灯台を下りて、歩き始めると舳倉診療所が見えてきた。そのまま直進すると島の裏側に出た。島の裏側には民家はひとつもなく、幾つかの小さい祠が点在し、一本の道が通っているだけであった。
(舳倉診療所)
まず最初に、航海と海上安全を祈った金毘羅神社が見えてきた。
(金毘羅神社)
一本道を歩き始めると周囲180mの池、龍神池があり、池の畔に小祠・無他神社、傍らの丘の上に石積垣に囲まれた観音堂があった。
(無他神社と遥拝所)
(龍神池)
(石積垣に囲まれた観音堂)
話として、「藩政末期に一旭上人という僧が島にやって来て、毎晩観音堂に島民を集めて説教をしていた。ところが、いつも末座に若い女がじっと聞きいっているので、ある晩、上人がたずねると、女は「私はこの池に棲む竜なのです。難破船の錨の毒にあたって死んだのですが、未だに成仏できずにいます。どうか助けてください。」と涙を流してたのむのだった。そこで翌朝、島民が池の水をくみ上げたところ、池の底から大小二体の骨が見つかった。この母子の竜骨は法蔵寺分院に葬られた。人々は父親の竜が現在も近くの海に生息していると考え、神として祭って無他神社とした。」と伝えられている。
周囲の海岸には、石を積んだ築山、ケルンが多く見られた。
竜神供養のために積まれた石だが、一説には、標高13mと低い島のため、船から目立たないので、少しでも高く積んで、目印としたともいわれている。
(積み上げられたケルン)
島の北端まで行くと漁業繁栄の祈願所の恵比須神社が岩の上に鎮座していた。これで島をほぼ半周した。
(恵比須神社)
こちらに来る1ヶ月ほど前に、テレビ東京で「舳倉島」を放映していた。その中に出ていたのは、ここの民宿のご夫婦と息子さんであった。こちらでは放映されていないと聞いていたので、録画して持って行き、民宿の食堂のテレビにつなぎ、他のお客さんや民宿の方達と一緒に鑑賞した。民宿の方達には大変喜んでいただき、後ほどダビングしてお送りした。
(放映されて画面)
(写真撮影:2004.09)
(舳倉診療所)
まず最初に、航海と海上安全を祈った金毘羅神社が見えてきた。
(金毘羅神社)
一本道を歩き始めると周囲180mの池、龍神池があり、池の畔に小祠・無他神社、傍らの丘の上に石積垣に囲まれた観音堂があった。
(無他神社と遥拝所)
(龍神池)
(石積垣に囲まれた観音堂)
話として、「藩政末期に一旭上人という僧が島にやって来て、毎晩観音堂に島民を集めて説教をしていた。ところが、いつも末座に若い女がじっと聞きいっているので、ある晩、上人がたずねると、女は「私はこの池に棲む竜なのです。難破船の錨の毒にあたって死んだのですが、未だに成仏できずにいます。どうか助けてください。」と涙を流してたのむのだった。そこで翌朝、島民が池の水をくみ上げたところ、池の底から大小二体の骨が見つかった。この母子の竜骨は法蔵寺分院に葬られた。人々は父親の竜が現在も近くの海に生息していると考え、神として祭って無他神社とした。」と伝えられている。
周囲の海岸には、石を積んだ築山、ケルンが多く見られた。
竜神供養のために積まれた石だが、一説には、標高13mと低い島のため、船から目立たないので、少しでも高く積んで、目印としたともいわれている。
(積み上げられたケルン)
島の北端まで行くと漁業繁栄の祈願所の恵比須神社が岩の上に鎮座していた。これで島をほぼ半周した。
(恵比須神社)
こちらに来る1ヶ月ほど前に、テレビ東京で「舳倉島」を放映していた。その中に出ていたのは、ここの民宿のご夫婦と息子さんであった。こちらでは放映されていないと聞いていたので、録画して持って行き、民宿の食堂のテレビにつなぎ、他のお客さんや民宿の方達と一緒に鑑賞した。民宿の方達には大変喜んでいただき、後ほどダビングしてお送りした。
(放映されて画面)
(写真撮影:2004.09)
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