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アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

ピアノの先生に全幅の信頼を置くこと

2018年06月15日 | ピアノ
今朝、電車の中で読んでた本に、
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もしあなたが患者さんだったら、
「ああ、私の主治医の先生は私なんかよりずっと偉大な人なんだ。この人について行けば大丈夫だ」
と強く信じることをお奨めします。間違っても、
「医者と患者は平等だから、対等な立場であるべきだ。もし何か間違いでもしでかしたらすぐに糾弾してやる」なんて喧嘩腰な態度を取ってはいけないのです。
--- (「「患者様」が医療を壊す」岩田健太郎)
ってのがあって、

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つまり、師弟関係は「師匠は絶対に偉くて、正しい」という幻想の世界に生きるほうがうまくいくという話で、これってどっかで見たのと同じと思ったら、この著者は内田樹「先生はえらい」の話を医療に持って来たということらしい。

ここで、医者と患者は、よい意味で「お医者さんごっこ(ファンタジーの共有)」をするべきで、医者も横暴に振舞うのではなくて、常に「私はこれで正しいの?」という懐疑的な態度で、「どうしてこの人は頭が痛いのだろう」とか「この検査で診断がつくのだろうか」「この患者さん、俺のいうこと理解してくれてるんだろうか」「ちゃんと薬飲んでくれるかなあ」と首をかしげている。患者さんは「この先生についていきたいわ」と敬意を持ってついていく。そうすると、なんかうまく治っちゃう(可能性が高い)

まさにこれ、ピアノのレッスンでも同じで、生徒は先生を尊敬して全幅の信頼をおいてついていくのがよいと私も思っています。

えーー?? 思ってるの??

って声がどこからか聞こえてきそうですが、思ってますよ。先生が言う解釈、こう弾くべき、こう練習すべき、今のはきれいだった、今の弾き方はザンネン、なんであれその言葉を受け入れるのがレッスンであって、いちいち「その解釈は違うんじゃないか??」とか思ってたらレッスンの価値が下がります。もったいないです。

ただ、唯々諾々と、というのとは少し違います。
よくわからなかったら聞き返すとか(「~こういうことですか?」)
こちらからも提案するとか(「~はどうですか?」)
そういうことはもちろんアリだし、
「こう練習したらいいよ」「こう弾いたらいいよ」といわれたらその価値あるアドバイスを素直に受け取るのですが…でも実行するかどうかは自分次第。実行したかったらするだけ。実行してその結果がよくなければ自分の責任ですし、実行しなくて損をしてもこれまた自分の責任。でも先生が言っていることが、正しい、価値あるアドバイスであるということは絶対なのです。

昨日の記事と一見、矛盾しているようですが、別にそんなことはありません。レッスンを続けていく以上はそういうふうにする。でもある時点で、それが成り立たなくなれば辞める決断というのはまた建設的であるかもしれないってことです。

師弟関係がそういう性質(全幅の信頼をおくほうがうまくいく)のものである以上、先生を選ぶこと、そしてうまくいかない場合に離れることというのは重要です。この先生に習うのが自分にとって良いかという冷静な判断と、なりふりかまわずついていく姿勢が、なんらかのバランスで両立しなくてはいけないからです。

この、バランスの取り方というのは、人それぞれだろうと思うのですが、私の場合は、昨日の記事に書いた
・レッスンの時間が楽しいか?、
・レッスンによって、自分一人で弾いてる時間がより楽しくなるか?
この二点、自分でなんとなくモニタリングをしていれば、あとは先生(方)に全幅の信頼をおいてピアノライフを楽しむだけ、というふうに思っています。

…それで、複数の先生がいる場合の話ですが(つづく)

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