アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

クラシックから学ぶときの順番

2018年07月19日 | ピアノ
書道の先生に、臨書について聞いている中で、臨書にどういう順番で取り組むかという話があった。

    にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←ピアノでも、作曲家固定の人と、いろいろ弾く人がいますね。

昔の中国の有名な書家というのは、もちろん王羲之だけでなくいろいろいるのですが、比較的初心者が取り組みやすい字体とそうでないもの、というのがあります。そして、取り組みやすいと思われる中にもいろいろいるけれど、

一人の書家の字をじっくり勉強してから次に移るのがよい



いろんな書家の字を併行して勉強していくのがよい

という両方の考え方があり、決着していない状態だとか。

ピアノでいうと、昭和のころはよく、ずーっとハイドンモーツァルトベートーベンばかり長い間やらせて、ショパンはあとから、ドビュッシーやラヴェルはもっとあとから、というのがありましたね…

今は「4期のピアノ」とかいって、毛色(時代)の違うものをいろいろバランスよく学んでいこうというのが主流でしょうか。

私の場合、「どう学ぶべきか」はさておき自分の好きなもの弾きたいものを弾く方針で、その結果いろいろ併行して(というか混ざりすぎ?)手をつけているわけですが、それで行くと「この書家はどんな感じなのかやっぱり書いてみたい」とかいっていろいろ手を広げていく未来が水晶玉に映っています(^^;;

おとといの書道教室で同じ時間帯に来ていた大人の生徒さんは、ひとりの書家の臨書をずーっと好きで続けている状態だそうなのですが、ちょうどそのとき、先生から「説得」されて昇段試験で出ている課題の「楷書」を書いていました。ふだんは「昇段しなくていいので」といって昇段試験はすっとばして好きな臨書をずっとやってるんだとか(笑)

それで久々に書いた「楷書」なのですが、先生も驚いたことにとても上達していたそうです。古典の「真似」を続けていることで、一般的な書体で書くのもちゃんとうまくなっていたのですね。


現代にも素晴らしい書家がたくさんいて、展覧会などで見てみんなが感嘆するような作品をつくっているはずですが、あえて古典(実物は見られず印刷したものを見るだけであっても)の真似をひたすら重ねる意義はどこにあるのでしょうか?

古典であるということは、長い時代を生き残ってきたということで、たとえば、モーツァルトとサリエリがどちらもその時代にあっては良い作曲家とされていたはずなのだけど、現在に至るまでのどこかで片方の作品は忘れ去られてしまっていて、なんか物好きな人がサリエリのピアノ協奏曲を演奏してYouTubeにアップしていたのを聞いたけどなんかつまんない曲…

これほんとに、その時代の人はモーツァルトくらいいいと思ったのかしらん?? 全然違うじゃない??

そういえば、ベートーベンとかショパンとか、そういった本物の大物というのは、田舎から出てくるのだという説を聞いたことはないですか?(今、それを誰から聞いたのか思い出そうとして思い出せない)

もっと「都会」であれば最新流行の曲がいっぱいあったはずなんだけれど、田舎には「時代遅れ」のものしかなくて、ショパンとかはバッハあたりをしっかり学んで育ったのだとか…ネットもなく出版物も今ほど手軽じゃない時代、情報弱者のはずのところからかえって大作曲家が育ってくる。

昨日、artomr先生から教えてもらったブーレーズの言葉:
「歴史的傑作というのは、その後の歴史に影響を与えたものだ」

からすれば、ショパンという新たな「歴史」に影響を与えたバッハは間違いなく歴史的傑作であった、と。

まぁ私は新たな歴史を作るわけじゃないんだけど、自分の楽しみを深める意味では十分「古典から学べ」は正しいと思います。そういえばベネットとか吉松隆とかはまだ古典じゃないよねぇ…私的にはかなりいい線いってるような気がするのですが。23世紀くらいの人から「なんであれがいいと思ったの?」とか言われてたりして。


あ、関係ないんですが、ベネット「スキップとセイディ」の録音があまりに悪かったので、shigさん撮影の動画と差し替えました。動画です。猫耳がうつってます…ただし逆光につき顔はわかりませんw

にほんブログ村 ピアノ  ←ぽちっと応援お願いします
にほんブログ村 ヴァイオリン ←こちらでも
にほんブログ村 中高一貫教育


「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)


「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ピアノ演奏と臨書は似てる説

2018年07月18日 | ピアノ
かねてより、ピアノ演奏と書道は似てると感じつつも、それはあまりにも荒唐無稽で主張するのもはばかられる(といいつつ、ブログには結構書いていたが-笑)と思っておりましたところ、

    にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←いろんな角度から楽しみ広がる

私よりずっと書道に造詣の深い人が複数、書道とピアノが似てるのはわかる、特に臨書は似ていると言っていたのでそう的外れでもないかと…
(臨書はバッハに似ていると力説してたマイミクさんも)

私はなにしろ初心者なので、体験した範囲が非常に限定的なのですが、何をもって書道がピアノと似ていると感じたかといいますと、

・形はもちろん大切だけど、慎重になりすぎて流れ・リズムを崩すとぜんぜんダメになっちゃう
・作品の出来のベースを決めるものはやっぱり線質

というようなことや、

・お手本をきっちり真似しようとしかしていないのに、何枚も書いていくうちに自分の字になってくる
(最初は不自然でありつついちおうお手本とクリソツな感じ
→これをもっとこうしなきゃ、とあれこれ考えて書きすぎたらわけわかんなくなって崩れた
→慣れて整ってくると自然になり、でもお手本とちょっと違う感じ)

というようなところ。

私はこれまで、これを書こうという課題の文字を、楷書・行書・草書で練習しているんですが、その場合、お手本というのは先生がいわばスタンダードとして作ってくれた字ですね。

一方、臨書というのは、昔の中国の書家が残した様々な作品を真似して書く作品のことです。

いろんな書家がいますからいろんな字体があります…

崩し方とか太い細い、かすれとかも含めて真似して書くものだそうです。臨書やったことないんでよくわかってはいませんが、月々見せてもらう会誌の中で作品はいちおう見ています(印刷やけどな)。

昨日のおしゃべりの中で、芸術の評価の話から、「コンクール受けする選曲!?」という話になり、たとえば臨書する場合にこういうほうが取ってもらいやすいとかありますか? なんて聞いてみたんです。そしたらやっぱりある、ということで、華やかに見えやすいものとか、かなり上手に書いてもやっぱり地味なものとかあるらしいですよ。

その話の中で、先生が「うるさい作品」という表現をしていて笑えました(^^;;
(書道ですから音は聞こえないんですがね)

まぁそんなこんなで私も臨書というものをしてみたいと思い、
「どのくらいまで来たら臨書やってみてもいいですかね?」
と聞いてみたところ、
「あ!! 臨書やりますか? 十分もう楽しめますよ~というかそもそも臨書が基礎なんですよ」

いろんな書家の臨書をする経験を積み重ねて、徐々に自分の作風を作っていくのが大事なんだって。

昨日は楷書をやったので、

同じ課題を来月は行書、再来月は草書、

それが済んだら臨書に挑戦してみることにしました。

「最初はこのへん(王羲之 蘭亭叙)がお奨めですよ♪」なんかうきうきとうれしそうな先生だった。

にほんブログ村 ピアノ  ←ぽちっと応援お願いします
にほんブログ村 ヴァイオリン ←こちらでも
にほんブログ村 中高一貫教育


「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)


「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芸術の評価というもの

2018年07月17日 | ピアノ
今日は書道の日でした。ランチのあと先生とおしゃべりしてたら、なんでも今年のナントカ展(ピアノでいえばコンクールか)では評価が例年とものすごく違う傾向になってて軒並み…(以下自粛)だとか…

    にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←素人なら、自分の好みに素直でいてもいいと思う

なるほど書道もそんなことあるのね。まぁ「カラオケマシンで何点」という採点でない以上はなんの芸術でもそういう事情からは逃れられないものでしょう。

すごく大雑把にいって初心者と上級者というのは、誰が見ても同じように区別がつくものでしょうが、ある程度以上、基本的なポイントはきれいにクリアされている場合に、その中で何を(より)良しとするか、というね。

で、そういう、神ならぬ人の身が行う評価というものに振り回されたくないと思えば別にそういう場に出て行かないで楽しくピアノを弾いたり書道作品を書いたりすればいいんだけれど、

たとえばピアニストとしてデビューしたいと思っている若手とかだったらそうも言っていられないのでせっせとコンクールを受ける。

そして、高名な審査員同士でも意見が合わなかったりすると、誰かが席を蹴っていなくなってしまうことも(^^;;

書道で先生をしている人も、やはり営業上というか、賞を取るか取らないかで習いに来てくれる人の数が違ってきたりすることもあるので無視できないという。。

私は別に、先生が立派な賞を取っているから習いに来たのではないけれど、
というか、先生の書道の実力に惚れて習いに来たのですらないけれど、
(どんな賞があるかすら知らない。単に息子同士が部活仲間だっただけ)

今では、純粋に書道を誰に習いたいかという意味でもこの先生に習いたいと思っている。

正直いうと、私は先生がナントカ展とかに出すような立派すぎる作品の良し悪しについてはよくわからない…というかまったくわからない。賞にも大きい小さいとかあるんだけれど、展覧会を見に行っても、その大きい賞と小さい賞の作品の優劣というものはちんぷんかんぷんである。

何をもって良しと思っているかというと、お手本で書いてくれるような楷書・行書・草書の、つまり基本的な課題なんだけど、これはしかし、およそ先生と呼べる人なら誰でも同じような字を書くかといえばまったくそんなことはない。先生レベルの人のそういった作品が書道会の会誌にいろいろ載っているけれど、その中で私はこの先生の作品が特に好きだ。

また、指導の際に、生徒作品の、どれを取ってもあれこれと難がある中で、どれのどこが良い、総合的にはどれが一番よいと評価するかということや、それを説明する説得力(そしてそれは説得力があればいいというだけではなくて、次の上達に役立つというのがこの場合重要である)。そこが特に素晴らしいと思うので、お友達である/ないというところを取っ払っても、この先生に習い続けたいと思う。

私が「出品しようがしなかろうが、賞を取ろうが取らなかろうが、私は〇〇先生に習いたいよ」というと先生は喜びつつ「でもそういう生徒さんばかりでもないんですよ~」

賞とか、名前の売れ方とか、そういうことでサーーッと動いていく人も中にはいるものだそうだ。

どうなんだろ、その人は自分の価値観に自信がないのかな??

私は自分の好みというか選ぶセンス、それが正しいとか別に思わない(書道の経験が浅すぎる)けれど、自分にとってはこうだなと思うことについては十分揺るがない自信を持っている。自分の経験値が上がったり年齢が上がってくることで好みが変化することはもしかしたらあるかもしれないけれど、今の自分にとってはこれが真実。それを誰か偉い人に改めて認めてもらう必要は別にない。

ピアノでは、書道よりずっと経験年数が長いので、好みはもっとハッキリしている。どういう演奏を「良い」と思うかについては自分の耳に自信を持っているし、コンクールとか、〇〇音大卒とか、そういったことで自分の判断が変わったりはしない。(ただしその判断に一般性があると自信を持っているわけでは特にない)

にほんブログ村 ピアノ  ←ぽちっと応援お願いします
にほんブログ村 ヴァイオリン ←こちらでも
にほんブログ村 中高一貫教育


「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)


「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

猫になって連弾しました

2018年07月16日 | ピアノ
今日は、「発表会ではなくコンサートです」のロビーコンサート。あんまりな暑さで会場に着くころにはよれよれです(o_o)

    にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←気分よく猫になりました。ゴロゴロ。

そして会場はこんな:


すでに暑いです(o_o) 空調は効いているのですが、広々したガラスからじわっと届く熱っていうか…

早速リハです。ピアノはヤマハ、音や弾き心地はまぁふつう? でもこの会場、音が響かないし全体にいろんなざわめきがたゆたっているので、自分の音に集中しにくいです。リハでも全体を通して弾かせてもらえたのですが、どうも集中できずに終わってしまいました。五拍子の忙しい曲、通称「カタクリコ」(「スキップのダンス」)では最初入り損ねて乗り切れずがたがたでした。

おゆき先生「本番はもっとちゃんと合図するから大丈夫」
…スミマセンよろしくお願いします…

さて女性陣全員ドレスに着替えまして、そうするとテンションが上がってきます。コンサートだよ♪

全体進行は、主催のさきさんがアナウンスしてくれたのですが、私の出番の前がさきさんだったので、さきさんがお辞儀してるところでマイクをとって、自分でアナウンスしました。

「スキップとセイディはベネットが飼っていた猫の名前です…」
簡単に曲紹介をして、猫耳の位置を直して(笑)座ると、すっと猫の気分が入ってきました。
([追記]本番録画: 「スキップとセイディー」撮影shigさん)

前にスキップとセイディを弾いたときも猫耳つけたんですがね。おゆき先生はこういうの嫌いかなと思ったんで私からは言い出さなかったんですよ。そしたらおゆき先生のほうから提案してくれて揃って猫耳が実現しました。

猫の「おはよう」。うーんと背伸びして、部屋の中を威張ってパトロール。

滑らかに踊ったり…ちょこっとじゃれあい…

軽快に踊って…はしゃぎまわって最後はギッと爪を立ててひっかく!!

眠くなってきた…お星さま出てきた…おやすみなさい……

猫のおはようからおやすみまで、トータルサポートする曲です。楽しい。細かいことは気にせず伸び伸び弾きました。あとはおゆき先生にお任せ。

録音はしたのですが、だいぶノイジーな音環境だったので聞きづらいです→自分用の記念

おゆき先生「アンダンテさんはほんと、練習足りなくてもどうにかするよね」
私「いやいや、ちゃんと練習したんですよ~」
#たぶん想定する「あるべき練習量」の桁が違う不毛な会話

ほかも連弾が多くてお客さんも楽しんでくれたと思う(たぶん)

モシュコフスキー スペイン舞曲第三番
モーツァルト 魔笛より抜粋
モーツァルト 四手のためのソナタ K.V.521
ラヴェル マ・メール・ロワ

自分の演奏が早めに終わったので、傍らのカフェからジュースを買ってきて特等席にどっかり座り、あとは鑑賞モード。

おゆき先生のショパン舟歌は、ちょっとお客さんの空気も変わって引き込まれるような、真剣な雰囲気になったように思います。私もほんとに、自分で舟歌を練習してみてからおゆき先生の舟歌を聞いたのは初めてだったので、「おぉ~」ものすごく良かったです。弾いてみたら聞き方も変わるよ。絶対弾いてみたほうがおもしろい。それとやっぱりおゆき先生すごいよ。(何をいまさら)

充実のコンサートでした。しかしじわっと暑かった。ピアノも暑かったと思うんですが…ヤマハくん元気だね。頑張っていました。

にほんブログ村 ピアノ  ←ぽちっと応援お願いします
にほんブログ村 ヴァイオリン ←こちらでも
にほんブログ村 中高一貫教育


「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)


「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こういうの好きでアルトやってますよね?

2018年07月15日 | ピアノ
今日は合唱練習二回目でした。ピアノは茶色木目調のヤマハグランド(かなり小さいやつ)

    にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←合唱もモツソナも子供の情景も八月本番です(汗)

歌いながら、ヤマハにしちゃずいぶんやわらかい音のするコだなぁと思ってうずうず(←何しに来てんだい)

休憩時間に触らせてもらうと(いつでも即座に暗譜で弾ける唯一の曲、ドミソドミソドミで)、わりと弾きやすいし音の響きもまろやかで私好みだよ。

それはそうと、曲にも場にも慣れてきて余裕を持って曲を楽しめるようになってきたよ。

指揮者さんも前回より少し隅々につっこんで
「音が急に上がるところはゴツッと行かないで…」

なつのくーさーはーらにー

のところ、「く」から「さ」は四度上がるんですが、これをゴツッと行くと「サハラ(砂漠!?)」になっちゃって。
「く」をしっかり伸ばしつつ(この間は「S」に突入しない)
そのエネルギーで自然に「さ」に持っていけるといいんです。

ピアノ弾くときもその、うまく歌ったイメージで音程上がれればいいのよね。ピアノなら四度くらい何でもありませんよってほんとに何でもないように上がってしまわないで(笑)

ところで、今日印象に残った指揮者さん発言
「こういうの好きでアルトやってますよね?」
というの。どういうときかというと、ソプラノやテノールに動きがなくてアルトの動きで和声が進行するようなところ。

それを聞いて「おぉ!」と思って…そういえば、私も、なんか高い声が出ないからアルトいつもやってるような気がしてたけど、ほんとのとこはそれが好きだなって気が付きました。

私が五歳のときの録音で、
「まっかだなー、まっかだなー、からーすうりってまっかだなー」(まっかなあき)
を母が旋律歌って、私が下パートつけている(ピアノ伴奏なし)というのがあります。後日母から聞いたところによると、特に下パートは教えておらず(楽譜もなく)、私が勝手につけたとか。

そういうのが昔から好きだったんだね、たぶん…

小学校高学年のとき、正課クラブで合唱をやっていたのですが、当然アルトパート。指導していた音楽の先生は作曲家で(音楽之友社から合唱曲集を出していた)、ちょうど私が在籍してたときに、毎月その小学校の曲として「月の歌」というのを作っていて、新曲ができるとソプラノの子と私がそれを練習して昼の放送で紹介する(後に合唱クラブでもみんなで歌う)ということをやっていた。

生まれたてほやほやの、音源もない曲が(と、その当時明確に思っていたわけではないが)協力して歌うことで現実の音になっていくのっておもしろかったんだよねすごく。

大学生のとき、フルート同好会ではいつもいっしょに吹いていた人がめちゃくちゃうまかったので(現在はプロとして演奏活動をしている)、私は2ndを吹くことが多くてこれまたアルト的ポジション

現在の合唱練習のときも、テノールとアルトで合わせたり、ソプラノとアルトで合わせたりして確認しているときに、「アルトっていいよねぇ」としみじみ思っている。


こういう経験って、きっとピアノにも役立ってちょいと素敵な演奏の足しになるはずなんだけど!?
ほんとうに生きるには、テクニック(各声部のバランスを取るコントロール)とかが必要なんだね…

にほんブログ村 ピアノ  ←ぽちっと応援お願いします
にほんブログ村 ヴァイオリン ←こちらでも
にほんブログ村 中高一貫教育


「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)


「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする