アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

塩漬けにしてある曲

2019年10月31日 | ピアノ
捲土重来。

フォーレのノクターン六番は、別にまだ飽きてるわけではないんだけど、
このまま漫然と練習していても進歩の見えにくいフェーズには入っているし、
年末から年始にかけてのイベントがらみで練習しなきゃいけない曲は目白押しだしで、
とりあえず塩漬けすることにする。

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まったりいい味が出たころにまた取り組んでみるつもり。

私がファツィオリ発表会のあと、「来年は一曲ずつ落ち着いて練習する!」とか言ったら誰も信じてないふうだったけど(笑)
確かに自分でも信じてないけど(←どうなのか)
でも一部は本心である。

「これを弾かないうちには死ねない」と切迫した気持ちも、
そのいち: ショパン舟歌
そのに: フォーレノクターン六番
を弾いたことでちょっと和らぎ、背伸びしてでも「これからの人生今が一番若いんだから」スグ弾いてみなくちゃと思う曲のストックはとりあえず掃けた。

あとはその都度「今いちばん弾きたい曲」を弾いていってもいいと思う(新旧取り交ぜて)。

それに、塩漬け曲もずいぶん増えてきて、
いくら「ナマ(新鮮、手を付けたことがない曲)」より塩漬けのほうが食べやすいとはいえ、
一生食べきれないんじゃないかという気もしてきたので(^^;;

ここらでこれまでに盛大に撒いたフラグ回収に回るのも頃合いか…

まず、塩漬けするときは記録のための録音をとっておくのだけど、フォーレについてはなにせ後半(笑)しかまともな録音がとれなかったので(コンクールでは録音とってない)、おうちで録音してみた→フォーレノクターン六番(塩漬け用)@めるちゃん

落ち着いて弾けるのでそりゃ発表会のときと違って全体をふつうに録音できたけども、
けっこう散漫に弾き直しとかしてるし、
後半だけでいうとファツィオリのときのほうがいい演奏のような気がする。

良い緊張(集中) > 平常心 > 悪い緊張(萎縮)

ということだろうか。

これまで作ってきた塩漬け曲:
バッハ 平均律第一巻10番
バッハ イタリア協奏曲
モーツァルト ピアノソナタ K.333
モーツァルト 二台のためのソナタ第一楽章
ショパン 舟歌
ショパン マズルカ第17番変ロ短調 Op.24-4
ショパン バラード三番
ショパン バラード四番
チャイコフスキー 四季「舟歌」「トロイカ」
ラヴェル 亡き王女のためのパヴァーヌ
ラヴェル ソナチネ
フォーレ ノクターン一番
フォーレ ノクターン六番
アルカン バルカローレOp.70-6
ドビュッシー ベルガマスク組曲「プレリュード」「月の光」
シューマン 子供の情景
ラフマニノフ エレジー
ラフマニノフ 前奏曲集Op.32-2 変ロ短調
ラフマニノフ 組曲第二番「ロマンス」
バーバー ノクターン

塩漬けにしたけどもう一生弾かない予定の曲:
ショパン バラード一番
ショパン スケルツォ二番
ベートーベン 熱情三楽章
シューマン 謝肉祭
ラヴェル 道化師の朝の歌
フォーレ ノクターン四番

しれっと、とんでもない曲並んでるし(^^;;
もう十二分だよね…

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脳内二重唱モード

2019年10月30日 | ピアノ
昨日の演奏の録音を、恐る恐る聞いてみたところ、いや~ほんと聞くに堪えないんですがね(前半)、
スイッチの切り替わり方がおもしろい。

    にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←壮大な実験中!?

記念なので前半(門外不出)を切り取って、立ち直り後の録音を貼っておきます(笑)
ファツィオリでフォーレ(後半のみ)

コンクールでは逆(前半いい感じに乗ってて、終わりそうなときに大崩壊)だったわけですよね。

それで、ちょっと思ったのですが、この対比:
・うまくいってるところでは、弾き直し癖も影を潜め、いい具合に歌えている
・ダメモードに入ったところでは、何したらいいかわかんないくらいの大崩壊

…これ、わりと「新しい」傾向だと自分では思うんです。この夏過ぎくらいからの。

緊張の度合いとか、曲が身についてる度合いとか、そういうのとはまた別で、そのとき自分がその「モード」に入っているかどうか。

チャイコフスキー舟歌を弾いたコンクール予選のときは、がたがたになりましたけどあれは緊張で手がこわばって動かないタイプの、よくあるというかピアノ再開したてのころはそんなんばっかりでしたが場慣れしてきてそういうことはぐっと少なくなったんですね。本格的に緊張すれば起こることもある。

今回のフォーレとかは、少なくとも主観的にはそんなに緊張していなくて、
手はこわばっていないんです。ちゃんと動きます。

それで、うまくいっているときの自分を内観してみると、
「脳内二重唱しているとき」
という感じなんです。うまくいえないけど。

今年の目標は「弾き直し癖の克服」でしたが、これ、単に「諦めて先に行けばいいじゃん」ってなわけにいかなくて案外深いテーマだと思うんです。つい弾き直してしまうのは、別に諦めが悪いからではなくて、正しい音を出し直さないと先に薦めなくなっているということなんですよね。違う音を出したことで頭の中の音楽が壊れている。あるいは、鍵盤上の違う位置に手がずれていることによって、次の音がわからなくなっている。

で、これをどうすればいいかという話なんだけど、たとえばおゆき先生がよく言う
「歌っていれば先へ進まざるを得なくなる」
というようなあたりがヒントになるかなと考えて、でも上の旋律だけ歌ってみても実際はなかなかうまくいかなくて…

右手の旋律だけわかっても、左手の置き所が不明だと結局困っちゃうというか(^^;;

それで、頭の中で二重唱してたらどうかというのを思い立って、
右手でひとりぶん、
左手でひとりぶん、
の二重唱ね(なるべく目立つ、曲の骨格となる音を採用)。実際にはピアノの曲ってもうちょっとたくさんの音をいっぺんに弾いてたりするんだけど、
そこは片手にひとつの基準点があれば手の癖でもある程度いくし、
まぁ例えば旋律とバスが合っていれば曲はなんとか進行するでしょ。

そういうふうに脳内二重唱をしながら弾くということがうまくいくと、
なんかかなりのことがあっても(大ミスタッチ)、わりと先へ行けるようなんですね。

ところが、この素晴らしいモードが、慣れないもんだから多大な集中を必要とするんだか、
長持ちしないとか、うまく入らないってことがあるみたいで。

人前で弾いた出来上がりの演奏だけいえば、今年の前半のほうがわりと安定してまとまってたような気がするんですが、でも、今のほうがなんかつかみかけてる感じもします。この路線で行けるのかどうかわからないけど。

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フォーレ@ファツィオリは…

2019年10月29日 | ピアノ
みなとみらい(コンクール)でフォーレのノクターン六番を弾いたときは、

    にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←結論: フォーレのノクターン六番を丸ごと無事に弾くことはできない。

曲をパート1~パート5に分けたうちの、パート1~パート3まで望外の出来だったところ
パート4の真ん中らへんでぐだくだになって「あれーそろそろ鳴るのでは」と思ったら立て直す気力がなくてなって
ぐしゃぐしゃのまま「ちーん」となったという流れでしたが…

その反省に立ちまして、後半の弾きにくいところを洗い出し整理して
今日に臨みました。

今日は、響きの柔らかく美しいホールで、状態のよいファツィオリが弾けるという素晴らしい発表会で、
しかも、リハは8分もいただけるんです。

せっかくなので部分の確認とかではなくて
頭から素直に弾いてみました。

深みがある低音、きらきらした高音、
欲しい音が出る敏感さと
意図しないアバレは起こらない安定感。

とても弾きやすい~♪

8分なので最後ちょっと時間切れにはなりましたが、とても気分よく、大きなミスもなく弾きました。リハはね。

リハがあんまりうまくいったときは要注意だとかいう噂を聞いたことが(笑)

自分の出番は発表会の半ばくらい。

素敵な演奏盛りだくさんでさらに気分アゲ、
ドレスに着替えて気分はピアニストでございます。そんなにアガってるつもりはなかったんですが。

弾き始めたとき、なぜだか頭がホワイトアウトして、
鍵盤上で何の音がどこにあるかさっぱりわからなくなりました。
目がぜんぶソラ目する感じです。なんだこれは??

そういえば、アガると手がこわばって弾けなくなる症状、
これは大人再開ピアノ始めたてくらいのときはよくあって、
今でもよほど緊張するとそうなりますが、
今日はそうではありませんでした。

ややこしい曲で、頭にあまり入ってないときは、
ミスタッチなどをきっかけに音がわからなくなって崩壊する、
これもよくある。

でも今日は、頭の中で何の音を弾くべきかは混乱なくわかっていたように思います。
ただ、その音が鍵盤上でどこにあるかわかりませんでした。

それで、どうしようも立て直せずパート1~パート2を過ぎ、
パート3に入るといよいよ私の苦手な速いゾーンなのですが、
なぜかここで突然スイッチが切り替わり、
目と頭が正常モードに戻りました。

ここからはとても響きを楽しんで弾けて、
間違えたときも流れを乱さず次に行けたりして順調、
特に、速い中で一オクターブ間違えたところからの立ち直りの速さは自分でもびっくりしました。

なんか不思議な感じでした。

しかし結局のところ、前半と後半の両方をちゃんと弾けたためしなく終わってしまったのが悔しい。

いつも頼りになるご意見番のくさぴあさん
「あそこからよく立ち直ったねー」
「直前にショパンの譜読みなんかしてるからいけないんじゃないの」
…うーん、否定できない(^^;;

けど、弾けるつもりだったんです、今日は。

飲み会のとき、
「来年は一曲ずつ落ち着いて取り組むことにする」
と宣言したら、誰も信用してないらしく白々した空気が流れました。


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ショパンとシューマン(プレイエルの響き)

2019年10月28日 | ピアノ
昨日は、artomr先生のレクチャーコンサート
「芸術について語る芸術家たち」がありました。ピアノは平行弦のプレイエルです。

    にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←これは「理解されない芸術家」を描いた作品なんです

最初は、クライスレリアーナだけ弾いてあとひたすらしゃべるだけのイメージで企画したんだけれども、
ショパン 3つのマズルカOp.59
も追加して、ショパンとシューマンの違いについても語ろうということでボリュームアップしたそうです。

まぁ一回のコンサートに行って、クライスレリアーナだけというよりはショパンも聞きたい気がしますが
話がながいので(笑)結局ボリュームアップしすぎて、14:00から始まったコンサートが18:00近くまでかかりました。ながすぎじゃろ(サービス満点ともいえるが)

ショパンとシューマンというと世代的にはほぼ同じ。
シューマンはかなりショパン推しだったみたいですが
逆はわりとつれなくて こんな感じ→ショパン物語 第034回 その後のショパンとシューマン

そう、シューマンがショパンに献呈したのがクライスレリアーナなんですね。超名曲です。
一方、ショパンがシューマンに献呈したのは…バラード二番…まぁ名曲ではあるけど…シューマンの綴りを間違えてたとか(o_o;; 失礼なやつ

ショパンはシューマンの何が気に入らなかったのか、なんとなくリストは好きじゃなさそうな気がいかにもするけど(派手なパフォーマンス)、シューマンは??

ロマン派、同時代ということで似たようなくくりで語られることも多いけど、音楽の目指すところは結構違ってたみたいで、
まず大雑把にいってしまうと標題のあるなしとか。シューマンはタイトルありの曲がいろいろあるけど
ショパンはほぼない(歌曲ならタイトルあり)。「雨だれ」「小犬のワルツ」とかは後の人が勝手に呼んでるだけ。

タイトルつけたり(標題音楽)、文学にからめたりして音楽を考える派と違って、
ショパンみたいな人は、音楽そのもので語るってことにこだわるのね(絶対音楽)

ショパンに捧げられたシューマンの曲、クライスレリアーナというタイトルは、ホフマンって人の小説(登場人物名クライスラー)から取られたそうですけど、そゆこと、ショパンはやらないわけで、ショパン的には「違うだろ」って思ってたかもしれないですね。でもクライスレリアーナいい曲ですけど。

昨日のレクチャーコンサートでは、ホフマンの「牡猫ムルの人生観」からの抜粋をクライスレリアーナの各曲と対応させたレジュメが配られ「どうぞ読みながら聞いてください」って話だったけど、それ難しいです(^^;;

ところで、音楽と言葉をからませないショパンさんのほうはというと、音楽そのものに語らせるために、ものすごややこしいことをやっているのですね。メロディーが繰り返されながらもちょっと変形していったり、伴奏が変わっていったり、あれあれあれと目まぐるしく転調していったり…(ものすごく暗譜しにくいらしい)

まぁそんなあたりの話を聞いて、それから実際に演奏を聞いたらば、
ショパン 3つのマズルカOp.59
…ほんとに素晴らしい(^^)

平行弦プレイエルとの相性もばっちりで美しい

クライスレリアーナのほうは、けっこうこのご老体のピアノにこの曲はハードだなって感じで
現代ピアノで弾くほうが無難かも(クリアにはなると思う)
でも、このちょっとくすんだ感じ、全力で頑張ってる感じもおもしろいというかこれはこれで一つの味だろうか。


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ティラノサウルス今昔(「恐竜の世界史」)

2019年10月27日 | 生活
ティラノサウルス・レックスは大昔絶滅した生き物なので、今昔というのもおかしな話だけれども…

     にほんブログ村 その他日記ブログ 50代女性日記へ ←今、恐竜研究がアツい

実際のところ、私が子どものころ(昔)と今では姿形がずいぶん変化しているので、まぁやっぱり今昔。

昔々、私が学研のひみつシリーズ(「恐竜のひみつ」とか)を愛読していたころと今では、もうイラストからして全然違う。
今も昔も二本足で歩き前足はちょんぼりしているのは同じだけど、昔は背を起こして太い尻尾が地面に着いたような状態、今は後ろ足を支えに胴体と尻尾が釣り合っているようなTの字姿勢で描かれている。

それと、今は毛が生えている(^^;;

そして、行動もまったく違う。

昔のイメージでは、冷血動物で、のろまで、頭が悪くて、卵は産みっぱなしで、体は大きいけれども犬くらいの動物に簡単に倒されるだろうというような記述があった(出典失念)。

…とんでもない(参照: ジュラシック・パーク)

ま、ジュラシック・パーク/ワールドはただの映画だけど、真面目な話、
足はかなり速く(時速15~40km)
噛みちぎる力は桁外れ(どんな獲物も骨ごと噛み砕ける)
頭もかなり良く(イヌネコよりは上、チンパンジー程度)
ある程度子育てをしていた…もしかして群れで狩りをしたかも!?

こえーよ(o_o)

こういう、ガラリと見方が変わった根本には、恐竜が鳥っぽい、というより鳥が恐竜の一種であるということがある。恐竜の速い成長、素早い動きなどは鳥と共通の特徴で、気嚢を持ってて息は吸うときと吐くときの二度おいしい(酸素取り込み)という発明はすごい。これがあの巨体に生かされていたのだ。

いやほんと、絶滅してくれてありがとう、隕石グッジョブである。

まぁ、そもそもその(めっちゃ繁栄してた恐竜たちを(鳥以外)絶滅に追い込んだ)隕石が飛んでこなけりゃ現在の我々も存在しないんだろうけども。

だいたい、恐竜はなぜ絶滅したのか? というところも、昔は謎で、確か隕石説もあったけれどかなりのイロモノ枠とされていた。だって、わかんないことは地球外から来たことにしちまえなんて、そんな乱暴なね…

そんなこんなで、昔と今ではこんなに様変わりしているのだけど、それだけたくさんのことが明らかになってきたのは、もちろん研究手法が進んだ(CTとかシミュレーションとか)ということもあるんだけど、そのベースは化石発掘など地道なフィールドワークである。なぜそこまで面倒なことをするかといえばそこに愛が(熱意が)あるからである。

「恐竜の世界史 負け犬が覇者となり、絶滅するまで」(スティーブ・ブルサッテ)
は、確かに恐竜そのものの歴史でもあるけれど、その歴史を発掘してきた研究の歴史とのダブルミーニングとなっている。要するに二つの時間軸が交錯して、ややエッセイ風に、研究の歴史が語られている中から、ちゃんと恐竜の歴史が立ち上がってくるように書かれている。どうしてそんなややこしいことができるのかわからないが、本を読んでいる分にはとてもわかりやすい。

すごい暑いとか寒いとか、およそ快適からは程遠い、誰も人が通らないような辺境の地で、一日じゅう這いつくばって、見つかるかどうかなんのあてもないものを探し続ける多くの人たちの支えられて、こういった研究や本があり、映画があって、私たちはそれをただ消費できる。なんか申し訳ない気がするんだけど。でもこれからも楽しみにしてます。


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