アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

絶対音感はないのですが

2015年06月29日 | バイオリン
数日ぶりにバイオリンケースを開けてみると、案の定だいぶ狂っていて、いかに私が調弦嫌いでも今取り急ぎ弾きたくても、そのまま弾くってわけにはいかなかった。

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それで、A線を弾きながらペグを回すと、あーここじゃないここじゃない、ココ。

という、いつものAの音がするポイントがあって、でもそういや私はちっとも絶対音感なるものは持っていないのだが、なんでココだと思うんだろう、と。

チューナーのスイッチを入れて改めて確認すると、442Hz (うちのピアノのA)

重ねていうが、私はまったく絶対音感なくて、チェンバロとかピアノと違う音になってても何も違和感なく弾いて、それでピアノに戻ってくると「あれま」って具合である。また、ピアノの伴奏なく一人で弾いていると、いつの間にかずれていて開放弦を弾いたときに「あれま」ってのもある。

リファレンスなしにA線を合わせられるのはたぶん、音程を聞いているわけじゃなくて、音色の違いだと思う。だから違うバイオリンだと合わせられないんじゃないかと思うのだが。

そんな具合に、チョビくん(マイバイオリン)と私の距離感は微妙に縮まりつつある、と感じる。

運命の出会い(^^;; を経てそんなに気に入って買ったわりに、その後、結局ピアノに本気の浮気をしてみたり、ぶっちゃけトータル生活時間が足りなかったり、なんだかんだでちゃんとかわいがってあげてない。

間が空いたり、練習しても短いし、ちょっと後ろめたく思うこともあるんだけど…

チョビくんはそんな私に対しても「ちょっとぉ、最近お見限りじゃないのぉ」(←なぜオネエ言葉)などと拗ねることもなく、
徐々に徐々にお近づきになってくれている。ほんとにイイ子だと思う。

ここ数年は、特に私がうまくなっているのではなくて(さすがにこんなに触らなくてはうまくならない)、
でも微妙に、チョビくんが弾きやすくなっている。

こうすれば鳴るとか、今が音程ジャストフィット!! なんていうヒントをくれる感じ。


こんなにイイ子なんだからさ…
チョビくんに見限られないうちにもうちょっと弾く生活にしたいよね。

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最後のページをめくって思わず笑ってしまった

2015年06月28日 | ピアノ
昨日はピアノのレッスンでした。持って行ったのは、「音楽の星座」で弾くブラームス ピアノソナタ第3番第2楽章 Op.5です。

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←この曲ほんとにいい曲です。それが伝わる演奏ができたらいいな

最近ずっとバタバタ(ごたごた)してる中で、比較的ピアノは毎日触るように「心掛けて」いたんですよ(毎日触っていた、とまではいえない)。

そしたら、「音がきれいになった」と言われてちょっとうれしかったです(*^-^*)。
ややこしーい曲ですが、「なんとかなりそうだ」とも。

触るといってもほとんど短時間でしたが(10~15分とか)、今までの私と違うところは、ナント、ちょっと本気を見せて
「部分練習」
したところです。

今まで、特に平日のピアノの場合は、メイン目的は「息抜き」なので、
たらららーんと通し弾きをする
ってのが中心でした。

弾けてないところは、脳内変換でつなげて、楽しく聞きます(笑)

それはそれで楽しいピアノとのお付き合いで(^^;;
ないよりマシというか、
悪くはなかろうと思っているわけですが、
そうするとまぁ、「音楽の星座」までに弾けるようにはなりませんね。たぶん。

ということで方針変更して、「気になるところ」で立ち止まって、その日のテーマ? となった半ページくらいを弾いて終わるようになったわけです。

立ち止まるといっても、トータル15分くらいじゃアレですけど…
それでも何がしか進むようです。アンダンテで。

ところがですね、このテーマの設定ですが、たいてい前から弾いていって、ここどうにかしたいなぁと思うとそこにするいう流れが多かった…んですね。振り返ってみると。

そうするとどうなるかというと、最後まで到達することがないんです。

それで、レッスン中、弾いていって、最後のページをめくったとたん、笑えました。
…ここ、最近ずっと弾いたことないや…

んで、初見みたいに(前に弾いたから初見じゃないけど)音を拾って弾いていました。

おゆき先生「この曲、本番までにもう一度持ってきますよね??」
はは。行きます、行きます(^^;;

今度は、最後からめくろう。

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めでたさもアンダンテなりおらが春

2015年06月26日 | ピアノ
ものすごいいまさらの話ですが、アンダンテって元はイタリア語ですよね。…というふうに意識したことはなかったんですが。

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←実によいHNを選んだと思っております

アレグロとかモデラートとか、フェルマータとかドルチェとか、そのあたりの音楽用語全部。

それで、
「これで納得!よくわかる音楽用語のはなし―イタリアの日常会話から学ぶ(関 孝弘)」
というのを読んだらですね、まずはアレグロとかモデラートとかアンダンテとかが、別に速さを表す言葉じゃないってんでクラクラ来て、それで改めてアンダンテのところを見たら…

歩く速さ」という意味はないんだって(o_o)

この言葉は動詞andare(英語でいえばgo)から生まれたそうで、要するに移動するということです。速くも遅くもなく、ともかく停滞はせず前進するというような。

で、そこから転じて、「良くも悪くもない」「中庸」「まぁまぁ」というような意味にも使われるので、「アンダンテな人」というと「才気あふれるものは持ち合わせていないけれど、性格は強くも弱くもなくバランスが取れて誰とでもうまくやっていける人。人生をそれなりに生きている人」だって(笑)

…いやー、そんなこと知らないでHNとして長年使ってましたが。

でも、そう思ってよく考えるとね、私は決して「バランスが取れて誰とでもうまくやっていける人」であるなどと主張はいたしませんが、でもそういうふうに志向しているってことはあるかも。すごく何々でなくていいけど、停滞しないで前進する。平凡。ありのまま。

元々が、受験カテゴリーの掲示板やブログ用のHNとして考えたものです。受験の態度としても、「停滞しないで前進」まさにコレですよ。がんがん上を目指すとかではなくて。

まぁ、そう考えると「歩く速さ」というのもそうハズれた訳語ではないかもしれません。そもそも、なぜ「歩く速さ」というふうに日本には輸入されたかというと、ドイツ経由で西洋音楽が輸入されたから…ドイツ人はアンダンテのことを「歩く速さで」と思っていたから。というのがこの本の解釈です(真偽のほどは不確か)。

ほかにも、ラルゴは「洋服がぶかぶか」って感じで、アレグロは「あ・かるい(明るい、軽い)」って感じで、モデラートは「ジャストフィット」って感じ。

「ラッレンタンド」と「リタルダンド」は何が違うのかわかりにくいけど、
「ラッレンタンド」はレントになっていく感じで「遅くなっていく」
「リタルダンド」は「遅れる」。だから
「えー、ただ今雪のため電車はラッレンタンドして走行中~。そのため到着時間は10分のリタルダンドの予定です」…

そう考えるといろいろとおもしろい。もっとも、音楽用語として使われている速度記号などは、イタリア語の日常会話的なニュアンスに沿っているとも限らないわけで、こう弾くのが正解!! と決まったものではないかもしれないけど。

でも、「フェルマータ」はゆっくりするんじゃなくてちゃんと「止まる」ことが大事(と、こないだのレッスンでも言われたような)とか、やっぱり知らないよりは知ってるほうがいいよね。

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見る・聞くという創造性

2015年06月25日 | ピアノ
ふつうに考えて「見る」という行為は受動的なものと思われているけれど、人間の目というものは、カメラのような「そのまんま写す」機能を持ったものではない。

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←あなたの聞いてるものと、私の聞いてるものって、違うんじゃない?

網膜に像が映るところまではまぁわりとカメラ的、といえるかもしれないけれど、その後段の処理がいろいろある。ごく大雑把にいって、意味のあるものを見ようとしている、見出そうとしていると思えばいい。

逆にいえば、「意味のあるもの」以外はほとんど意識に上らない。目に飛び込んでくる画像情報はそのままではむやみやたらと膨大なもので、視野のすみっこに映るゴミのひとつひとつまで「見て」いたらまったくもって、意味のあることをやる暇なんぞはなくなってしまうだろう。

たとえば、「顔」のようなものというのに対しては、人間は特に敏感なので、脳の中にもその専用の部位があるとか…「目」とか「顔」とかはチラッと見えただけでも注意を引くようになっているのだ。生活上の必要から考えれば当然だが。

そういう、「見出す」機能を機械にシミュレーションさせてみるとこんなことが:
Google、人工神経ネットワークが見た『夢』を公開

膨大な画像を機械に「見せて」、パターンを学習させる。学習の進んだ機械にとっては、ランダムノイズの中からでも意味のあるものを見出すことができるようになるわけだ。いってみれば、人間が枯れ尾花から幽霊を見出すことができるように。

しかし、画像ばかりから学習した機械と、見るだけでなくいろんな学び方をした人間とでは、考える「意味」のありかたというのが違うので、機械が見出した「動物もどき」はなかなかに人間の発想からは大きくはみ出した代物になっている。

とはいえ、もちろん人間同士であっても、これまでの人生の蓄積というのは人それぞれ違うものなので、「見出す」ものも人それぞれ違ってくる(ロールシャッハ・テスト?)

考えてみると、「聞く」という行為もまったく同じように、それぞれの人がそれまでの人生で「学習」したものを材料にして意味のあるものを見出そうとする創造的な営みであるということができる。決して、音声の物理的特性そのものをストックしているわけではない。

空耳というか、知っている言語に強力に引き込む力があるのは周知のとおりだけれど…

そういえば音楽というものも、そこから何を見出すかは、人によって違っていたり、でも大まかなところは似ていたりするもののはずである。

「大まかなところは似ている」ということが成り立たなくては、そもそも作曲家が「いい曲」を作るなんてことがなくなってしまうわけで。これはうれしい感じ、これは悲しい感じ、これは元気な感じ、これは終わる感じ、これは意外な感じ…と、いろんな共有できる「感じ」があるから曲というものが成り立つ、ということなのだと思う。

いったい、その「感じ」の共有ってどうやって生まれたものなんだろう?? と考えると、人が視覚刺激から「目」「顔」を見出す学習が成り立つということよりも、かなり不思議なことではないかという気がする。
#…話が大風呂敷すぎて、しまえなくなっちゃった(^^;;ので尻切れで終わります

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家事外注をやめてみたら

2015年06月24日 | 生活
シルバー人材センターの家事援助を頼まなくなって二か月半。

   にほんブログ村 教育ブログ 中高一貫教育へ←掃除ってけっこう改善マインドをかきたてられる

なにしろ、掃除を自分でしない生活というのがあまりに長い間続いてきたもので、いまさら「自立」できるのかどうか不安だったんだけれど。

結論からいえば、なんとかなっています。特に家庭内のサービスレベルが落ちたとも感じません。

家事援助は週二回、一回につき2時間半お願いしていたので、要するに週に5時間。私がそれだけ今までより余計に家事するかっていったら、するわけがないですけどね。

お掃除ロボットのズンバくんは、いちおうがんばってくれてます。あんまり賢くないみたいで、目を離すとたまに掃出し窓のカーテンへの突進ループから抜け出せなくなっていたり、なんかちっとも台所のほうへ行かなかったりするんで、今のところ留守中にどうのという働き方はしてもらってません。

でも、だいたい衆目の一致するところ、お掃除ロボットの最大の貢献というものは、ロボットに配慮して人間様が「お掃除しやすい家」を準備するところにあるんです。私もその伝統に従って、床置きのものを極力排除しましたし、残っているいくつかの問題点についても、ズンバくんのスイッチオンの前にパパッとそれらを避けるルーチンを身に着けました。

だらーんとしているコードをいくつかひょいと乗せ、
ゴミ箱と譜面台を机の上へ。

実はここまでやっちゃうと、仮に人間が掃除機をかけるにしてもたいした問題じゃないのです。この前、「うまく充電されてない」という事態に陥ってどうしようかと思ったのですが、せっかくコードとかも避けちゃいましたし、そのまま自分で掃除機をかけました。まーたいしたことはないです。

それと、全体に掃除機をかけるほどでもないけど、一部にふわふわとゴミや髪の毛が…という場合は、激落ちくん(不織布ぞうきん)(*)でささっとひと掃きすれば気にならなくなって全体の掃除を延ばせます。うちの場合、一番すぐふわふわしてくるのがトイレですね。床が白っぽくて髪の毛がめだつのもありますが。

結局のところ、掃除機かけはたいした問題ではなくて(掃除機がかけられるように片づけるところは問題だったけれども)、それよりズンバくんの欠点は、水回りの掃除や洗濯物畳みをしてくれないことです(^^;;

お風呂はいつも最後に入った人が洗って出ることにしました。そうすると、だらだらしてないで他の人より早く入ってしまおうという気運も生まれますので一石二鳥です。夜のうちに洗って乾かしてしまえば風呂場のカビも生えにくいですしね。洗濯物畳み(というか実際のところ分類)は、お小遣いアップを条件にはなひめが引き受けてくれました。

台所まわりの掃除は今のところ私がやってますが、別に週二回やる必要はなくて、汚れたなと思ったらやればいいことなので、そんなにたいしたことはありません。掃除の作業自体はわりと好きで、ガスレンジ周りはまず重曹を振りまいて霧吹きでまんべんなくシューシューしておいて、しばーらくしたところで拭くとさっときれいになるなんてことを試したりしています。つるりっときれいになると快感です。というか、掃除が好きなんて我ながらずいぶん新鮮な発見でした(笑)

そして、シルバー人材センターさんを頼まなくなったことで、そのサイクルに合わせてこれはしておこう、これはしないでおいてお願いしよう、とか判断する必要がなくなったこととか、変更があったときにそれを覚えておくこととか、月ごとに振り込みをしないでよくなったこととか、そんなちょっとしたことで案外気持ちが軽くなるものなんだなって。

結局のところ、人にものを頼むには頼む手間も必要なうえ、やってもらう部分と自分でやる部分の接続具合もきちんと「設計」しなくちゃいけないし、頼んでしまった部分については業務改革・改善もしにくいということになるわけです。それでも頼まなくちゃやってられない時代(子どもが小さいころ)というのは確かにあったんだけれど、おそらくは既に何年か前から、その時期は脱していたのかなと思います。

(*)…ぞうきんをはさんでモップにできる、巨大な柄付きクリップみたいな器具があるので、それに随時、化学ぞうきんをはさんでおき、汚れたら捨てて取り替えるようにすると便利です。「四週間後にお取替え♪」の某社よりもオンデマンドで安価です。別に激落ちくんでなくてもいいんだけど、前に買ってたのより、髪の毛の絡み付き具合が優秀でなかなかよかった。

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