ANANDA BHAVAN 人生の芯

ヨガを通じた哲学日記

15年。500回。

2024年03月02日 | 日記
15年。500回。

 私は42才の時に先の妻(39)を亡くしました。それまでの看病でかなり疲れていましたが、悲しい、淋しいよりも、目の前に残された3人の子共達が居まして、それからは子供達の世話と会社での毎月の予算達成とでほぼ脱力の疲労困憊、航空母艦の艦長(妻)と艦載戦闘機のパイロット(夫)の両方をやるのは本当に大変でした。54才の時に再婚しましたけれども蓄積した疲労は回復せず、59才の冬に遂に会社を休職してしまいました。それから1年は傷病手当(それまでこの制度を知りませんでした)で過ごし、そのまま翌2006年に会社をリタイアしました。翌2007年は何もする気にならずに疲労回復に努め、2008年の3月にやっとPCのエクセル画面に作文したものを「週刊Ananda Bhavan 」と題して10人程の友達に私信として送信を始め、それは毎週土曜日としました。Ananda は歓び、Bhavan は家の意味ですが、ここでは解脱体験の際に湧き上がる歓びを指します。

 そして1年後の2009年の3月には友人TYが「私信にせず広くオープンにしろ」と言います。私が「ブログってお金は掛からないの?」と間抜けな事を聞きますので、友人TYは電話で手取り足取り指導してこのブログを立ち上げさせてくれました。ブログはそれから3年間は毎週土曜日に更新しましたが、以降は不定期の更新になりました。そしてこの3月でブログを開始してから丁度15年、そしてブログの記事も通算500回になります。

 私は30才の時にノルウェー出身で北インドはリシケシュのシヴァナンダ・アーシュラムで修行したペール・ウインター先生(プレム・ヨーギ)の通信教育でヨガに出会い、その世界の雄大さに驚き、そしてインド思想に夢中になりました。

 通信教育に飽き足りない私は32才の時に意を決して日本ゴーシュ・ヨガ道場に入門、ゴーシュ先生の指導でヨガのアーサナ(ヨガのポーズ)、プラーナヤーマ(呼吸法)、そしてメディテーション(瞑想)の練習をしました。ヨガの練習はゴーシュ先生の指導で、そしてヨガの哲学の勉強は独学でしました。ヨガの練習とヨガの哲学の勉強は車の両輪でして、どちらが欠けてもいけません。また34才と40才の時にインドへ行き、神秘体験もしました。

 そして39才の時に、僅か1秒か2秒の事でしたが、サマーディ(解脱)を体験し、そこでサーンキヤ哲学の構造を身をもって証明しました。

 私達は日常、自分の本質は心、更には自我意識だと思っていますが、サーンキヤ哲学では心も体も環境世界も同根でひとくくり、そしてそれらとは全く別に真我(霊性)が有ると主張します。

 私は39才の時にサマーディ(解脱)を体験しましたが、42才の時に先の妻を亡くし、それからは子供達の世話と会社の仕事で手一杯、ヨガの用語で言いますとハタ・ヨガからカルマ・ヨガへと移行していました。そしてリタイアのあと2009年にヨガのブログを開始、日本は仏教国と言われ仏教はポピュラーですが、あの素晴らしいサーンキヤ哲学はあまり知られていないでしょう。私はこのブログで少しでもサーンキヤ哲学を多くの方々に知っていただきたいと思っています。

 私が仏教が分かったのは70才前後の事です。そして仏教が分かりますと、インド思想の全体が分かるようになりました。

 ヨガがインド思想の根本です。ヨガのサマーディ(解脱)の体験が先に有り、それをどう理解しどう説明するかで二元論のサーンキヤ哲学になったり一元論のヴェーダーンタ思想になったり、そしてゼロ元論の仏教になったりしまして、どれを取るかはお好み次第でしょう。

 サーンキヤ哲学では霊性も現象世界も実在しますし、ヴェーダーンタ思想では霊性だけが実在し、現象世界はマーヤー(幻)として退けます。そして仏教ではこの世界の全ては因(直接の原因)と縁(間接的な原因)で編み上げられた仮の世界であるとして、永遠の魂など存在しないと主張します。ここで私はサーンキヤ学徒です。

 この3月でこのブログは開始から15年、そしてブログの記事は丁度通算500回になりますが、少しはサーンキヤ哲学のご紹介の役に立っていますでしょうか。知っているだけでは伝わりませんから。


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 10年後? | トップ | 環境世界に浸(ひた)る »

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事