車を買い替えて、はや5ヶ月。
前の車にはなかったカーナビをつけたのですが、これが、色々、しゃべるんですね。
「いらない荷物を載せていると燃費が悪くなります。」とか
「道に迷うと燃料がかかります。」「携帯電話に接続できませんでした。」等々。
よくしゃべります。
学習能力は、イマイチなんですがねぇ。
算数の入り口が、子どものときに遊んでいたブロックや
「あっちが多いような気がするなぁ~」などの漠然とした量の把握だとすれば、
国語の入り口、字を書いたりすることの手前にあるものはなんのでしょう。
今、そんなことをあれこれ、本を読んだり、論文を読んで、調べたり、考えたりしています。
子どもがおしゃべりをしたり、おしゃべりはできなくても、
ぶつぶつとひとりごとを言ったりして言葉を発したり、
「あー」「うー」「いや!」と音を発していると、年長さんや小学校に上がる前になると、
「ひらがな」くらいはは教えれば、見ながらなら書けるだろうと私たちは思いがちではないでしょうか。
ところがどうも、そうはいかないようで、
たとえば、「りんご」という単語が3つの音韻から成っている、
「りんご」のいちばん最初の音は「り」ということがわかって、
はじめて、かなを読むという学習が可能になるそうです。
そして、このような力は、4歳ぐらいから発達し、自然に獲得する力のようです。
数字の後ろに量があることを、遊びの中で獲得していくのと似ていますね。
ということは、そのような、「ねこは2つの音でできてる!」ということや
「なわとび、最初の音はな!」というような言葉遊びが子どもの中にない!という可能性もあるのですね。
今日、そういう論文を読みながら、
もしかして…、と思った子どもさんのことが頭に浮かびました。
その子は、とても賢い子なのですが、
保護者の方が「なんとなく、ひらがなの覚えが悪いのよね」と言われていました。
その頃、その子はまだ年中さんに成り立てくらいの年でしたから、
私は、そんなものじゃないのかなぁ、と呑気に考えていました。
その子が私に「しりとりやろう」というので、
しりとりを少ししたのですが、これが、まったく、しりとりになりませんでした。
たとえば、「りんご」「ごま」「うみ」という風になってしまうのです。
そこで、紙の上に「ごま、だから、まのつくことばだよ~」と言いながら書くと、
「チョコレート!」「ごりら!」というので、「しりとりのルールしってる?」と聞くと、
「しってるよ!間違えただけ!」というので、再び続けたのですが、
やはり、しりとりにはなりませんでした。
その子にとっては、私がいった「ごま」という言葉が、
2つの言葉から成り立ち、最後は「ま」ということを把握するのは難しかったのかもしれません。
それは、年齢からくるまだまだ幼い部分だったのか、
将来的にも獲得することが難しいことなのか、今となっては、わかりません。
とりあえず、文字を習得するためには、
「この言葉は、いくつのひらがなででできてる?」ということを意識することが必要なようです。
字を自在に読み、書くためにも、
色々な認知の山々が連なっているのだなぁ、ということの扉を開いた休日でした。
前の車にはなかったカーナビをつけたのですが、これが、色々、しゃべるんですね。
「いらない荷物を載せていると燃費が悪くなります。」とか
「道に迷うと燃料がかかります。」「携帯電話に接続できませんでした。」等々。
よくしゃべります。
学習能力は、イマイチなんですがねぇ。
算数の入り口が、子どものときに遊んでいたブロックや
「あっちが多いような気がするなぁ~」などの漠然とした量の把握だとすれば、
国語の入り口、字を書いたりすることの手前にあるものはなんのでしょう。
今、そんなことをあれこれ、本を読んだり、論文を読んで、調べたり、考えたりしています。
子どもがおしゃべりをしたり、おしゃべりはできなくても、
ぶつぶつとひとりごとを言ったりして言葉を発したり、
「あー」「うー」「いや!」と音を発していると、年長さんや小学校に上がる前になると、
「ひらがな」くらいはは教えれば、見ながらなら書けるだろうと私たちは思いがちではないでしょうか。
ところがどうも、そうはいかないようで、
たとえば、「りんご」という単語が3つの音韻から成っている、
「りんご」のいちばん最初の音は「り」ということがわかって、
はじめて、かなを読むという学習が可能になるそうです。
そして、このような力は、4歳ぐらいから発達し、自然に獲得する力のようです。
数字の後ろに量があることを、遊びの中で獲得していくのと似ていますね。
ということは、そのような、「ねこは2つの音でできてる!」ということや
「なわとび、最初の音はな!」というような言葉遊びが子どもの中にない!という可能性もあるのですね。
今日、そういう論文を読みながら、
もしかして…、と思った子どもさんのことが頭に浮かびました。
その子は、とても賢い子なのですが、
保護者の方が「なんとなく、ひらがなの覚えが悪いのよね」と言われていました。
その頃、その子はまだ年中さんに成り立てくらいの年でしたから、
私は、そんなものじゃないのかなぁ、と呑気に考えていました。
その子が私に「しりとりやろう」というので、
しりとりを少ししたのですが、これが、まったく、しりとりになりませんでした。
たとえば、「りんご」「ごま」「うみ」という風になってしまうのです。
そこで、紙の上に「ごま、だから、まのつくことばだよ~」と言いながら書くと、
「チョコレート!」「ごりら!」というので、「しりとりのルールしってる?」と聞くと、
「しってるよ!間違えただけ!」というので、再び続けたのですが、
やはり、しりとりにはなりませんでした。
その子にとっては、私がいった「ごま」という言葉が、
2つの言葉から成り立ち、最後は「ま」ということを把握するのは難しかったのかもしれません。
それは、年齢からくるまだまだ幼い部分だったのか、
将来的にも獲得することが難しいことなのか、今となっては、わかりません。
とりあえず、文字を習得するためには、
「この言葉は、いくつのひらがなででできてる?」ということを意識することが必要なようです。
字を自在に読み、書くためにも、
色々な認知の山々が連なっているのだなぁ、ということの扉を開いた休日でした。