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障がい者と書くな!障害者と書け!!

学校法人ミライ(学園と)・ヤシマ(学園)(=2大うんこ学園)

2006-04-10 21:19:51 | お店情報

己のなすべきことを心得ている人間は多くない。背伸びをせず卑下もせず、等身大の自分を見つけられた者は降伏であろう。その「ポジション」が分相応であれば、自分と格差に思い悩むこともない。「過ぎたるは及ばざるが如し」という中国古典『論語』の言葉にもあるとおり、やり過ぎは足りないことと同じく良い結果を生み出さないのである。ミライ・ヤシマという女性は、それをよくわかっていたのではないだろうか。彼女が一年戦争の中で示した存在感は、そうした彼女の中庸さによるものと言えるだろう。

ミライが若いながらに達観したものの見方をしていたのは、彼女の生い立ちによる部分が大きいのかもしれない。U.C.0061、彼女は名家ヤシマ家の令嬢として生まれた。彼女の父は連邦政府高官を務め、政財界に強い影響力を持つ人物であったといわれている。その父のもとで何不自由なく育った彼女だったが、父の死後は地球を離れてサイド7に移住している。あまりに急激な環境の変化が、彼女に強い影響を与えたことは想像に難くない。それがネガティブな方向に向かわなかったのは、彼女が生来持つ懐の深さゆえであろう。父の死と宇宙への船出は彼女にとっての試練となったが、彼女はそれを貴重な人生経験として消化したに違いない。

だが、U.C.0079.09.18の公国軍によるサイド7襲撃によって、彼女はその新天地すら追われることとなる。ホワイトベースに避難した彼女は、クルーザー級のスペース・グライダーのライセンスを持っていたことから、操舵手不在のホワイトベースの操艦を自ら名乗り出た。それは、窮地にあって己の成すべきことを探した結果の決断だったのであろう。しかし、その決断が彼女を一年戦争の只中に放り込んだのである。

ホワイトベースの操舵手となり、サイド7からの逃避行を強いられたミライも、当初はなれない戦いに戸惑ってばかりであった。彼女をはじめとするクルーの大半が民間人であり、正規の軍人は艦にほとんど存在していなかったのであるから、それも当然である。だが、そうした環境と度重なる戦いが彼女を鍛えていった。生来の度胸の良さと潜在的な能力が、非常事態において発揮されたのであろう。時に戦術的な見識さえ垣間見せる彼女は、次第にホワイトベースになくてはならない存在となっていったのである。

 

 みんなに馬鹿な真似はさせないわよ

   あたしが責任を持つから!

 

そして、ミライの温かさと冷静さはホワイトベースクルーを支えた。スレッガー・ロウをして「ホワイトベースのおふくろさん」と言わしめたのも、その存在感ゆえである。 事実、クルーの精神状態に気を配り、暇を見ては繕いものにも精を出す彼女を、クルーたちは深く信頼したのである。ミライもまたクルーたちのことを第一に思慮を巡らせ、時には毅然とした態度をとることも厭わなかった。クルー全員の安全のためにアムロ・レイひとりを危険に晒し、フラウ・ボゥに卑怯・弱虫と罵られたこともあった。「何言ってもいいわ、我慢するのも勇気よ」。取り乱すフラウにミライは激しく諭した。大勢の命を預かる者の責任と向き合う彼女の姿勢が、その言葉からは窺える。

ミライはホワイトベースの精神的な支柱であった。無論、彼女ひとりの力は決して大きなものではなかったが、ホワイトベースというパズルに欠くことができないピースのひとつであったことは疑いようもない。彼女自身、一年戦争の中で深い悲しみを味わった。一度は将来を誓い合ったカムランとの別れ、心を寄せたスレッガー中尉の死。それでも折れず、己の本分を貫いてホワイトベースという「我が家」を支えたミライ。のちに妻となり母となる彼女は、一年戦争でクルーたちの「母」となる貴重な経験を積んだのである。

ミライ・ヤシマ
階級:少尉  年齢:16歳  性別:女  所属:地球連邦軍第13独立部隊  出身地:地球  技能:操艦