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ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

サーンキヤ哲学研究 上

2016年11月20日 | 日記
サーンキヤ哲学研究 上

 (株)春秋社発行、本多恵著の「サーンキヤ哲学研究 上」を読み終えました。昭和55年2月発行で8500円もする本です。687頁も有る分厚い本で、余りの分量の多さに、買ったままこれまで読み始める事が出来なかったのを、やっと今頃喰いつく気になったものです。はしがきには「本書の原稿は既に7、8年前に出来上がっていたが、今回文部省の昭和54年度科学研究費補助金が下付され、出版の運びとなった」と有ります。学者と言う人達は何を動機に報われないかも知れない重量級の研究を押し進めるのだろうかと、読む前から心が動きました。知的好奇心はこのような本を完成させる、大変な動力を持つものだと感心します。

 サーンキヤ哲学にはイーシュヴァラクリシュナと言う人が5世紀以前に書いた「サーンキヤ・カーリカー」が有りますが、この「サーンキヤ・カーリカー」がサーンキヤ哲学の完成形で有り、不思議な事に、「サーンキヤ・カーリカー」よりも以前に書かれたサーンキヤ哲学の経典は残っていないそうです。本多恵さんは先ずカピラから始まりイーシュヴァラクリシュナに至るサーンキヤ哲学者の歴史を簡単に説明しますが、伝説や推測の域を出る事は有りません。

 「サーンキヤ・カーリカー」より以前にサーンキヤ哲学について書かれた経典は残っていないそうですが、インド哲学については仏教経典を中国語に翻訳した仏典は山程残されています。そこで本多恵さんは仏典に残されたサーンキヤ思想を紹介します。内容は仏教徒がサーンキヤ派を論難する形になっていますが、この引用仏典の紹介だけで236頁、およそ全体の3分の1を占めていました。236頁に及ぶこの論難ですがその内容は空理空論に満ちていて、ゴータマ・ブッダは空理空論を振りかざさない実践の人だったろうに、仏教徒もこのように劣化していたのかとがっかりさせてくれました。しかし、がっかりするのに236頁はきつい、空漠たる砂漠を歩き進むような難行では有りました。本多恵と言う人の研究に対する執念の凄さを思わせるところです。

 この「仏典に言及されたサーンキヤ思想」が終わりますと本多恵さんはやっと「サーンキヤ・カーリカーの研究」に入りますが、「サーンキヤ・カーリカーの出現によって、他のサーンキヤ文献は大方忘れ去られ、本頌(じゅ)のみが無上の権威を持っているかの如く扱われたようであって、しばらくはこれに対する注釈書を著わすという形でサーンキヤ学派の展開が為されている」と前置きをします。

 「サーンキヤ・カーリカー」は73の頌(じゅ)、詩節で構成されており、本多恵さんは「サーンキヤ・カーリカー」の構成を目次として示したうえで、この73の頌(じゅ)、詩節を直訳します。直訳はしますが、これは73の頌(じゅ)、詩節なので注釈が無いとなかなか普通には理解出来ません。そこで本多恵さんは続いて「イーシュヴァラクリシュナの思想体系」を解説しますが、それを以下に要約して見ます。

 サーンキヤ哲学は二元論です。大元にプルシャと言う精神原理とプラクリティと言う物質原理を立てます。プルシャには属性が無く、ですから時間や空間の制約を受けません。プルシャはプラクリティの展開を見るだけで自らは活動しません。一方プラクリティは物質原理で有り、時間や空間の制約を受けながら、プルシャに現実世界を見せる為に展開をします。プラクリティにはサットヴァ(純質)、ラジャス(激質)、タマス(暗質)と言う3つの性質が備わっていて、この3つの性質が均衡している間は展開しません。そしてこの均衡が破れる時にプラクリティはプルシャに解脱を促す為に展開をして見せます。プルシャの照明によって見えるプラクリティの舞踊をプルシャは自分自身の姿だと錯覚するのですが、プラクリティは「それは違う、あなたはあなたよ」と目覚めさせる働きをします。そしてプルシャが目覚めますと、それが解脱です。

 ここでプラクリティの展開の様子を追って見ます。プラクリティは先ずブッディ(統覚)になります。ブッディ(統覚)はマハット(大)とも呼ばれます。次にブッディ(統覚)はアハンカーラ(自我意識)になります。そしてアハンカーラ(自我意識)から展開は二股に分かれます。一方は11のインドリヤ(器官)ですが、この11は大きく3つに分類出来ます。鼻、舌、目、皮膚、耳の5つの知覚器官と、発声器官、手、足、排泄器官、生殖器官の5つの行為器官、そしてマナス(意)と言う思考器官です。

 アハンカーラ(自我意識)からのもう一方の展開は、香、味、色、触、音の5つのタンマトラ(素粒子)、それから次に地、水、火、風、空の5つのブータ(元素)へと展開します。

 サーンキヤ哲学が素晴らしいのは、心と体と環境世界とはプラクリティが展開したもので有って同根でひとくくり、そしてそれとは全く別にプルシャ(真我)が有ると主張するところです。サーンキヤ哲学は心と真我とを明確に区別します。仏教でもこう言う事は言いますがこれほど明確には説明しません。

 以上がサーンキヤ哲学の思想体系です。

 本多恵さんはこのあと、最も力が入っただろうと思われる「古註の研究」に進みます。この「古註の研究」は219頁に及ぶ力作です。

 先に本多恵さんは「サーンキヤ・カーリカーの出現によって、他のサーンキヤ文献は大方忘れ去られ、本頌(じゅ)のみが無上の権威を持っているかの如く扱われたようであって、しばらくはこれに対する註釈書を著わすという形でサーンキヤ学派の展開が為されている」と書いていますが、いよいよこの古註の翻訳に入ります。本多恵さんによれば、15世紀にサーンキヤ・スートラが現れる迄多くの註釈書が書かれているが、それらの中でも比較的に初期のものが良いとして、3個の註釈書を採り上げますが、それは古い順に「金七十論」、「ガウダパーダ註」、そして「マータラ註」です。

 「金七十論」とは面白い題名ですが、70の頌(じゅ)、詩節を書いて世界の構造を示した人が有り、それを大変喜んだ当時の王様が褒美として金を与えたという由来から来た題名だそうです。しかし「金七十論」にサンスクリット語の原文は残っておらず、仏教徒の真諦と言う人がシナ訳したものだけが残っていると言います。ですから本多恵さんは先ず「金七十論」の漢文をサンスクリット語に訳戻しをし、それを日本語に翻訳すると言う、気の遠くなるような作業を行ったようです。学者の執念ですね。

 219頁に及ぶ「古註の研究」では、先ずサーンキヤ・カーリカーの73の頌(じゅ)、詩節を1節ずつ紹介し、その左側を上、中、下の3段に分割し、上段に「金七十論」、中段に「ガウダパーダ註」、下段に「マータラ註」を並列に表記する体裁を取っています。

 3つの「註」を読み進めますと、私には「マータラ註」が分かり易く、「マータラ註」に足りない部分を「ガウダパーダ註」で補えば、サーンキヤ・カーリカーのほぼ全てが理解出来ました。「金七十論」は漢文の達人と思われる本多恵さんが漢文を読み下しているのですが、漢文の素養の無い私にはほとんど歯が立たず、また使用されている語句も馴染みの無いもので、私の参考にはなりませんでした。しかし本多恵さんによれば、漢文で書かれた「金七十論」にはそれに対応するサンスクリット語の「ガウダパーダ註」と「マータラ註」が有るので語句の対応がし易く、漢文経典をサンスクリット語に訳戻しをした上で日本語に翻訳するという作業に大変有益なのだそうです。

 本多恵さんの「サーンキヤ哲学研究 上」はこの「古註の研究」の後(あと)に「金七十論」の解説とその他の解説が続いて完結しました。

 ところで私にはサーンキヤ哲学を示すサーンキヤ・カーリカーの中に、1部分だけ納得のいかない所が有ります。物質原理であるプラクリティが展開していく件(くだり)なのですが、11のインドリヤ(器官)のうちの5つの行為器官についてです。発声器官、手、足、排泄器官、生殖器官の5つなのですが、この5つがこの先の5つのブータ(元素)にどう対応しているのだろうか。排泄器官=地、生殖器官=水、発声器官=空の3つは分かるのですが、手と足とは火と風とにどう対応するのだろうか。むしろ地=筋肉、水=生殖器、火=消化器、風=循環器と呼吸器、空=発声器官(喉)とした方がすっきりするのでは無いかと言う考えです。しかし原典を書き換えてしまうと、これは明らかに改ざんに当たりますし、原典に対する私の不満を和らげる表現は無いものだろうかと読んでいましたら、有りました。

 第29頌(じゅ)に有るのですが、「作具に共通の作用は、呼気等の五風である」の、5つの風の働きです。地、水、火、風、空の5元素に対応する訳では有りませんが、気の体内における微妙な働きを示しているのです。「サーンキヤ哲学研究 上」を読んで初めて知りましたので、ここでご紹介しておきましょう。

 五風とは、呼気(プラーナ)、吸気(アパーナ)、上気(ウダーナ)、等気(サマーナ)、遍気(ヴャーナ)である。

プラーナ:口・鼻の中に往来す。前進するもの。
アパーナ:排泄器等の位に住す。後退するもの。
ウダーナ:喉頭(ヘソの位置から頭の中)に住す。上進するもの。
サマーナ:身体の中央(心臓)に存す。食物等を同化する作用をなす。
ヴャーナ:身体に遍満。身体内部の区分を為す。この風が離れると死ぬ。

 さてさて、この本の題名は「サーンキヤ哲学研究 上」です。そうしますと下巻は発行されたのでしょうか。気の遠くなるような話です。









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7 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
サーンキャ哲学研究(下) (真下尊吉)
2017-11-19 11:21:11
サーンキャ哲学研究(下)は、出ています。大阪の天牛書店(古書店)などにお問い合わせになってみて下さい。ただ、分売は不可で、上・下セットのようです。かなり、高価です。
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高額の悩み (Ananda Bhavan)
2017-11-19 12:57:44
真下様

初めてのコメント、そして貴重な情報を有難うございます。
サーンキヤ哲学研究(下)はどのような内容なのでしょうか?ミルチャ・エリアーデのヨーガ①②も上下2冊でしたが、振り返ってみれば私には①だけで充分だったようです。相当高額になりそうなのと、既に(上)は持っていますので悩んでしまいます。しかし、本当に有難うございます。
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サーンキャカーリカー (真下尊吉)
2017-11-19 20:46:50
私は『サーンキャ哲学研究』は、持っていません。理由は、他にも、中村元先生の『ヨーガとサーンキャの思想』、山口恵照先生の『サーンキャ哲学体系序説』、『サーンキャ哲学体系の展開』などがありますが、漢訳の『金七十論』が参照されているらしく中国語の出来ない私には理解が無理だからです。そんなわけで私は、原文のサンスクリットから読んだ方が早いと思い、この度、浅学を省みず『サーンキャとヨーガ』なる書を出版しました。URLをクリックしていただければ内容の一部をご覧になれます。諸先生がたとは比較にならないと思いますが、ご参考になれば幸いです。
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羨ましいです (Ananda Bhavan)
2017-11-20 09:57:31
真下様

ネットで調べましたが「サーンキャとヨーガ」はヨガの2大経典「サーンキヤ・カーリカー」と「ヨーガ・スートラ」の両方を解説されているようですね。
更に調べて見ましたら私は既に真下様の「ハタヨーガからラージャヨーガへ」を読んでいました。7つのチャクラや5つのプラーナ(風)についても簡潔に説明されていますね。
表現が簡潔でスピードも有るので初心者向けの本なのか上級者向けの本なのか迷いました。
サンスクリットがお出来になるのが羨ましいです。そして今後とも情報をよろしくお願いします。
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シャクティ信仰 (Ananda Bhavan)
2017-11-20 11:13:00
真下様

早速で恐縮ですが私の芯はサーンキヤ哲学とシャクティ信仰で出来ています。シャクティ信仰について面白い本が有ればご紹介いただけませんでしょうか。
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シャクティ信仰 (真下尊吉)
2017-11-20 21:54:44
『ハタヨーガからラージャヨーガへ』をお読みいただいてありがとうございます。正誤表は、上記URLよりお手数ですがダウンロード下さい。
シャクティ(शक्तिः)というサンスクリット語はよく使われますが、「創造する力」(power,energy)という意味以外、残念ながら「シャクティ信仰」につきましては、全く存じません。ハタヨーガで言うクンダリニーに関連したことでしょうか?
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シャクティ=プラクリティ (Ananda Bhavan)
2017-11-21 10:20:58
真下様

お返事を有難うございます。
私の勝手な解釈ですが、サーンキヤ哲学のプルシャをシヴァ神、プラクリティをシヴァ神の妃パールヴァティー(カーリー、ドゥルガー)と見立てまして、プラクリティ=シャクティだと思っています。
シャクティは女性の性的なパワーを神格化させたものですから御指摘のようにクンダリニーに近いと思いますが、私自身クンダリニーの覚醒を経験していませんのでシャクティ=クンダリニーとは言い切れていません。
そして是非今後ともご案内をよろしくお願いします。
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