アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

そして現代ピアノ(ベヒシュタイン)

2017年04月30日 | ピアノ
フォルテピアノの興奮も冷めやらぬまま、ベヒシュタインサロンのメインピアノを触ることができました。

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ベヒシュタインのショールームであるサロンの、メインホールにあるピアノですからそれはもちろん、最高級のピアノ、最高のメンテナンスのピアノです。

いそいそとベトソナ9番を弾いてみますと…

…うわっ、重っ(o_o)

この、キーの重さのギャップがすごくて調子狂う
フォルテピアノだととてもタッチが軽く、その勢いのままコロコロとかわいく弾けたもんですから、その調子だとそもそも発音することもできず、ずいぶんがんばって(当者比)鳴らさないといけません。その頑張り方が間違っていると、鳴るにしてもきれいには鳴らないわけですから…

「さっきの(フォルテピアノで弾いた)ほうがよかった」
とびしっとおゆき先生の指摘が飛びます。ひぃ~~

一楽章、二楽章、三楽章ときて多少は慣れたかな??

キーがフォルテピアノより現代ピアノのほうが重いのは当たり前です。ただ、ベヒシュタインのピアノが狙っているのは響きの繊細なコントロールができる点:
----イベントチラシより
ベヒシュタインは繊細なフォルテピアノの響きを再現できると言われていますが、現代ではなかなか当時の響きを実際に体験することはできません。そこで今回3日間限定でフォルテピアノの試弾会を開催いたします。今まで良く知っていたピアノ曲の新たな一面の発見に繋がることも…
----

それでまぁこの試弾会を企画する側の理想をいえば、フォルテピアノを体験してみて、引き続き現代のベヒシュタインを触ってみて、なるほどフォルテピアノにあった繊細な響きコントロールが生きているなと思えばベヒをお買い上げいただけるのではないかと(そこまで直結して考えているかはともかく)

でも実際のところ、このすばらしいベヒシュタインを弾いても、フォルテピアノの良さを継承していることをくみ取るってのは難しいような気がします。

フォルテピアノを弾いている感触の大きな特徴は、「触弦感覚」というか、弾いている私と弦の「距離(←感覚的な)」が近くて、弦を感じながら弾けるということです。これについては、ベヒシュタインでも古いもの(しらべの蔵にあるような、あるいはudurannさんちにあるような。)とか、めるちゃんとかの得意分野であって、新しくて高級なベヒシュタインだとわかりにくいと思うんです。わかりにくいとどうなるかっていうと、私の力量では、「幸福感は音の消え際に宿る」弾き方がしにくいんです。

もちろん、ここのピアノを使って、阪田さんが弾いてたときは、自在にいろんな音色を出していましたから、そういう実力のあるピアノのはずなんですけどね。

私も、ベトソナ9ではなくてラフマを弾いたときには、触弦感覚がどうのこうのというより、響きの高級感にすっかり引き込まれ、とてもいい気分でした。ともかく素晴らしいピアノです。深みのある音でよく鳴り、多彩な響きが出せます。

…でも私の好みじゃないんだよね…
(そもそも、うちのリビングにこんなでかいピアノを置く意味はない)

おゆき先生がこのピアノで弾くところを何曲か聞いてみたので、
まぁやっぱりすごいピアノだなとは思うし
悪くないんだけど(←なにさま)
特別感はないんだよね!?

おゆき先生がフォルテピアノでベトソナとか(シューベルトやバッハでも可)弾くコンサートないかな、
あったらいきたいな。

っつか、おゆき先生フォルテピアノ買わないかな♪

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幸福感は音の消えぎわに宿る

2017年04月29日 | ピアノ
昨日は、フォルテピアノ「デュルケン」の試弾に行ってきました!!

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簡素な美しさ↑

--- パンフレットより ---
フォルテピアノ・デュルケンは、ドイツのノイベルト社で作られた1815年製のレプリカ楽器です。この楽器構造は、ウィーン式のフォルテピアノで18世紀後半頃でありながら、広い音域をもつのが特徴(音域: F1~f4の6オクターヴ)です。
音色はとても明るくパワーがあり、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンやシューベルト等、古典派から中期ロマン派まで演奏を可能とします。
---

おゆき先生と二人で一時間枠をシェアです。

まず私がベトソナ9番を弾きました。軽くて狭い鍵盤、狭い音域、低いほうへ来ると「えっ? えっ? 足りるの??」とビビったりで調子狂う分(ということにしておこう)、ミスタッチしまくりですが、美しい音色にテンション上がります。とてもかわいくて、軽い音。

ダンパーペダルはあるのですが、その効きは現代ピアノと違う感じで、あまりペダルを多用せずにぱらぱらと弾き進めるのが気分に合いました。

響きもとてもきれいで、軽くても味わい深い感じなのですが、ことのほか美しいのは音の消えぎわです。
キーを離したときの切れ方がとても素敵です。

私の勝手な持論で「幸福感は音の消えぎわに宿る」っちゅーのがありまして、
それからいうとデジピは論外なのですが、
めるちゃんはとってもいいコなんですが、
このフォルテピアノはことのほか素晴らしい。

弾いてるときの幸せ度がちょっとそんじょそこらにない感じです。

音域は現代ピアノより狭いんですが、ベトソナ9番に関していえばちょうどこんな音域のピアノを想定して書かれたものらしく、
ちょうど足りるというかちょうど足りないというか、
「おっ」
一番下のミの音が弾けずに楽譜を見るとカッコがついている…

そうだ、なんでこの音カッコなんだろって思ったところだ。

ベト様は、曲を書いててこのミまで降りたいのに、ないやーちぇっ!! と思ったんですかね(^^;;

ま、ともかく、ベトソナ9はこのフォルテピアノにジャストフィットですね。いや9番に限らんですけど。

というわけで、おゆき先生がこれで月光を弾いてくれたんですが、これがね!! もぅもぅもぅもぅ

私ひとりでこんなん聞いちゃっていいの!?

シブい光を放つ第一楽章、ペダルの使い方やテンポを変えるといろいろと表情を変えますが、やはりベートーヴェンの想定したのはこんな感じ?? というところで弾き進めていって、そして第三楽章、

さっきの「軽い」「かわいい」感じとはがらりと雰囲気が変わって、
音域的にもスピード感も音の迫力も、この楽器を鳴らしきる勢い。かっこよさ!!

おゆき先生「月光は、ロックだ」

ハイよくわかりましたです先生


せっかくなのでシューベルトの即興曲op90-3も弾いてみました。なかなか加減がつかめない、難しい
でももうまくいったときの美しさは格別!!
いやそれにしても下手さが際立つわこれで弾くと

というわけで、先生にも弾いてもらいました。なるほどーー
現代ピアノに比べると華奢な楽器に見えますけど、でもすごく鳴らし方って多彩で、いろんな可能性があるものですね。
なかなか思ったように弾けませんが。

何時間もこのピアノで練習できるんなら、いつものピアノより素敵な演奏ができそうな気がします。

最後は試弾お約束のバッハ平均律第一巻第一番プレリュード♪
楽譜を置かずに、次の音はなんだっけとか迷わずに、
ひたすら響きに耳を傾けてフォルテピアノを弾く幸せ。

とてもきれい…
(シューベルトop90-3も暗譜で弾けたらいいよね!!)

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クラシックがクラシックである所以

2017年04月28日 | ピアノ
昨日の記事で、いちいち新しい「システム」作られちゃうと、ある程度それに「慣れる」というか「つかむ」までその曲が楽しめないので、いちいちめんどくさいという、

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聞く側の勝手な感想を述べましたが、考えてみれば過去の大作曲家もその時点で何かしら新しい「システム」を作っては世に問うてきたわけで…

モーツァルトでもベートーベンでもドビュッシーでもね。

ただ、私(たち)がそれにいちいち違和感を持たないのは、そのシステムに既に慣れちゃってるからで、でもその「慣れる」までには実は膨大な時間をつぎ込んでいますよね。そういう、時間の投資(音楽教育というか)をすることによって、より深く音楽が楽しめているわけで。

クラシックの大作曲家として残っている人たちは、新しいシステムを作りそれによって曲を作り、人々がそれに十分「洗脳(?)」されてシステムについてはもはや新奇性を感じなくなったあとでも、やっぱり色褪せない魅力、曲の中の意外感(未聴感?)というものがあって、百年、二百年経っても飽きずに広く演奏され/聴かれている。

一方、そうやって残らなかった作曲家というのは、新しい「システム」が洗脳に失敗した(受け入れられなかった)か、新奇性が感じられなくなるとそのまま飽きられてしまったか。

この「時代のふるい」というのがものすごく確かだという事実に支えられているのがクラシック音楽の魅力なんですよね。

曲が作られたばかりのときには、たとえばモーツァルトよりサリエリのほうが確立した人気を持っていたりとかいうことがあるけれど、ずっと時が経ったあとは、サリエリが聞かれることはほとんどない。

ただし、陳腐な音楽だとクラシックとして生き残れないというのはたぶん確実だとしても、その逆はあるのかもしれないですよね。つまり、優れた音楽なんだけれども、たまたま埋もれてしまったという…

あるいは、システムが斬新すぎて受け入れられなかったけれど、さらに時代が流れたら再評価されるかもとか。

それは「ロマン」ではあるけれど、これを追究するのはとても効率の悪い話で…いくら鉱物資源があるといっても、掘ることに経済合理性がない埋もれ方してたら鉱床とは呼ばないみたいなもん(^^;; だけど、たまたますばらしいものを引き当てたらそれはうれしいに違いない。

一般のピアノファンとしては、ほんとにまったく知られてない曲であればそもそも知りようもないんですが、そこまでじゃないけどマイナー曲を引っ張り出して弾いてみたら、案外よかった、というのはささやかな「ロマン」でしょう。アルカンの「バルカローレ」とか「ファ」とかはあんまり知られてないけどわりとよかった、ということでは自分的成功例です。まぁ、知られてないといったってふつーに楽譜入手できるんで秘曲でもなんでもないですけどね。

たいていは、有名曲を弾いてみると、うーんやっぱりうまくできてるなぁ…有名なのはワケがあるんだなぁ…と思うことがほとんどです。

そういう「ふるい」にかかってない、現代音楽(できたて)が玉石混交なのは当たり前です。ハズレを引きたくなければ鉄板のクラシック曲…

そして、どれが時代を越えて残っていくんだろう、と予想する楽しさも味わうならぜひ現代音楽!! って感じでしょうかね。

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既聴感と未聴感

2017年04月27日 | ピアノ
ハイ、「ミュジコフィリア」全5巻、読み終わりました。なかなかおもしろかったです。出てくる実在曲ほとんど知らんけど。

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この漫画の中で、湯浅譲二先生という登場人物(*)が
「何が本当に創造的なのかということを深く考えずに
何となく聞いたような音楽を書いていてそれが創造だと錯覚しているのはおかしい
でもただ新奇でへんてこりんだから新しいというのではなく
やっぱり人を感動させる、人に魅力を感じさせるような世界をつくれなければ
今までにない新しい音楽をつくるということにはなりません
未聴感のある音楽をつくるというのはそういうことなんだと思うんですね」
と、講演で述べています。

聞いたことのない、予想もつかない、斬新な感じということだからといって、
単にでたらめ、無秩序というのでは、魅力とか感動とかを感じさせることはできない。

それで現代音楽では、いままでの音楽で使われてきた「システム」ではなく
システム自体を自分で作るというのが「一番好ましいと思いますよ」
っていうんだけど、

…わかるようなわからないような…

私にとって、たとえばベルクのピアノソナタっていうのを初めて聞いたとき、それはもう未聴感のカタマリというか、未聴感だけは売るほどあるんだけど、その状態って聞いててそんなに楽しくない。

別に、ベルクさんは「でたらめ」に音を並べてるわけじゃないんで、何らかの「システム」を持って作曲してるんだろうけど、それを理解できてない私にとっては、「でたらめ」に聞こえてしまい、それじゃおもしろさがわからないわけですね。

それが、何度も聞くことによってなんとなく(理屈抜き)ではあってもシステムが体感できてくると、ある程度予想も立ち(記憶もして)、そしてそれでも「意外」な部分が残る。そのバランスが良い加減のあたりにあると、きれい、おもしろい、楽しい、わくわくということがあるんじゃないのかな。

ベルクのソナタを何度も聞いてるうちになんだか気に入っちゃったので(^^;; ここんとこ頭の中で勝手に流れる音楽がかなりの割合でベルクのソナタ(の一部)だったり…そして、残りのうちかなりの部分が「ジョン・ダウランド」だったんです。

ダウランドというのは現代音楽どころか、関ケ原の戦いのころ作曲してた人で、「題名のない音楽会」で「Fine Knacks For Ladies」という曲を聞いたらなぜか「つかまれて」しまってそれから気になって。YouTubeで別バージョンの演奏を探していくつか聞いてるうちにすっかりハマって、これまた脳内エンドレス曲に昇格。

私の中で、ダウランドの歌は、ベルクと違って、初めて聞いたときから馴染み深い雰囲気がするものの、陳腐ではないし全部が既聴感というのではなくて、予想の立つところと意外なところがバランスよくあるという意味ではあまり変わらないような気がするんです。時代はぜんぜん違うんだけれども。

考えてみれば、モーツァルトなんてベルクに比べりゃ大昔の人だし、もう子どものころから聞きまくってるし、じゃあ何の驚きもないアタリマエな曲かっていえば全然そんなことはなくて、むしろ「そう来るか!?」という意外感が豊富にある曲じゃないですか? 「遊び」というか。

というふうに思うと、システムなんて新奇なものじゃなくても、ちゃんとその中で「はずす」ところがあっておもしろければいいんじゃないか? システムをいちいち作るのがイイコトなのか?? という疑問が沸くんですけど。


そこを疑問に思うということは私が現代音楽向きでないということなのか…
あるいはベルクのソナタみたいに個別撃破していくことで世界が開けてくるのか…

学生時代、現代音楽したい人につきあって、電子メトロノーム見ながらベル鳴らしたり(つまり演奏の進行と無関係なテンポ感でだんだんずれていくところを表現したいらしい)して「ありゃいったい何だったんだ!?」というわけのわからなさがトラウマっていうか(笑)


(*)湯浅さんというのは実在の現代音楽作曲家だそうです。

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虚構の中の実在曲

2017年04月26日 | ピアノ
昭和のテレビドラマ、「疑惑の家族」とかだと超有名な実在曲しか出てこなくて、
「今度のコンクールの課題曲は、リストのラ・カンパネラに決まったそうよ」(←まじかっ!!)
ってな調子でしたが

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平成の漫画/アニメ/ドラマの「のだめ」になりますと、悲愴ソナタのような超有名曲から始まって、ベト七のような有名曲になるポテンシャルを秘めたいまいち有名でなかった曲やら、アンドレ・ジョリベとか、プーランクのピアノトリオとかの、この漫画がなけりゃ一生出会わない人が多そうな曲を経由して、クライマックスあたりはまた超有名(ショパコン)に戻ってきたり、ずいぶんな広がりが感じられました。

のだめに登場する曲のほとんどは実在する曲だったわけですが、たまに虚構の曲があって(おなら体操とか…)、でもそれが後付で作曲されたりね。こういう、漫画上で作られた曲が混じってくることも作品世界を立体的にしていると思います。もちろん漫画だけじゃ曲がわからないんですけど、アニメ化やドラマ化や、CDを売るとかでほんとうに音に接することもできてしまうわけで、これまたおもしろいところですね。

しかし、虚構の曲ばかりでは、音がわからないので漫画にならないと(ふつうは)思うのですが…

私が今読んでいる漫画「ミュジコフィリア」(さそうあきら)は圧倒的に虚構の曲が多いんで、これはちょっとびっくりです。

タイトルからわかるように「音楽中毒」の人たちのドラマですけど、これ、音楽といっても現代音楽漫画なんです。…なんでそんなウスいとこ突こうと思ったよ!! ってな感じです。

これ、京都芸術大学という、音楽と美術の両学科を併せ持つ大学を舞台とするストーリーで、主人公は美術の人なんですね在籍してるところは。それを、たまたま入学式の日を間違えて大学に行ったところ(←またろうかいっ)現代音楽研究会の人の荷物運びを手伝わされてついでに合奏にも参加させられて云々。

この合奏というのがこの大学の教授が作った「チェロと打楽器のための「回帰の環」op.16」とかいうものでもちろん虚構の曲ですがなんか漫画のコマ割りを見つつ説明を読みつつ(「ゴングにはじまりゴングに終わる、ジャワのガムラン音楽にみる円環構造の中で、楽曲はテンポを落としながら、音価の密度を高めていく。徴収は顕微鏡の倍率をあげるように時間のフラクタルな襞に分け入り…」)、なんだかそんな曲がありそうな気にさせられていってしまいます。

漫画全体に、自然音や環境音の描写も溢れているのでなんとなく、なんだってまぁ音楽になるやろ的なアバウトな気持ちになってしまうところが効いているのかなと思うんですが。

それでまぁ、そんなふうないろんな「うそっこ」の曲が流れていく中で、[Invention 1]という曲が出てくるんですが、この描写が圧巻で、声楽と打楽器の曲なんですが、歌詞が「は」だけで「葉」から「羽」から「刃」からもっと知らない漢字まで延々と、いろんな質感の「は」が出てくるという、それが七色ヴォイスで歌われるシーンがあります。

楽譜断片まで出てきて、これが「??? これ、漫画家が書けるもんちゃうやろ」と思っていますとこれは実在する作品で、作中では登場人物が作曲したことになってますが、川島素晴という作曲家さんがそういう作品を実際に書いてて、楽譜込みで漫画に提供してくれたそうです。

うそもんとほんもんの混ぜ方がうまいと思いましたよ…「うそもん」のほうの説得力も増すように使われています。

そのほか、ジョン・ケージ、シェーンベルクなどの曲も出てくるんですけどね。そのあらかたは、私の頭にインプットされてないんで、漫画は音楽なしの漫画に過ぎないのですが、まぁそのへんは自分で探して聞けば音として観賞することもできるわけで…

これが第二の「のだめ」になって現代音楽を流行らすか!? っていうと…まぁナイだろうけどねぇ(^^;;

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