映像:松尾芭蕉入浴の地(記念碑が建っているが嘗ては足湯があった)
芭蕉と曽良といえば、「奥の細道」の師弟道中を思い起こすだろう。
江戸時代の俳人であるが出身地は伊賀。旅をして諸国を行脚する
には相応な覚悟が必要な時代。難儀の末辿り着いた湯壺は格別だ。
芭蕉句:松尾芭蕉が飯坂温泉医王寺で詠んだ句
『 笈(おい)太刀も 五月に飾れ 紙幟(かみのぼり) 』(芭蕉)
解釈:医王寺に残されたという義経主従の「笈」と「太刀」に義経
の心中を察して、この武勇の志を五月の節句に掲げ語り伝えよと・・・。
参照#松尾芭蕉(奥の細道)探訪紀行
玉川温泉はPH1.05という強酸性の温泉を大量に湧出する。
その酸性泉は玉川から田沢湖へ流れj込んで死の湖とした。
酸性を中和するのが眼下にある中和処理施設なのである。
湯村温泉の開祖といわれる慈覚大師の像が源泉公園の一角に鎮座している。
慈覚大師(円仁)は高僧最澄の弟子として全国を行脚し、多くの温泉地で
開祖とされている。有名なのは9か所この湯村温泉もその温泉地の一つだ。
慈覚大師が開祖とされる温泉地:湯村、恐山(開山)、薬研、浅虫、夏油、
赤倉、別所、城崎、湯郷。筆者も慈覚大師の足跡をたどり、温泉巡礼をし
ているが美作三湯の湯郷温泉だけは未湯である。
解説:日本の名湯秘湯の多くは自然湧出泉であり、修行僧、権力者、動物
などの発見伝説が多い。
映像:早朝、はやくもトド寝の先客。東京から出張のついでに立ち寄った男。
日本の小宿10選に選ばれた青森県平川市(碇ヶ関地区)の古遠部温泉で合宿
温泉療法医津川先生と泉研代表、それにお宿のご主人を交えての温泉談義だ。
このお宿の魅力は、やはり床に溢れる源泉に背中を漬ける背中湯(トド寝)だ。
泉質:(含石膏)食塩泉 42 ℃ PH7.5 800L(毎分)自噴
選定:日本の小宿:旬刊旅行新聞が毎年10館を選定、古遠部は2012年選定。
留意:入浴者の撮影は、ご本人の了承を確認(本館は許可なく撮影禁止です)
九州由布院の秘湯:奥湯の郷は高温泉でもある。優しい湯面にだまされて
入ったら激熱を経験した人も沢山だ、そこで、この湯感を損なうことなく
温度を下げる工夫がこれ。笹を幾重にも組んでその上部から源泉を流込む。
解説:㈱ユーネットのオーダーメイド装置で『湯雨竹(ゆめたけ)』という
草津温泉を逍遥する。草津温泉の始まりはやはり光泉寺。
この境内から湯畑を見下ろす時、草津温泉に辿り着いた
実感がする。石碑は入浴中に亡くなった人々の供養塔だ。
入浴逝者塔:草津温泉は強酸性もさることながら熱泉で
もある。いろいろな病気の人々が命がけで入浴治療した
が残念ながら志半ばで倒れた方々を供養した石柱である。
映像:加賀温泉駅では地元の美人女将(レディ・加賀)が歓迎出迎えてくれた。
四日間JR東日本乗り放題!…2013年秋の大人の休日を利用して加賀温泉郷の
温泉探査を実施した。15千円で乗り放題という鉄道マニアには堪らない企画に
今年も乗った。JR東北新幹線、上越新幹線奥羽本線を乗り継ぎ加賀温泉駅到着。
参考:石川県加賀温泉郷(粟津、山代、中山、片山津)の若女将が温泉地活性化
を目指してレディ・カガ(加賀)を結成。大人の休日で加賀温泉駅に到着
した観光客に、レディ・カガの襷をかけて真心のお出迎えを行っていた。
真夏の朝方はこの砂湯が心地よく感じられる。オートキャンプが隣接、駐車場もあり
観光客は気楽にこの不思議な温泉を楽しむことが出来る。マイ砂湯も楽しめれる
泉質:重曹泉 58℃
日本の不幸な記憶:太平洋戦争の終末期に時の政権(軍事政権)は
大本営を東京から、長野県の松代山岳部に移そうとして壕を掘った。
その負の歴史遺産を平和の祈りを込めて、地元の高校生が案内する。
大本営は小山のすそ野をくりぬいたもので防空壕の様であった。