チャーター船の船長さんは、弁天島へ近づいて、色々と説明をしてくれましたが、皆さん、上陸したかったようですが、ご覧のように潮が引いていて、接岸はできませんでした。
(潮が引いた弁天島)
鞆の浦港へと向かいました。見上げると圓福寺が見えました。
(圓福寺)
その先に船番所跡がありました。その上の家について、チャーター船の船長が説明してくれました。それは、宮崎駿監督がスタジオジブリの社員旅行で訪れた瀬戸内海の港町である広島県福山市の鞆の浦を非常に気に入り、準備として2005年の春、鞆の浦の海に隣した崖の上の一軒家に2ヶ月間滞在し、さらに2006年夏、単身でこもり、映画「崖の上のポニョ」の構想を練ったとのことでした。
(船番所跡)
(海に隣した崖の上の一軒家)
鞆の浦のシンボルである常夜燈といろは丸展示館が見えてきました。
(常夜燈といろは丸展示館)
鞆の浦の桟橋へ近づきました。
(鞆の浦の桟橋へ)
(写真撮影:2011.04)
(潮が引いた弁天島)
鞆の浦港へと向かいました。見上げると圓福寺が見えました。
(圓福寺)
その先に船番所跡がありました。その上の家について、チャーター船の船長が説明してくれました。それは、宮崎駿監督がスタジオジブリの社員旅行で訪れた瀬戸内海の港町である広島県福山市の鞆の浦を非常に気に入り、準備として2005年の春、鞆の浦の海に隣した崖の上の一軒家に2ヶ月間滞在し、さらに2006年夏、単身でこもり、映画「崖の上のポニョ」の構想を練ったとのことでした。
(船番所跡)
(海に隣した崖の上の一軒家)
鞆の浦のシンボルである常夜燈といろは丸展示館が見えてきました。
(常夜燈といろは丸展示館)
鞆の浦の桟橋へ近づきました。
(鞆の浦の桟橋へ)
(写真撮影:2011.04)
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