張ったと思います。

高取城がある高取山の標高は583mです。
壺阪山駅(奈良県高市郡高取町大字観覚寺)の標高は海抜117m。
ということは、私はこの日、高低差約466mを歩いて上ったということになります。

※麓から天守台までの高低差は、390mだそうです。





本丸で食事をする二人  

    

 私も本丸で食事をしました。
(チーズパン、チョコレート、ラムネ、ミカン)

    

           ※2個食べた後に写真を撮りました。




山また山  



       









高取城跡(奈良県高市郡高取町) その1:高取城跡を目指して国見櫓跡へ 202310

2023年11月09日 | 旅(奈良)
「第15回高取かかし祭り」をゆっくりと見せてもらった後、初めて高取城跡へ行きました。

十津川村を歩いているとき、もしかしてクマが出てきたら…という不安感がありましたので、今回はリュックに鈴をつけて歩きました。
高取町にクマはいないだろうと思いますが、一人旅ですから念には念を…。

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20231104の毎日新聞を読むと、
「秋田県内のホームセンターではクマよけ商品の売り上げが急増」という記事がありました。
鈴は「サイズが大きく高価なほど大きな音が出る」とのこと。
私の持参したものは小さいサイズでした。ほんの「気休め」程度ということだったのですね。クマよけには大きい音が必要なのですね。
次回自然の中を歩くときには、持って行く鈴の数を増やそう!!と思っています。
クマだけではなく、イノシシもサルも出会ったら怖いですからね。
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高取城はこんな山城だったのでしょうか。
土佐街道で見かけた看板

   

奈良産業大学のCGによる高取城の再現 https://sightseeing2.takatori.info/cg-project/は見応えがあります。

https://sightseeing2.takatori.info/cg-project/#cgyoutubeの「高取城CG再現映像と現在の高取城を比較」は臨場感があって、面白いです。
まさに私が歩いた登山道が写されていて、大手道を上っている感じがするYouTubeです。

かつては立派な山城だったのですねぇ。
今は石垣を遺しているだけですけれど。

さて、私は11時頃にかかし祭りのメイン会場を出ました。
その後の時間経過はカメラの時刻表示によります。

11時25分 松ノ門  


田塩邸  


どこから十五丁でしょう?

    


11時28分 植村家長屋門  





「日本最強の城 高取城」の幟

    


11時43分 どこから「七丁」でしょう?

       


11時47分 

      高取城跡 2,300m  宗泉寺 700m

       




      


12時 宗泉寺への道との分岐点

     

ここに「大手道登城案内図」があり、それには「いよいよ山登りの始まりです。
…黒門跡から本丸までの高低差は約350m…
ここから本丸まで1,836m ここから壺阪山駅まで2,937m」とありました。

  




12時6分 高取城址の碑  






12時27分 一升坂

   



12時32分 「本丸 1,060m  岩屋不動 120m」
岩屋不動へ上り始めましたが、途中で道が怪しくなり、自信がなく、引き返しました。




12時44分 飛鳥時代の石造物「猿石」 
       ※大手道と明日香村栢森(かやのもり) との分岐点

ここから本丸までの高低差は約110m

   

     

猿の背中  


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※「栢」の読み
植物・樹木の名前として「かしわ」と読み、地名として「かい・かや」と読み、
人名としては「かしわ・かし・かや」などの読み方をすることがあるそうです。

※明日香村の奥、南東方向にある稲渕(いなぶち)栢森(かやのもり)入谷(にゅうだに)の3つの集落をさして奥明日香というそうです。

明日香村栢森(かやのもり)は観光地と全く無縁の一大過疎地だそうな。
その町並みは、大和棟の大きな家や切り妻造りの豪勢な家屋、白壁の土蔵、煙り出しを残した家屋など、江戸時代から明治時代の様相を残した集落だとか。
 そんな静かな所をいつか訪ねてみたいと思います。 
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12時49分 二の門跡

    

  

      

水堀がありました。大阪湾に注ぐ大和川の支流高取川の源流です。

   









13時  国見櫓跡と本丸との分岐点

国見櫓跡へ進みました。

    

13時3分 国見櫓跡

   

 

  
                      
   

展望が開け、見渡せます。

   

正面に二上山474m   手前の集落は土佐街並み

  

左が畝傍山199m   右のきれいな三角錐が耳成山140m
遠くに生駒山642m

    
                               

                        
     
               

            
  
ほっと一息ついて景色を楽しんで、国見櫓跡から登山道へ戻りました。

かかし祭り(奈良県高市郡高取町)   202310

2023年11月08日 | 旅(奈良)
奈良県高市郡(たかいちぐん)は、高取町(たかとりちょう)と明日香村(あすかむら)の1町1村からなる郡です。
 
高取町(たかとりちょう)の「第15回高取かかし祭り」を見に行きました。
かかし祭りを見るのは初めてでした。


開催期間 2023年10月1日(日) ~ 2023年10月31日(火)  午前10時~午後4時
開催場所 近鉄吉野線壺阪山駅下車、駅前から直ぐの高取土佐町並み       

壺阪山駅でも、かかしが迎えてくれました。

   

メイン会場、民家やお店の軒下、塀の瓦の上などに約260体ものかかしが並んでいました。



      


        


     

土佐街道  


   

     

  


土佐街道  


    

         

高取城  



土佐恵美須神社  

かかしの神主さん  



    

暮らしの一場面を切り取った自然な姿には味わい深いものがありました。


   

後ろ姿はまるで人間のよう。

     



     


土佐町由来
  

どのかかしも丁寧に作ってあります。


      

         

お二人の語っている言葉が聞こえてきそうです。

       

メイン会場にはたくさんのかかしが並んでいました。

   

かかしの表情は、一体ずつ異なります。
個性豊かです。

     

阪神の岡田監督のかかしは製作が間に合わず、似顔絵ボード。

  

米大リーグで日本人初の本塁打王に輝いた大谷翔平くんも、一目でそれとわかりました。

    

お、表情が本人そっくり!!と思ったのは、史上初の全8冠制覇を果たした将棋の藤井聡太くんのかかし。
 
   

      

碁盤はかまぼこ板で手作りされたものだそうです。

     






15年も続いている恒例のイベントですが、運営メンバーの高齢化を理由に今回で幕を下ろすそうです。

主催団体「天の川実行委員会」のみなさん、楽しいかかし祭りを15年も開催していただき、ありがとうございました。

約260体のかかしさんたちの譲渡先は決まっているとのこと。安堵しました。  

十津川村の旅 (その6)おしまい   202310

2023年11月06日 | 旅(奈良)
果無集落の駐車場から、くねくねとした細い道を下りました。
  
  

国道169号線に出るまでに、「めん滝」がありました。
雌滝(めんたき)でしょうか。

     

               

                   

                       


【境目滝(サイメタキ・サイメンタキ) 雄滝(おんたき)雌滝(めんたき)

https://hikojima.hatenablog.com/entry/20190902/1567350000_1
に詳しく載っています。

下ります。

  

  

「小辺路登山口下」バス停  

      

赤い柳本橋が見えて、ほっとしました。

            


下りきったところに向井去来の句碑がありました。

    

          『つづくりもはてなし坂や五月雨』
          (つづくりも はてなしざかや さつきあめ)
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https://ameblo.jp/mt-tokko/entry-12549675740.htmlより引用
大和紀伊のさかひはてなし坂にて、往来の順礼をとゞめて奉加すゝめければ、料足つゝみたる紙のはしに書つけ侍る
   つゞくりもはてなし坂や/五月雨    去来
   (つづくりも はてなしざかや さつきあめ)

(句意)通行料を取っていくらこの「はてなし坂」を修理しても、この五月雨が降る中でははてなし山です。「はてなし坂」とは、大和と紀州の国境の熊野神社への参詣道路。「つづくり」(名)修理。補修。
季語は「さつき雨」(初夏)。句中に切れのある取り合わせ。
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この後、「昴の郷」で野猿に乗り、足湯を楽しみ、今回の1泊2日の旅は終わりとなりました。

①谷瀬と柳本の吊り橋が渡れたし、②野猿にも乗れたし、③玉置神社への参詣もできたし、④天空の郷と呼ばれる 「果無集落」にも行けたし、⑤念願の「小辺路」を歩くこともできたし、今回の旅は、2023年の想い出に残る、よいものとなりました。


2023年のお泊りの旅はこの旅だけです。
日帰り旅は数多くしましたけれど(吉野の桜、金剛山登山、葛城山登山、高野山参詣等)。
ちょうど一年前(202210)の曾爾高原以来の旅でした。
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※十津川村の観光サイト「https://www.vill.totsukawa.lg.jp/traveling_guide/」は参考になりそうです。
次回はこれを見て情報を得てから十津川村へ行くつもりです。

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ちなみに、そこにはこんな記載が!!
お知らせ            
掲載日:2023.06.14          
ツキノワグマ出没に係る注意喚起について
十津川村には「ツキノワグマ」が生息しています。
ツキノワグマは全身黒褐色ですが、名前の由来通りほとんどの個体に胸に白い半月状の模様が見られるのが特徴です。
ツキノワグマは元来、臆病で警戒心も強く、好んで人間に近づくことはありません。聴覚と特に敏感な嗅覚で、人間より先にツキノワグマの方が気付いて避けようとしますが、不意に人間と鉢合わせてしまった場合、ツキノワグマの方も人間を恐れて、強い力と鋭い鉤爪、大きな歯で攻撃を仕掛けてくることがあります。
また、走る速度も時速40kmから50kmほどです。

令和5年に入り、奈良県内でツキノワグマの目撃情報が多数報告されています。
山に入る時は、大きな音の出るクマ鈴を身につけたり、ラジオを鳴らして携帯するなどしてください。
もしツキノワグマに遭遇しても背中を見せず、興奮させないようにそっと下がっていきましょう。
山の中でクマの姿や足跡を見つけたら、十津川村役場へご連絡ください。
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果無集落で、果無峠登山口から駐車場へ、車道を歩いて下りる時、十津川村にクマがいるなら、クマと出会うのではないかしら…という不安が渦巻きました。
十津川村にはクマがいるのですね!!
知らなかった!
無事帰れてよかった~!!!

十津川村の旅 (その5)果無集落  202310

2023年11月05日 | 旅(奈良)
十津川村には「果無(はてなし)集落」という集落があるそうです。
かなり有名だそうですが、私は全く知らなかった…。


この集落は山の上にあるので、幅員の狭い道を10分ほど車で上がっていかねばなりません。

上りきると、4台分の駐車スペースがありました。
私たちが一台目でした。



200m歩きました。


路線バスは月曜日のみの運行です。

     

果無集落を歩きます。良い天気です。

  

コスモスが咲いています。

   

 

石垣がきれいに積まれています。

    

田んぼもあるのですねぇ。
稲刈りは終わっていました。

   

きれいな水と苔

   





集落はここで終わりました。
この細い道(小辺路)を歩いて行くと、十津川温泉を経て高野山へ行けるのですね。

    

ここで引き返しました。

  

果無峠 4.1㎞ 

十津川温泉 0.9km 

西国三十三観音 


いわゆる「原風景」でしょうか。

  

    


  

     

  

      


周りは山が幾重にも連なっています。
それらと同じ高さに立っている感じで、感動しました。
もし、私がこんな果て感のあるところで生まれて育ったとしたらどんな人間になったるだろうと思いました。

  

車道まで戻りました。

  

果無峠の方への小道(小辺路)を歩きます。

  

  

コウヤボウキ  

 

     

人家の敷地の中を通らせていただきます。

 

果無峠 3.7km  





車道に出ました。バス停「小辺路登山口上」です。

    

         

熊野参詣道小辺路の案内板 

   

ここからが登山です。

   

果無峠 3.6km  
  

登山道  


全く装備をしていないので登山道は進まず、ここで引き返すことにして、駐車場まで車道を歩きました。


コウヤボウキ  



  

「中果無」バス停  

おうちの前のコスモス 

  
木彫りのフクロウさん  

「世界遺産石碑前」バス停に戻ってきました。

   

駐車場へ向かいます。
里芋の大きな葉が見送ってくれました。

  


くねくね道を車で上って駐車場に着いたのは、9時半頃でした。
果無集落の散策を終えて駐車場に戻ったのは、10時40分頃でした。

一時間余りののんびりタイムでした。
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「小辺路」(こへち)や「中辺路」という言葉の響きに憧れて、「いつか歩きたいなぁ」と、漠然と思っていました。

高野山と熊野本宮大社を最短で結ぶ熊野参詣道が、全長72㎞の「小辺路」なのですね。
今回初めて知りました。

その小辺路が果無集落の中を通っているのです。
思いがけず小辺路を少しだけですけれど歩くことができて私は嬉しくなりました。
小辺路の道幅はとても狭いのですが、一人が通れたらよいのですから、この狭小な道で十分ですね。

果無集落から十津川温泉へ下って行く小辺路をどんどん歩くと、高野山へ行けるのですねぇ。
果無集落から小辺路を歩いて果無峠を越えて行くと熊野本宮大社に到着するのですねぇ。



十津川村の旅 (その4)柳本吊り橋 202310

2023年11月04日 | 旅(奈良)
果無集落へ行く前に、柳本吊り橋を渡りました。
吊り橋を見ると、素通りできません。

柳本吊り橋は、県道735号線にあります。

   

長さ90m、高さ10mです。

   

徒歩なら、この吊り橋を渡って果無集落へ行けるようです。
  
  

「果無峠越登山路」を歩く体力があればなぁ…

    

柳本橋は繊細な感じのきれいな吊り橋です。

  

低い位置から撮ってみました。

     


連日良い天気に恵まれました。

    

まだ新しい木です。

   

下を流れるのは上湯川  


さぁ、次は果無集落を目指します。


十津川村の旅 (その3)玉置(たまき)神社   202310

2023年11月03日 | 旅(奈良)
十津川村には標高1076mの玉置山という霊峰があります。
大峯奥駈道が通る玉置山は山岳修行の聖地のひとつ。
大峯奥駈道の南の拠点として多くの修行者が往来し、その山頂近くに鎮座する玉置神社は熊野三山の奥の院として栄えました。

玉置神社は、第十代崇神天皇の時代に王城火防鎮護と悪神退散のため創建されたと伝えられているようです。


玉置神社へお参りするには、幅員の狭いくねくね道を車で上がります。
対向車が来ないことを祈り続けるような道です。

  


山また山  

玉置神社の駐車場には思っていたよりも多くの車が止っていました。


         

    


幟がたくさん立てられていて、厚く信仰されている神様なのだとわかります。
    

    

  

この鳥居をくぐると、参道は下り道です。

   


    

かなり下りて行きます。


   

      



樹齢3000年と言われる神代(じんだい)杉や、常立(とこたち)杉、大杉などの巨樹を含む杉の巨樹が、天に向かってのびています。


    

御本殿 

  
   



三柱神社  
  

  

         

   

駐車場からの展望、幾重にも連なる山また山
 
  


玉置神社は、とても神聖な空気を感じる神社でした。

摂社・三柱神社
出雲大社玉置教会
末社・玉石社
後白河院、和泉式部の参詣記念の石塔
彩色戸襖(狩野派の花鳥画)
などについては下のリンクを見てください。


私は、全く予備知識なしに玉置神社へお参りしましたので、「玉石社」が玉置神社の最も神聖で重要な部分だとはつゆ知らず、玉石社には詣でずに帰ってしまいました。
残念なことをしました。「徒然草」ではありませんが、先達はあらまほしきもの…です。

十津川村の旅 (その2)野猿(やえん) 202310

2023年11月02日 | 旅(奈良)
「野猿」という乗り物に乗ってみたいと、ずっと思っていました。

木の箱のようなものに乗って、綱を自分で引いて、川の向こう岸まで行くという乗り物です。

十津川村で野猿に乗れるところは、ホテル昴(敷地内)と西川出合にあります。
※それぞれ使用料無料です。

今回の旅の途中、「昴の郷」で野猿体験ができました。
平日でしたので「昴の郷」には人がほとんどいません。「野猿」に乗る人も皆無。

ロープが見えました。
きっと野猿のロープです。
ロープの左端の方へ行ってみました。


しかし、そこには乗るべきものがなく、どうやら反対側にありそうです。


野猿は川の上を通るわけではないようです。
乗り場はあちらです。

  

野猿がある側へ移動しました。

ありました!!


注意書き  

       
しかし、手袋は見当たらず…。


私は「野猿」に乗り込んで金具のロックを外し、進み始めました。
綱を引くにはかなりの力が必要だとすぐにわかりました。

向こう側に到着しましたが、そこにはロックのできる金具がありません。
ということは、元の所へ戻らねばならないということです。
つまり座る向きを替えて往復する必要があるということです。

まだ余力がありましたので、眼下の景色、サイドの景色を見ながら、また頑張って綱を引きました。

  
    

     


強力な援助を得たおかげで、それほど腕を酷使することなく、無事戻りつきました。
一人旅でないことを感謝した場面でした。
一人旅なら腕力のなさを思い、「野猿」は諦めたでしょう。
若い時なら一人旅でも怖いもの知らずで「野猿」に乗ったでしょうけれど、いろいろ考えてしまう年齢になってしまいました。

なにはともあれ、長年の念願が叶って、大満足の私でした。

野猿の後は、のんびり足湯をしました。
足湯にはベストシーズンでした。

足湯をするのは何年ぶりだろう…
城崎温泉には足湯はなかったなぁ…
ということは、湯村温泉以来かなぁ…

  

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https://www.vill.totsukawa.lg.jp/traveling_guide/onsen_gou/によると、

十津川温泉の泉質は、【ナトリウム炭酸水素塩・塩化物泉】70℃ pH7.5

                            
村内全域、源泉かけ流し。
                           
2004年、十津川村は全国で初めて「源泉かけ流し宣言」をした村です。
 村の温泉施設すべてが、お湯の循環、再利用を一切せず、沸かさず、塩素消毒をせず、薄めず、「ほんまもんの温泉」をこんこんとかけ流しています。これは、十津川村の豊富な湯量だからできる、極めて贅沢な極上の温泉です。また、湯泉地温泉・十津川温泉・上湯温泉は、すべて「美肌の湯」の泉質を持っています。                            
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十津川村の旅 (その1)谷瀬の吊り橋  202310

2023年11月01日 | 旅(奈良)
十津川村の「谷瀬(たにせ? or たにぜ?)の吊り橋」


Taniseno Tsuribashiとあります。「たにせ」ですね。

車を村営駐車場に置きました。


Tanize no Tsuribashiとあります。「たにぜ」ですね。

たにせ? or たにぜ?
どっちが正しい読みなのでしょうか?

乗用車の駐車料金は800円。お高いですね!
2時間も駐車しないし…。






説明書きには「たにぜ」とルビが付いています。

  

雲一つない空、連なる山、流れる水、そして吊り橋!
最高にきれいな景色です。 


  
さぁ、上野地から谷瀬に向かって吊り橋を渡ります。

  

「スリル満天の空中散歩」と形容される「谷瀬の吊り橋」を渡りました。
上野地と谷瀬を結んでいる、鉄線の吊り橋です。
長さ297.7m、高さ54m。
もともとは生活用のための吊り橋として、昭和29年(1954年)戦後の復興期
にかけられたそうです。
それまでは、谷瀬の人々は川に丸木橋をかけて行き来をしていたのですが、洪水のたびに流されたそうな。そこで谷瀬集落の人々は大金を出し合い、大吊り橋を村の協力を得て完成させたそうです。
真剣な思いでできた吊り橋なんですね。
静かな山々に囲まれ、眼下には清らかな熊野川(十津川)が流れています。
古人の偉業に感謝しながら、トコトコトコと渡りました。
ゆらゆらふわふわと揺れる不安定感、浮遊感が空中散歩っぽく、スリルというよりも心地よさを覚えました。


途中、大きな白い犬とすれ違いました。

吊り橋を渡り切り谷瀬側に到着して、上野地側を見た写真です。

  
   
注意書き  

   

このベンチに座っておにぎりを食べました。

  



ゆっくりと歩いて渡ってくる男性たち

  
   
          

          


案内板  

       

吊り橋の谷瀬側の終点から300mほど歩くと、後醍醐天皇の第3王子大塔宮護良親王が十津川に逃げ出したとき、豪族竹原八郎が仮宮殿を建ててかくまった御所の跡「黒木御所跡」があるとのこと。南朝史跡です。
明治22(1889)年8月、奈良県吉野郡一帯はすさまじい豪雨に襲われ、十津川の被害は甚大(じんだい)で死者168人、生活の基盤を失った者約3千人。
あの時に宮跡や竹原八郎の五輪塔などもなくなったようです。

「黒木御所跡」に行ってみようかしらと、チラッと思いましたが、吊り橋が苦手で渡ることのできない人を上野地側で待たせているので、「黒木御所跡」には行かず、早々に戻ることにしました。


谷瀬側から吊り橋を渡ります。
この瞬間、私だけのためにある吊り橋です。
 
  

帰りは写真をたくさん撮る余裕があります。
河原にはテントがたくさんありました。
  
  

          

      

        

  
        

この辺りが中間地点でしょうか。
   
    


           


上野地側に到着しました。
谷瀬側の空と山が美しい!!


ゆっくりと吊り橋を渡れて、私は大満足!!
「いつか…」の思いがひとつ叶いました。

初めて吉野郡十津川村へ  202310

2023年10月30日 | 旅(奈良)
2023年10月、初めて奈良県吉野郡十津川村へ行きました。

「十津川村」といえば、「谷瀬の吊り橋」と「野猿」です。
いつか体験したいとずっと思っていました。

十津川村には電車は通っていませんので、電車以外のアクセスとなります。
車で行きました。

京奈和道(無料)を南へ走り、五條ICで下りて、国道168号線を南下しました。

五條市本陣交差点から十津川温泉までの所要時間は、約2時間だったでしょうか。

国道168号線は、途中道路工事が何ヶ所でも行われていましたが、幅員に関してはほとんどストレスなく通行できました。





日本一距離の長い路線バス八木新宮特急バス(大和八木と新宮を結ぶ奈良交通のバス)とも数回出会いました。

日本一の八木新宮特急の始発駅である近鉄大和八木駅から新宮駅まで166.8㎞、所要時間約6時間30分。
次回はこのバスの長旅にトライしてみようと思います。
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https://www.narakotsu.co.jp/rosen/yagi-shingu/より引用
全長169.8㎞、停留所の数は168、高速道路を使わない路線では、日本一の走行距離を誇る路線バス、それが八木新宮特急バスです。
道中には、日本一大きな村といわれる十津川村、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」を駆け抜け、知る人ぞ知る温泉地もたくさんあります。
   世界遺産でハイキングしたり、温泉で疲れた体を癒せるスローなバスの旅はいかがでしょうか?         
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しかし、県道735号線(龍神十津川線)、玉置神社への道、果無集落への道はかなり幅員が狭く、対向車が来ないことを祈りながらのドライブでした。
昼間の好天の日のドライブでしたからまだよかったですが、慣れない者にとっては雨の日や夜などの走行はストレスが大きいだろうと思いました。


十津川村には温泉郷が3つあるのですね。
湯泉地(とうせんじ)温泉郷 
十津川温泉郷
上湯(かみゆ)温泉郷 

奈良県のこと

2023年10月29日 | 旅(奈良)
奈良県の地図を見ていると、まだ行ったことのない市町村がいくつもあります。



奈良県のことを調べてみました。

奈良県の面積と人口は、共に、日本の1%のようです。

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https://www.pref.nara.jp/33754.htmより引用

 奈良県は日本のほぼ中央部・紀伊半島の真ん中に位置し、周囲を山岳に囲まれた内陸県です。面積は3,691.09㎢で、全国的には40番目にあたり、国土の約1%です。
 自然や地理的条件等から、概ね標高100m以下の平地で構成される奈良盆地を中心とした「大和平野地域」、高原状の地形が広がる「大和高原地域」、大部分が山岳地帯である「五條・吉野地域」の3地域に分けられます。

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奈良県推計人口の概要(令和5年1月1日現在)
発表日: 2023年 1月 27日
発表部署:総務部知事公室 統計分析課
担当係:人口統計係

1 人口
  総人口 1,303,658人
  【12月中の増減状況】
  自然増減・・・△1,061人
  社会増減・・・155人
2 世帯
  総世帯数 551,728世帯
  12月中の増減数・・・155世帯減
  1世帯当たりの平均人員・・・2.36人
3 市町村人口・・・前月に比べて
  増加・・・7市町村
  減少・・・31市町村
  変化なし・・・1村

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https://www.pref.nara.jp/1355.htmより引用

奈良県の自然 

奈良県は近畿地方のほぼ中央に位置し、海岸に接しない内陸県で、地形、地質上から見ると吉野川に沿って走る中央構造線により、北部低地と南部吉野山地とに大別できます。

北部低地帯の地形は全般的に標高500mないし600mの山地が多く、それらが奈良盆地の四方を囲んでいます。
北は平城山丘陵、南は飛鳥の地から高取、竜門山地、そして東は山の辺から大和高原、さらにその東方には室生火山群の山々が連なり、西は矢田丘陵及び生駒、金剛山脈が南北に走っています。
北部低地の植生は、春日山原始林に見られるように、本来、カシ、シイ等の暖帯性常緑広葉樹林、いわゆる照葉樹林でしたが、現在、その北部はアカマツを中心とした二次林が多く、クヌギ、コナラなどの落葉広葉樹林がこれに次ぎ、スギ、ヒノキの人工林も増えています。
一方、その南部は、標高1000m前後の葛城、金剛山頂や、1249mの高見山頂北側斜面などにブナ林がわずかに残っていますが、スギ、ヒノキの植林地が多くなり、特に宇陀山地は、吉野山地とともに奈良県の代表的なスギ、ヒノキの美林地帯として知られています。
奈良盆地及びその周辺部には社寺、古墳、御陵等が多く存在し、これらの境内や地域内の樹林の多くは、自然林のまま保護されて残っています。
とりわけ、うっそうと茂る春日山原生林は都市に近接する原始林として世界的にも貴重であり、隣接する若草山のススキとあざやかな対比を見せています。
ほかにも、ごろごろとした巨岩の川が600mにもわたって続く鍋倉渓、100mの絶壁が1.5kmも続く屏風岩、凝灰岩でできた山肌がまるで鶴がたむろしているように見える屯鶴峰など、自然の力によってつくり出された全国的にもめずらしい自然景観を見ることができます。
昔から青垣山と称される奈良盆地の山陵地帯は、自然林が点状または帯状に連なり、奈良盆地の田園風景及びそこに散在する数多くの文化遺産と一体となって素晴しい歴史的自然環境を形成しており、観梅で有名な月ヶ瀬、山頂部にツツジが咲きほこる神野山や葛城山、紅葉の美しい多武峰(とうのみね)など四季折々に変化を見せる周辺部の自然とともに、都市住民の身近な自然地域として貴重な存在であるばかりか、日本人の心のふるさととして重要な位置を占めています。

南部吉野山地は、東西70km、南北80kmにわたって広がり、県土面積の約2/3を占めています。
ここには、吉野川、北山川、十津川の渓谷が南北に流れ、山脈もそれに並行して東から台高山脈、大峰山脈、伯母子山地の3つの山脈を形成しています。
標高1915mの八剣山を筆頭に1000mないし1900mの山岳が連なり、谷部はとくに急峻ですが、多くの山頂部は平坦な地形が広がっています。
その険しい地形と豊富な水量は、笹の滝、蜻蛉の滝、不動七重の滝、ミタライ渓谷など特色ある自然景観を生み出しました。
さらに、吉野山地の山深くには、歴史上の人物も湯治に訪れたという古湯・秘湯や近年になって発見された温泉などが数多くあります。
南部吉野山地の植生は、その低山部はいわゆる吉野林業地帯に属し、ほとんどがスギ、ヒノキの人工美林に覆われています。
しかしその高山部は、ブナ、ミズナラ、リョウブなどの温帯性落葉広葉樹林からウラジロモミ、トウヒ、シラビソなどの亜寒帯針葉樹林にいたる自然林地帯となっています。
戦後の奥地開発により、広範囲にわたって自然林が伐採され、スギ、ヒノキの人工林化がすすめられましたが、台高山脈、大峰山脈、伯母子山地には現在もなお広く自然林が残されています。
とりわけ西大台ヶ原のブナ林は、現存する太平洋型ブナ林としては、わが国最大のものであり、東大台ヶ原には大峰山脈のものとともにわが国で南限とされるトウヒの純林が見られ、学術的にも貴重なものです。
吉野山地や奥宇陀の自然林地帯は、県鳥のコマドリをはじめアオバト、コルリ、ジュウイチ、ツツドリ、トラツグミ、コノハズクなど稀少種を含む多種の野鳥の繁殖地であり、秋にはツグミ、シロハラなどの冬鳥も渡来します。
また標高1600m以上の亜高山針葉樹林帯は、ルリビタキ、メボソムシクイ、ビンズイ、カヤグリなど主に中部地方以北で繁殖する鳥の西日本での数少ない繁殖地となっています。
さらにこれらの自然林地帯はその生息密度が極めて高いといわれている大台ヶ原のシカをはじめ、ニホンカモシカ、ツキノワグマ等の大型哺乳動物の生息地でもあります。

このように高山部の自然林地帯を中心とする南部吉野山地は、険しい岩峰、深い渓谷、早瀬急流、いくつもの瀑布が連続するすぐれた山岳風景とそこに息づく多様な動植物が織りなす素晴しい自然環境に恵まれており、豊かな自然とふれあうことのできるわが国でも有数の自然地域といえるでしょう。

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https://www.pref.nara.jp/1354.htmより引用
 
県の位置              

・奈良県は東西78.6km、南北103.4kmと南北に長めの長方形の県です。

日本のほぼ中央部、紀伊半島の真ん中にあり、大阪府・京都府・和歌山県・三重県に囲まれて海のない内陸県です。

東端 東経136度14分 宇陀郡御杖村大字神末
西端 東経135度33分 吉野郡野迫川村大字弓手原
南端 北緯33度51分 吉野郡十津川村大字竹筒
北端 北緯34度47分 生駒市高山町

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奈良県の歴史 

明治20年11月4日に誕生した、現在の「奈良県」
「奈良県」の名称が初めて登場するのは、慶応4(1868)年5月19日のことです。新政府は、大和に大和鎮台(やまとちんだい)(後の大和鎮撫総督府(やまとちんぶそうとくふ))を置き、大和の旧幕府領(十津川郷を除く)・旗本領・社寺領を管理させました。その後、大和鎮撫総督府は廃止され、奈良県が置かれました。

明治4(1871)年7月の廃藩置県により、大和には奈良県をはじめ15県が成立しましたが、府県の統廃合が進み、明治4年11月22日に現在と同じ地域的規模を管轄する奈良県が誕生しました。

しかし、それもつかの間、明治9(1876)年4月18日に堺県に、さらに明治14(1881)年2月7日には堺県も大阪府に統合されてしまいました。

こうした府県の統廃合で、当時の大和の人たちが期待した産業振興や教育、治山・治水などの予算の確保はままならなくなりました。

このため、大阪府会の大和選出議員らが中心となって、奈良県再設置のための運動が進められました。ときの内務省・太政官・元老院への陳情を重ね、奈良県再設置実現に向けて奔走しました。

そして、ようやく明治20(1887)年11月4日に再設置が認められ、結果、現在の奈良県が誕生しました。

奈良県の歴史を振り返り、再設置運動を知ることは大切なことです。再設置に尽力した人々の思いと共に次の世代に奈良県をしっかりと引き継いでいきましょう。


明治23年1月15日、樺戸郡新十津川村設置 
新十津川町の成り立ち
人口6700人余の北海道樺戸郡新十津川町は、明治期に移住した十津川の人びとが切り開いてできました。
新十津川町の人びとは奈良県を母県(ぼけん)、十津川村を母村(ぼそん)と呼びます。奈良県とのゆかりが深い町です。
明治の水害と北海道移住の決意

今から約130年前の明治22(1889)年8月、奈良県吉野郡一帯はすさまじい豪雨に襲われます。十津川の被害は甚大(じんだい)で、死者は168人、生活の基盤を失った者は約3千人にのぼりました。

新たな生活の地を求めて、2489人は北海道への移住を決心します。

明治22年10月には神戸から船に乗り小樽へと向かいます。十津川の移住した人びとは、小樽から空知(そらち)郡の空知太(そらちぶと)まで移動し、そこで雪解けを待つことになります。

そのような中で、年が明けて1月15日には、移住先となる樺戸郡徳富(とっぷ)に母村にちなんで「新十津川村」と命名された新しい村が設けられたのでした。
新十津川の発展へ

明治23(1890)年6月、遅い北海道の春を待って石狩川を渡り、トック原野に移住します。

原生林を切り開く開墾作業は困難を極めますが、十津川の移住した人びとの不撓不屈(ふとうふくつ)の取り組みにより、水田開発を推し進め、大正期には人口1万5千人を超え、空知管内で屈指の米作地帯へと成長するまでになりました。
「県民だより奈良」2023年1月号掲載記事より

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https://www.pref.nara.jp/37161.htmから引用

奈良県(ならけん)の姿(すがた)1/自然編(しぜんへん)
 奈良県(ならけん)は日本(にほん)のほぼ中央部(ちゅうおうぶ)紀伊半島(きいはんとう)の真ん中(まんなか)に位置(いち)し、周囲(しゅうい)を山岳(さんがく)に囲(かこ)まれた内陸県(ないりくけん)です。
 面積(めんせき)は3,690.94㎢で、全国的(ぜんこくてき)には40番目(ばんめ)にあたり、国土(こくど)の約(やく)1%です。
  県(けん)のほぼ中央部(ちゅうおうぶ)を流(なが)れる吉野川(よしのがわ)を境(さかい)として、北部(ほくぶ)の低地帯(ていちたい)と南部(なんぶ)の山岳地帯(さんがくちたい)に分(わ)かれ、そのうちの南部山岳地帯(なんぶさんがくちたい)は県総面積(けんそうめんせき)の60%強(きょう)をしめます。

■おもな山(やま)と水系(すいけい)
・若草山(わかくさやま) 342m(奈良市(ならし))
・八経ヶ岳(はっきょうがだけ)(八剣山(はっけんざん)) 1,915m(吉野郡天川村(よしのぐんてんかわむら))県内(けんない)で一番(いちばん)高(たか)い山(やま)
・額井岳(ぬかいだけ) 812m(宇陀市(うだし))大和富士(やまとふじ)と呼(よ)ばれています

大和川水系(やまとがわすいけい) 570.0km
紀ノ川水系(きのかわすいけい) 328.8km
新宮川水系(しんぐうがわすいけい) 406.7km
淀川水系(よどがわすいけい) 256.0km
(長(なが)さは奈良県(ならけん)管理分(かんりぶん))

奈良県の位置 
北部(ほくぶ)の奈良盆地(ならぼんち)は内陸性気候(ないりくせいきこう)で、夏(なつ)はむし暑(あつ)く、冬(ふゆ)は冷(ひ)えこみのきびしい日(ひ)が続(つづ)きます。
 一方(いっぽう)、南部(なんぶ)の吉野山地(よしのさんち)の東部(とうぶ)、大台ヶ原(おおだいがはら)をふくむ一帯(いったい)は、全国(ぜんこく)でも有数(ゆうすう)の多雨地帯(たうちたい)となっています。

■最高気温(さいこうきおん)
39.3℃(奈良(なら))
38.4℃(上北山(かみきたやま))

■最低気温(さいていきおん)
-7.8℃(奈良(なら))
-9.3℃(上北山(かみきたやま))

■1日(にち)の最高雨量(さいこううりょう)
182.3mm(奈良(なら))
661.0mm(上北山(かみきたやま))

(奈良(なら)地方気象台(ちほうきしょうだい)(奈良(なら)観測所(かんそくじょ)・上北山(かみきたやま)観測所(かんそくじょ))調(しら)べによる)

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https://www.pref.nara.jp/37270.htmより引用

大和平野地域(やまとへいやちいき) 
人口(じんこう)は、県全体(けんぜんたい)の約(やく)89%、面積(めんせき)は約(やく)23%をしめます。
一部(いちぶ)の丘陵地(きゅうりょうち)を除(のぞ)いて起伏(きふく)のない肥(ひ)よくな平野(へいや)で、周囲(しゅうい)は「大和青垣(やまとあおがき)」と呼(よ)ばれる美(うつく)しい山並(やまな)みに囲(かこ)まれています。
産業(さんぎょう)について、工業(こうぎょう)は、事業所(じぎょうしょ)や出荷額(しゅっかがく)ともほとんどがこの地域(ちいき)に集中(しゅうちゅう)していて、繊維(せんい)、プラスチック、スポーツ用品(ようひん)、皮革製品(ひかくせいひん)などの地場産業(じばさんぎょう)や墨(すみ)、筆(ふで)、茶(ちゃ)せんなどの伝統工芸品(でんとうこうげいひん)が特色(とくしょく)です。また、農業(のうぎょう)は、稲作(いなさく)をはじめとし、野菜(やさい)、果樹(かじゅ)、花(か)きなどの都市近郊型農業(としきんこうがたのうぎょう)が行(おこな)われています。

大和高原地域(やまとこうげんちいき) 
人口(じんこう)は、県全体(けんぜんたい)の約(やく)4%、面積(めんせき)は約(やく)14%です。
なだらかな高原状(こうげんじょう)の地形(ちけい)が続(つづ)き、南部(なんぶ)は宇陀盆地(うだぼんち)と呼(よ)ばれる準平野(じゅんへいや)と宇陀山地等(うださんちとう)の山間地帯(さんかんちたい)で、豊(ゆた)かな自然(しぜん)があります。
産業(さんぎょう)については、高原(こうげん)の特性(とくせい)を生(い)かした茶(ちゃ)、花(か)き、野菜等(やさいとう)の農業(のうぎょう)が行(おこな)われ、林業(りんぎょう)は、吉野林業(よしのりんぎょう)の隣接地域(りんせつちいき)として盛(さか)んです。また、工業(こうぎょう)は、毛皮革(もうひかく)、木材加工(もくざいかこう)などが地域(ちいき)の特産品(とくさんひん)として確立(かくりつ)されています。

五條・吉野地域(ごじょう・よしのちいき) 
人口(じんこう)は、県全体(けんぜんたい)の約(やく)7%、面積(めんせき)は約(やく)64%。紀ノ川(きのかわ)(吉野川(よしのがわ))沿(ぞ)いの北部平坦部(ほくぶへいたんぶ)を除(のぞ)いて南部山間部(なんぶさんかんぶ)は、吉野・熊野(よしの・くまの)の雄大(ゆうだい)な山岳地帯(さんがくちたい)など恵(めぐ)まれた自然環境(しぜんかんきょう)があります。
 産業(さんぎょう)は、豊富(ほうふ)な森林資源(しんりんしげん)に恵(めぐ)まれ、古(ふる)くから林業(りんぎょう)が発達(はったつ)し、日本(にっぽん)を代表(だいひょう)する地域(ちいき)です。また、農業(のうぎょう)は、果樹(かじゅ)、野菜(やさい)、畜産(ちくさん)が中心(ちゅうしん)におこなわれており特(とく)に柿・梅(かき・うめ)は、全国的(ぜんこくてき)にも有名(ゆうめい)な産地(さんち)となって います。



奈良県(ならけん)には日本一(にっぽんいち)や日本初(にっぽんはつ)がいっぱい。
生駒山(いこまやま)のケーブルカーや吉野山(よしのやま)のロープウエイは日本初(にっぽんはつ)。東大寺大仏殿(とうだいじだいぶつでん)は日本一(にっぽんいち)どころか世界一(せかいいち)大(おお)きな木造建築物(もくぞうけんちくぶつ)です。
 その他(ほか)にも、日本一古(にっぽんいちふる)い塔(とう)(法隆寺五重塔(ほうりゅうじごじゅうのとう))、スキー靴(ぐつ)の生産量日本一(せいさんりょうにっぽんいち)などたくさんあります。

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奈良県の市町村 を調べてみました。
12市・15町・12村 です。

市は、奈良市・桜井市・生駒市・天理市・大和郡山市・橿原市・宇陀市、御所市、五條市、大和高田市の10市はすっとわかりましたが、残りの2市はどこでしたっけ?

香芝市と葛城市にはほとんどなじみがなくて、すっかり忘れておりました。




奈良県の郡は7つで、27町村 があります。

郡はいくつ言えるかしら…。
吉野郡はわかりますが、残りの6郡は…。
更にそれらの郡にはどんな町村があるのかしら。
うろ覚え状態です。

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添上郡 *消滅
A山辺郡  1村
B生駒郡  4町
C磯城郡  3町
D宇陀郡  2村
E高市郡  2町村

F北葛城郡  4町
南葛城郡 *消滅
宇智郡 *消滅
G吉野郡 3町8村

      *印は消滅

A 山辺郡
1 やまぞえむら 山添村

B 生駒郡

2 へぐりちょう 平群町
3 さんごうちょう 三郷町
4 いかるがちょう 斑鳩町
5 あんどちょう 安堵町

C 磯城郡
6 かわにしちょう 川西町
7 みやけちょう 三宅町
8 たわらもとちょう 田原本町

D 宇陀郡
9 そにむら 曽爾村
10みつえむら 御杖村

E 高市郡
11 たかとりちょう 高取町
12 あすかむら 明日香村

F 北葛城郡
13 かんまきちょう 上牧町
14 おうじちょう 王寺町
15 こうりょうちょう 広陵町
16 かわいちょう 河合町

G 吉野郡
17 よしのちょう 吉野町
18 おおよどちょう 大淀町
19 しもいちちょう 下市町
20 くろたきむら 黒滝村
21 てんかわむら 天川村
22 のせがわむら 野迫川村
23 とつかわむら 十津川村
24 しもきたやまむら 下北山村
25 かみきたやまむら 上北山村
26 かわかみむら 川上村
27 ひがしよしのむら 東吉野村
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2023年10月、私は奈良県の南端にある、吉野郡十津川村に初めて足を踏み入れる機会を得ました。
その記録は後日のブログで紹介します。


町村で行ったことのあるのは、
4 いかるがちょう 斑鳩町  ※法隆寺中宮寺
8 たわらもとちょう 田原本町 ※奈良交通創立80周年記念イベント
9 そにむら 曽爾村  ※曾爾高原のススキ
11 たかとりちょう 高取町 ※高取町ひな祭り
12 あすかむら 明日香村  ※岡寺
15 こうりょうちょう 広陵町  ※馬見丘陵公園
16 かわいちょう 河合町  ※馬見丘陵公園
17 よしのちょう 吉野町 ※吉野の桜
23 とつかわむら 十津川村 ※2023年10月の旅
だけです。

まだまだ楽しみはいっぱい残っています。