日々、あんのん。

からだの育ちの凸凹、学習のスタートラインにつけない人のもっと学びたい、発達したいを応援します。

自閉症啓発デーからの~芋づる雑感。

2016-04-03 12:06:27 | 発達応援
 春って、暑くもなく、寒くもないもんだなぁ~というのを実感する日々。

 寒くないのは嬉しいし、暑くないのもありがたいのだけど、
暑さが和らぎほっとする秋と違って、
春のぼわっ~とした、とらえどころのない気候が私はあまり好きではありません。

 でも、新芽の出る季節は好きなんですよね。
体の感覚って、微妙ですね。

 今朝の地元の新聞で、「発達障害への理解呼び掛け」と題した小さな記事がありました。
読んでみると、2日に鹿児島市内であった、
世界自閉症啓発デーのキャンペーンについての記事でした。

 キャンペーンをすることで、そういう子どもや大人の人がいることを知ってもらうことは、
ここ、鹿児島の地ではまだまだ必要なことのようにも感じます。

 これまで私が支援員として仕事をしてきた場所は
支援が必要な子ども、その親、そしてその子の祖父母、親戚と住んでいるような地域でした。
そんな地域では、子どもが同級生より明らかに幼くても、
本人のこだわりで奇行と思えるような行動に突っ走っても、
明らかに同級生と一緒に学ぶことが困難でも、
「少し、変わってるけどね。」というくらいで、暮らしている子がほとんどでした。

 そんな地域で、わざわざ、支援クラスに子どもを入級させて、
その子の力にそった方法で、学ぶことを続けさせようとする保護者の方々は、
祖父母、親戚、その子の兄弟姉妹からの世間体などから反対する声や
我が子の力を低く見積もる近所の方々のもの言わぬ声としなやかに戦っている、
本当に力強い、人としてのやさしさと厳しさを持った方々でした。

 そんな方々でしたので、外に対して我が子をわかってもらうことに力を割くよりも、
我が子の成長した姿こそが、外部の人たちへの何よりの説得になるという感じで、
一緒に買い物に出かけたり、地域の活動に参加したりするなかで、
子どもさんを他の子同様に、気配りしろ、常識で考えなさい、と叱咤激励されてきたようでした。

 そんな保護者のおひとりが悔しそうに話したことを今もよく覚えています。

 「うちの子は、確かに学校の勉強は遅れているし、できないことも多いのよ。
でも、それがそのまま生活面もイコールって思われてるんだろうね。
私が仕事で遅いと、ご飯炊いて、お味噌汁の準備したり、ちょこっとしたことがすごく助かるの。
でも、そのことを外で話すと『わぁ、すごいね、そんなこともできるの』って言われるの。
高校生ならそのくらい、気が利く子もいるだろうに、うちの子だと特別みたいに言うんだよね。
そのたびに、『ああ、ほんと、何にもできないって思ってるんだな』って腹が立つっていうか、
悔しいような、もやもやーーーーっとした気持ちになるのよ。」

 そんなようなことを言われて、やるせないなーという表情をされていました。

 さて、新聞の記事では
「発達障害の子どもたちは決して『できない子』ではない。
適切な支援環境さえ整っていれば、十分に社会で活躍できる」というコメントを紹介し、
結ばれていました。

 今は、私の住む県では発達障害の人が働くには、
支援環境もなにもない、という切実なレベルなのでしょうね。

 発達障害があっても家族が喜ぶ姿を思い、家のこともしていた子のことを思い出す私は、
たとえ支援環境が整っていなくても、自分を冷静に保ち、
自分で知恵をしぼり、いざとなったら自分で行動する、
自立した子を育てていくことが大事かな、と思っています。

 それにしても、「家族に喜んで欲しい」という気持ちは、
子どもが他者を意識して、自分で知恵を出し、行動する身近な第一歩なのかもしれないなぁ~と、
新聞を読んで、色々考え、思い出ししながら思うことでした。



 
コメント
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